負(神父の子5)

公開日: 神父の子シリーズ

マンション(フリー素材)

ある日のこと。

教会に来る信者さんで、ホームヘルパーの仕事をしている田中さん(男性・仮名)に「一緒に行って欲しい家がある」と頼まれた。

老人の一人暮らしなのだがどうにも薄気味悪く、一人だと神経が参ってしまうらしい。

親父に一応相談すると、

「行ってあげなさい」

と言われたので、お礼のガストのステーキに釣られて手伝いに行った。

ご老人は80歳くらいのお爺さんで、古い県営の住宅の4階に一人で暮らしていた(表記は501号室)。

田中さんの話では、もう県営マンションが出来た時からここで暮らしているらしい。

県営マンションの殆どは空き家。正面に同じくらいの大きさの綺麗なマンションが建っているところを見ると、順番に取り壊して新しいのを建てる計画があるのだろうと、何も知らない俺でも想像出来た。

エレベーターで4階の501号室に向かうと、奥の部屋の半開きのドアがバタンと閉まった。

空き家だらけだと思っていたが、割と人が住んでいるんだな…と思った。

しかし田中さんは、そのドアの閉まった部屋の前で止まった。

そして書類ケースから鍵を取り出し、チャイムも鳴らさず鍵を開けて

「おじいちゃーん」

と元気良く部屋に入って行った。

部屋の中にはお爺さんが一人で寝ていた。昼間なのにカーテンを閉め切っていて、真っ暗な部屋の中は汚物の臭いで充満していた。

田中さんは慣れた手つきで窓を全開にして、換気扇を回すよう僕に指示した。

「おじいちゃーん」

と大きな声を出しながら布団を捲り上げると、中から蠅が数匹飛び出した。

お爺さんは、

「あうあう」

といった声を出して田中さんに答えている。

田中さんはお爺さんの下の世話を手際良く片付けると、上手く寝返りをさせてシーツをするりと抜き出した。

まとめて大きなビニール袋に入れると、

「替えのパジャマとシーツを車に取りに行ってくるよ」

と言って部屋を出て行った。

俺はお爺さんに話し掛けることで、この何とも言えないやり切れない思いを拭おうと思った。

それでお爺さんの傍に近付き、

「おじいちゃん!はじめまして!」

と大きな声で話し掛けた。

すると驚くことに、おじいちゃんははっきりとした口調で

「殺してくれないか!」

と訴えてきた。

その声のトーンは

「あうあう」

と言っていたお爺さんの声ではなく、50歳くらいの立派な男性の持つ低くて太い声だった。

俺はびっくりしてしまい、ただ立ち尽くしていた。

すると田中さんが走って息を切らせながら帰って来た。

そして汗びっしょりの田中さんに

「どうしましたか?」

と聞いたが、

「何でもない。何でもない」

と答えるだけだった。

その後は新しいシーツを敷き、パジャマを着替えさせ、ご飯を食べさせて帰ることになった。

帰り際に体を拭くタオルや雑巾といった小物類を台所で洗い、ベランダに干して帰った。

「さようなら!」

と大きな声で挨拶すると、お爺さんは

「あうあう」

と答えた。

ガストでステーキをご馳走になりながら田中さんと話をした。

少し迷ったが田中さんが口を開く切っ掛けになればと、お爺さんが

「殺してくれないか」

と言ったことを話してみた。

すると堰を切ったように、田中さんがあの部屋で色々な不思議なことが起こると話し始めた。

やはりキリストの教えを疑うようで、俺に話して良いか迷っていたらしい。

本当は親父に相談したかったが、取り敢えず俺に体験させることでワンクッション入れようと考えたようだ。

田中さんが見る現象で最も頻繁なのが、お爺さんがマンションから飛び降りているところが見えることらしい。

マンションの外からお爺さんの部屋を見ると、お爺さんが飛び降り自殺をしているのだ。

駆け付けても下に死体は無く、部屋に入るとお爺さんは寝ているらしい。

この現象は田中さんの前任者、その前の前任者、ホームヘルパーの主任さんと、沢山の人が見ているらしい。

そして目撃者はご近所にも渉り、今やこの県営マンションが殆ど空き家状態。近所でも噂になっているという。

教会に帰ってこの話を親父にすると、

「死にたがっている生霊という訳だな…」

と答えた。

「どうしたら良いと思う?」

と親父に尋ねてみた。

「どうしようもないだろう。願いを叶えてあげる訳にはいかないのだから」

俺は何とも言えない切なさと怖さを感じていた。

もしお爺さんが老衰で亡くなっても、生霊は本当の霊となって消えないのではないだろうか?

時間にプライドと羞恥心は破壊され、何も出来なくなって尚も孤独に生き続けることを常識に強要されている悲しい人間の、ぶつける場所すらない怒りと怨みは、どんな「負」を作り出して行くのだろう…。

そして今や高齢化社会。我々の未来は「負」を避ける術を持たない。

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