神隠しのお姉さん

田舎の風景

小学二年生の頃の話です。
僕は、小さな頃に母を亡くし、父に育てられた父子家庭で育ちました。

そのせいか、性格は内向的になり、小学校ではひどいいじめに遭っていました。
一年生の頃から続くいじめに心を病んで、とうとう二年生で学校に行けなくなり、母方の祖父母が暮らす田舎に預けられることになりました。

その田舎は、信じられないほどの僻地でした。
「今でも日本にこんな場所があるのか」と、幼いながらも驚いたのを覚えています。

周囲は過疎が進み、地元の子どもは高校生が二、三人いるだけ。
でも、一人の時間が気楽だった僕にとっては、気になりませんでした。何より、僕は虫が大好きだったので、自然の宝庫にいることが楽しかったのです。

そんな生活を半年ほど過ごしたある夏の日、ひとりの女性と出会いました。
20代後半くらいでしょうか。黒髪の長い、とてもきれいなお姉さんでした。

最初のきっかけは、お姉さんから声をかけてくれたことでした。
「ボク、ここらへんの子じゃないよね? 夏休みで来たの?」
うまく答えられずに戸惑っていると、彼女は僕が持っていた虫かごに目を向けて言いました。

「あ!いっぱい捕まえてるね、見せてくれる?」

虫の話となると一気に饒舌になった僕は、夢中で説明しました。
彼女は「すごいねー」「へぇー」と、何度も笑顔で相槌を打ってくれた。
人に褒められたことがほとんどなかった僕には、それがとても嬉しかったのです。

それからというもの、お姉さんとはよく遊ぶようになりました。
虫捕りをしたり、川で遊んだり、畑に行ったり――。待ち合わせはいつも川の近くのお地蔵さんの前でした。

祖父母にその話をすると、
「あぁー、夏やから桐島さん家の娘さんが帰ってきとるんやろ。迷惑かけちゃいかんよ」
と、特に気にする様子もなく話していました。外部の人が来ないその土地では、名前が挙がればすぐに誰かが思い当たるような環境でした。

でも、お姉さんは不思議な人でした。
自分の話はほとんどせず、家族のことを聞いても、うまくはぐらかしてしまう。

それでも、僕の話にはとても親身に耳を傾けてくれました。
学校でのいじめ、母がいない寂しさ、祖父母にも言えなかった弱音…。
お姉さんは、どんな話でも優しく受け止め、慰めてくれました。

だからこそ僕は、
「お姉さんが、僕のお母さんだったらよかったのに」
と何度も言っていました。そのたびに、お姉さんはどこか寂しげな表情を浮かべていたのを覚えています。

そんな日々を送るうちに、なぜか体調が崩れ始めました。
風邪だと思ったのですが、熱もなく、病院に行っても原因はわかりませんでした。
でも、お姉さんに会えないのが嫌で、ふらつく体を引きずって待ち合わせ場所に向かっていたのです。

体調は悪化するばかりで、祖父母も心配し、とうとう僕は寝かしつけられることになりました。
それでもお姉さんに会いたくてぐずる僕を見かねて、祖父が「桐島さん家」に電話をかけてくれたのです。

電話を終えた祖父の顔色が一変しました。
「お前、誰と遊んどったんや…? 桐島さん家の娘さん、今年は帰ってきてへんらしいぞ!」

驚いていた僕は、ふと気づきました。そういえば、彼女の名前を知らなかったのです。

姿や雰囲気を伝えると、祖父はさらに焦って別の人にも電話をかけはじめました。
その様子は、明らかに普通ではなかった。

その土地では、知らない人がいるというのはありえない話でした。
地域全体が顔見知りのような集落で、誰かが来ればすぐに噂になるような場所なのです。

結局、そのような女性は誰一人として心当たりがなく、祖父母も得体の知れないものを感じたようで、
「もう、あの場所に行ってはいけない」
と、僕にきつく言い渡しました。

しかし、それでも体調はすぐには良くならず、僕は相変わらずお姉さんに会いたくてたまりませんでした。

ある日、家の裏の畑で虫を探していた昼頃、突然お姉さんが姿を現しました。
「○○君、こんにちは!」
変わらぬ笑顔と優しい声に、僕は喜び、また一緒に遊びました。

少し離れた場所には祖父母もいたはずなのに、なぜかお姉さんに気づいた様子はありませんでした。
夜、ふと思い出して祖父母に言いました。

「お姉さんと虫取りしてたの、見えなかったの?」

すると、祖父母の顔が見る見るうちに青ざめていきました。

「昼間…? お前、ひとりで遊んどったやろ。ずっと見とったぞ…」

祖父は、しばらく黙った後、静かに言いました。

「悪いけど、○○…お前は、もうお父さんのところへ帰らなあかん。もう、ここにおっちゃいかん」

その言葉を聞いたとき、僕は心から絶望しました。

大人になってから聞いた話によると、あの土地には「神隠し」が多発していたという伝承があったそうです。
しかも、友達の少ない子どもほど神隠しに遭いやすいとされていて、前兆として原因不明の体調不良があるのだとか。

祖父はそんな話を単なる昔話程度に思っていたようですが、僕の様子を見て「これは何かがおかしい」と感じ、父の元に返す決断をしたのだそうです。

それからの一週間、僕は家の中から一歩も出してもらえず、ただひたすらお姉さんに会えないことを悲しんでいました。

そして、帰る当日の朝。

縁側で膝を抱えて泣いていた僕の前に、またしてもお姉さんが現れました。
「○○君、どうしたの?」
その声は、やはり変わらず優しかった。

僕は、「今日、帰らなくちゃいけない」と伝えると、彼女は悲しそうに微笑んで言いました。

「そっか…でも、それがいいと思う。大丈夫。お姉さん、遠くで応援してるからね」

「またここに来たら、会える?」と聞くと、彼女はそっと首を横に振りました。

それ以来、僕は彼女に一度も会っていません。

不思議なことに、家に戻ってからは体調も回復し、学校でもいじめられることはなくなりました。
普通の日常が戻ってきました。

お姉さんが一体何者だったのか、今でもわかりません。
幽霊だったのか、神隠しの使者だったのか、それとも守ってくれていた存在だったのか。

十数年経った今でも、あの夏の日々は不思議なままです。

ただ、ひとつだけ確かなのは――
僕はあの時、本当にあのお姉さんと、かけがえのない時間を過ごしたということです。

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