いつの小樽にもなかった住所

いつの小樽にもなかった住所

私の部屋の郵便受けだけ、番号の数字が新しく、ほかより少し大きく貼ってありました。

ほかの八つは、剥げかけた緑の数字です。

私の二〇一だけが、白くて、角が立っていました。

越してきた日に一度気づいて、それきり忘れていました。

坂の途中の部屋

五年前、私は小樽で契約社員をしていました。

港のほうにある倉庫会社の事務です。

二十四のときでした。

住んでいたのは、駅から山側へ上がった坂の途中のアパートです。

木造の二階建てで、外階段が鉄でできていました。

冬になると、その階段が凍ります。

降りるときは、手すりを掴んで、体を横にして降りました。

家賃が安かったのは、そのせいもあったと思います。

あのあたりは、坂の傾きが場所ごとに違います。

同じ道でも、上のほうと下のほうで足の運びを変えないと、膝に来るのです。

地元の人の歩き方は、すぐに分かりました。

体を斜めにして、歩幅を短くして上がっていきます。

私は、二年経ってもその歩き方になりませんでした。

部屋は、六畳と台所だけでした。

窓は二つあって、片方が路地に面しています。

路地側の窓は、隣の塀が近くて、昼でも薄暗いのです。

私は、そちらのカーテンをほとんど開けませんでした。

暗いからではなく、開けても何も見えないからです。

塀の面が、目の前にあるだけでした。

その塀に、雨の跡が縦に何本も走っていました。

越してきた春に、私はその本数を数えたことがあります。

数えて、途中でやめました。

数えるようなものではないと思ったからです。

顎で示す

小樽は、坂で道を訊かれることが多い町です。

観光の人が、地図を持って立ち止まっています。

私が越してきてすぐ、隣の部屋の老人に言われたことがあります。

その人は、一階の奥に長く住んでいる方でした。

「兄さん。道訊かれたらな、指さすなよ」

「指、駄目ですか」

「顎で示すの。こう」

老人は、顎を少しだけ上げてみせました。

「なんでですか」

「指さすとな、そっちの道が、その人の道になるべ」

意味は分かりませんでした。

年寄りの言うことだと思って、私は笑って聞いていました。

それでも、それから道を訊かれたときは、なんとなく顎で示していました。

癖というのは、意味が分からないままでも身につくものです。

倉庫会社の仕事は、伝票と電話がほとんどでした。

契約は一年ごとで、更新の面談が毎年二月にあります。

その時期になると、私はよく眠れなくなりました。

先のことが決まっていない暮らしというのは、足元だけを見て歩くようなものです。

あの坂を、私はいつも下を向いて上がっていました。

だから、路地に人が立っていても、直前まで気づかないのです。

その日も、そうでした。

※

夕方の路地

その日は、十月の終わりでした。

仕事が早く終わって、まだ明るいうちに坂を上がっていました。

明るいといっても、日が落ちかけていて、空だけが白い時間です。

アパートの手前に、細い路地があります。

塀と塀のあいだの、傘をさすとつかえるくらいの道です。

そこに、女の人が立っていました。

背が高い人でした。

私より頭ひとつ分は高かったと思います。

脚が、異様に細いのです。

細いというより、太さが足りていない、という感じでした。

そのせいでうまく立てないのか、膝から下がずっと震えていました。

手も同じでした。

木の枝のような腕の先に、真っ赤なハンドバッグを提げていました。

その赤だけが、路地のなかで浮いて見えました。

服のことも、覚えています。

薄い色の、丈の長い上着でした。

季節に対して、少し薄すぎました。

十月の終わりの小樽は、日が落ちると息が白くなります。

その人の息は、白くありませんでした。

そのことに気づいたのは、あとになってからです。

あれだけ大きく息を吐いていたのに、何も見えなかったのです。

道を教えて下さい

路地には、外灯が一つだけあります。

その灯りは、日が落ちきってから点きます。

あの日はまだ点いていませんでした。

点いていたら、私はもっとよく見てしまったと思います。

見なくて済んだのは、時間が半端だったからです。

半端な明るさに助けられることが、世の中にはあります。

すれ違おうとしたところで、声をかけられました。

「道を教えて下さい」

丁寧な言い方でした。

ただ、息が変でした。

はあ、はあ、と、溜め息とも呼吸ともつかない音を、何度も吐いています。

坂を上がってきた人の息ではありません。

もっと浅くて、間隔がばらばらでした。

それに、目が合いませんでした。

私に訊いているはずなのに、視線は私の肩の少し先を向いています。

塀のほうでもなく、空でもなく、その中間あたりです。

私は、早く答えて立ち去ろうと思いました。

「あ……あの。どちらへ」

