
1987年3月15日。
兵庫県丹波市で静かな生活を送っていた西安義行さんは、高校時代の友人であるSさんとドライブに出かけた。
目的地は京都・舞鶴。春の陽気が漂うなか、久々の再会と小旅行に胸を弾ませていたのだろう。
Sさんは運転免許を取得したばかりだったため、運転は経験豊富な西安さんが担当した。
「海を見て、美味しい食事を楽しんで帰りました。その日は何も変わったことはありませんでした」
後日、Sさんはそう振り返っている。
しかしその「変わったことのない一日」は、やがて家族の人生を変える日となる。
夕方、二人は京都府綾部市にある綾部駅の近くまで車を走らせた。
そこで突然、西安さんは「ここから列車で帰る」と言い、車を降りた。
なぜ突然、電車に乗ると言い出したのか。理由は語られなかった。
その約一時間後、西安さんはSさんの自宅に電話をかけ、「無事に着いた」と伝えている。
これが、西安さんの最後の消息となった。
※
それから間もなくして、西安さんの家族には、不可解な出来事が次々と起こり始める。
最初の異変は、同年5月のことだった。
母・久子さん(当時68歳)が電話を取ると、受話器の向こうから小さな声が漏れ聞こえた。
「僕、学校の横……」
その声は震えており、久子さんにはすぐに息子の声だとわかった。
「義行やろ?」
久子さんが声をかけると、応答はなく、電話はぷつりと切れた。
※
さらに6年後、1993年3月頃のこと。
今度は別の不可解な電話がかかってきた。
電話の相手は、まだ幼さの残る女の子だった。
「歌うから、聞いて」
そう言うと、「あかりをつけましょ、ぼんぼりに……」と、ひなまつりの童謡を歌い始めた。
久子さんは咄嗟に尋ねた。
「あんた、義行の子か?」
だが、返事はなかった。
※
1998年には、さらに奇妙な訪問者が現れる。
集落の区長宅を訪ねてきたのは、地下足袋を履いた二人の男だった。
彼らは「西安義行さんのご両親の家はどこですか」と尋ねてきた。
不審に思った区長が詳しく聞くと、彼らは「西安さんが結婚する予定の女性の近所の者です」と名乗ったという。
その女性についての情報や住所などは一切残されておらず、彼らの素性も不明のままだ。
※
さらに、2022年11月のこと。
またもや不可解な電話が家にかかってきた。
電話口の女の子はこう言った。
「圭子さんはおられますか」
家族が留守だと伝えると、電話はそれきり切れた。
圭子という名前は、義行さんの親族の誰かに思い当たる節もなく、真相は謎のままである。
※
西安義行さんが綾部駅で姿を消してから、すでに数十年が経とうとしている。
警察の捜査でも決定的な手がかりは見つからず、彼がどこに消えたのかはいまだに分かっていない。
それでも、彼の声だとしか思えない電話、どこか別の人生を仄めかすような訪問者たち、そして今も続く謎の連絡。
彼が今もどこかで生きているのか、それとも──。
事件は、いまだ終わっていない。