その人は、少しだけ間を置きました。

そして、住所を言いました。

二〇一

「春日谷町一の十九の×、二〇一」

番地まで、はっきりと言いました。

私は、返事ができませんでした。

そこは、私のアパートの住所です。

部屋番号まで、そのままでした。

二〇一は、私の部屋です。

頭のなかで、いくつも考えが同時に動きました。

大家の知り合いだろうか。

前に住んでいた人を訪ねてきたのだろうか。

それとも、私に用があるのだろうか。

どれも、しっくり来ませんでした。

訪ねてきた人は、目の前の相手にその住所を訊いたりしません。

この人は、私が誰かを知らないまま、私の部屋を探しているのです。

言い方

あとから思えば、おかしなところがもう一つありました。

あの人は、番地を「一の十九の×」と言いました。

いまの表示なら、そこは丁目と番と号で言います。

不動産屋の書類も、郵便物も、全部その形です。

あの言い方をする人に、私は小樽で一度も会っていません。

役所の古い綴りのなかでだけ、その書き方を見ました。

訊かれたときは、それが自分の家だという驚きで、そこまで頭が回りませんでした。

回っていたら、たぶん返事もできなかったと思います。

知りません

私が言ったのは、一言だけでした。

「し、知りません」

本気で関わりたくありませんでした。

言ってから、しまったと思いました。

自分の家の住所を知らないと言ったのです。

嘘をついた気まずさが、こわさより先に来ました。

その人は、それを聞いて、お辞儀をしました。

普通のお辞儀ではありません。

腰のところで、ごきっ、と音がしました。

体が折れる音です。

頭が、膝より下まで行きました。

そのまま二秒ほど止まって、ゆっくり戻りました。

私は、お辞儀を返しませんでした。

返せなかった、というほうが正しいと思います。

その人は、ふらふらと路地の奥へ歩いていきました。

路地の奥は、突き当たりです。

私は、追いませんでした。

※

三度目だべ

それから一週間ほど、私は路地を通りませんでした。

遠回りになりますが、坂を一本ずらして上がっていました。

坂の下の交番の前を通るとき、私は一度だけ足を止めました。

相談するかどうか、迷ったのです。

言えることを頭のなかで並べてみました。

細い人に道を訊かれた。

その住所が自分の家だった。

知らないと答えた。

並べてみると、何も起きていないのです。

私は、そのまま坂を上がりました。

何も起きていない、というのが、いちばん落ち着かないことでした。

八日目に、面倒になって元の道に戻りました。

路地には、誰もいませんでした。

突き当たりまで行ってみました。

板塀で、行き止まりです。

板の下の隙間から、隣の敷地の草が見えていました。

人が抜けられる幅ではありませんでした。

私は、そこで少し立っていました。

それきり、その路地で誰かに会うことはありませんでした。

部屋に上がってから、私は窓の下を見ました。

路地は暗くなっていて、何も見えませんでした。

次の日の朝、階段のところで例の老人に会いました。

顔に出ていたのだと思います。

「兄さん。昨日、路地でなんかあったべ」

「……見てました?」

「見てないよ。顔でわかる」

私は、女の人のことを話しました。

住所のことは、途中まで話して止めました。

老人は、最後まで表情を変えませんでした。

「あの人な、今年で三度目だべ」

「三度目」

「うん。春と、夏と、昨日」

私が越してきたのは、その年の四月です。

春も夏も、私は同じ路地を毎日通っていました。

一度も見ていません。

「訊かれたら、知りませんって言うんだ」

「言いました」

「そうか。ならいい」

老人は、それだけ言って階段を降りていきました。

途中で一度止まって、振り向かずに付け足しました。

「お辞儀は、返さんかったな」

「返してません」

「ならいい」

老人には、もう一つだけ訊きました。

「なんで、住所を訊くんですかね」

老人は、しばらく考えてから答えました。

「訊かんきゃ、わからんからだべ」

「本人が住んでたなら、わかるでしょう」

「住んでたときと、番号が違うとしたらどうする」

私は、そのときは意味が取れませんでした。

意味が取れたのは、図書館へ行ったあとです。

前に住んでいた人

あの晩のあと、私は前の入居者のことを考えました。

大家さんに訊くと、前の人は三年住んで、札幌へ移ったそうです。

その前の人も、その前の人も、名前は分かっていました。

誰も、行方が知れないような人ではありませんでした。

「あの部屋でなんかあったことは、ないよ」

大家さんは、そう言いました。

訊く前に言われたので、私は少し驚きました。

「訊こうとしてたの、顔に出てた?」

「二階に住む人はね、みんな一回は訊くの」

それが、いちばんこたえた返事でした。

みんな一回は訊く。

つまり、二階に住んだ人は、みんな一度は何かを見ているのです。

返すと引き受けたことになる

その老人が話してくれたのは、それから少しあとです。

坂の町の、古い決まりごとなのだと言っていました。

道を訊かれたら、指ではなく顎で示す。

訊かれた住所が自分の住所だったら、知りません、と返す。

知りませんは嘘ではなく、教えられません、という意味の決まった返しなのだそうです。

そして、お辞儀を返さない。

返すと、案内を引き受けたことになる。

老人は、その決まりを誰から聞いたのかは言いませんでした。

訊いても、坂の人はみんな知っている、と返すだけです。

私は、勤め先の同僚にも訊いてみました。

小樽で生まれ育った人です。

顎で示すという話は、知っていました。

知りませんと返す話は、知りませんでした。

「うちの婆ちゃんなら知ってるかも」

その同僚は、そう言って笑いました。

結局、訊いてもらうことはしませんでした。

「引き受けたら、どうなるんですか」

「連れてかんきゃならんべ」

「どこへ」

「その住所へ」

私は、笑いませんでした。

あの人が探していたのは、私の部屋の番号です。

引き受けていたら、私は自分の部屋へ案内していたことになります。

307号室のない階という話を読んだとき、私はこの晩のことを思い出しました。

建物の番号というのは、思っているほど確かなものではないようです。

※

増築

大家さんに、部屋番号のことを訊いたのは、その冬でした。

郵便受けの数字だけが新しい理由です。

「ああ、あれね。二階を足したときに付けたの」

「足した」

「もともと平屋だったのよ、あそこ」

私は、初めて知りました。

階段が外に付いているのも、そのせいでした。

あとから乗せたので、内側に階段を通す場所がなかったのです。

「いつごろですか」

「私が継ぐ前だから、五十年は経ってないくらいかね」

大家さんは、書類の綴りを出してきてくれました。

綴りには、工事の図面も挟まっていました。

平屋の上に、四角い箱を乗せただけの図です。

階段は、あとから外側に描き足してありました。

部屋割りの欄に、鉛筆で番号が振ってあります。

二〇一、二〇二、二〇三。

その三つだけが、他とは違う筆跡でした。

大家さんは、そこを指で押さえて言いました。

「これね、市に出す前に自分たちで振ったんだと思う」

「決まりとかは」

「当時は、そんなに厳しくなかったんじゃないの」

増築の年が、そこに書いてありました。

二〇一という数字が貼られたのは、増築のあとでした。

その冬、私は郵便受けの二〇一の数字を、指でなぞったことがあります。

プラスチックの、薄い板です。

爪を入れると、少し浮きました。

下に、何かが貼ってありました。

剥がしはしませんでした。

剥がすと、下の数字が読めてしまうからです。

読めてしまえば、私はその番号を覚えることになります。

覚えれば、次に訊かれたときに、知らないと言えなくなる気がしました。

私は、板を元の位置まで押し戻しました。

押し戻すときに、指が滑りました。

その日は、それだけです。

消えた町名

そのあと、私は市の図書館へ行きました。

住居表示の変更の記録が、郷土資料の棚にありました。

春日谷町という町名は、ありました。

ただし、廃止されていました。

郷土資料の棚には、古い住宅地図もありました。

春日谷町の時代の、手描きに近い地図です。

その一の十九のところに、四角が一つ描いてありました。

平屋の四角です。

住んでいた人の名字が、なかに小さく入っていました。

読める字ではありませんでした。

掠れているのではなく、印刷そのものが潰れていたのです。

私は、その一区画だけを長いこと見ていました。

住居表示が変わったのは、増築よりずっと前です。

いまの町名になってから、あのアパートに二階が乗りました。

つまり、春日谷町と呼ばれていた時代には、あの建物に二階がありません。

二〇一という部屋も、ありません。

私は、年表の二つの数字を、指で押さえて並べました。

あの町名と、あの部屋番号が同じ時にあったことは、一度もありませんでした。

※

いまも

私は、二年前に札幌へ移りました。

あのアパートは、まだ建っています。

去年、用事のついでに坂を上がって、下から見上げました。

郵便受けの二〇一は、また少し古びていました。

消えた帰り道という話を読んだときにも思いましたが、道というのは、こちらが覚えているほうが本当だとは限らないようです。

いまも、道を訊かれると、私は顎で示します。

そして、去年、娘が生まれました。

まだ喋りもしない子に、私は寝かしつけながら言っています。

知らないって言いなさい、と。

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