虐めの代償

教室(フリー素材)

ありがちな話ではあるが、辻君が中学三年生の頃、クラスで虐めがあった。

ターゲットは朝比奈麗子(仮名)という可憐な名前を持つが、どちらかと言えば地味な女子だったという。

クラスの小林君という男子を中心に虐めは始まった。

辻君は中心にはならないが、かと言って止めるでもなく、傍から眺めていたそうだ。

朝比奈さんの近くで臭い臭いと連呼する。

机に黴が生えた食パンを入れる。給食にダンゴムシを入れる。机にラクガキをする。

いかにも中学生がやりそうな虐めだった。

ある時、小林君は朝比奈さんの後頭部に体操着袋を思い切り投げつけた。

クスクスクス……と辻君を含めた笑い声が立った。

しかし朝比奈さんは大きなリアクションを取らなかった。

辻君はさり気なく近付いて朝比奈さんの様子を伺った。泣いているのだと思った。

だとすれば面倒なことになる。

自分も教師に呼び出されるかもしれない。

だが朝比奈さんは泣いてはいなかった。

呟いていた。

「……あなたは強い子立派な子、あなたは強い子立派な子……」

気味の悪さに辻君は鳥肌を立てた。

「今で言う、引いたってやつだよ」と辻君は説明する。

虐めも徐々に沈静化して行った秋、文化祭の時期になった。

文化祭で辻君のクラスは研究物の展示会にしたという。

しかし大してやる気のないクラスだったので、いざ飾ってみると明らかに華が足りない。

担任教師は少しでもポーズを取る必要があったのか、教室を飾りつけ、後ろの黒板にイラストを描くことを提案したそうだ。

内容は『白雪姫』。いかにも良いアイデアだと言うかのように担任は言い切った。

白けた空気が漂った。

意外なことに、イラスト担当におずおずと挙手した人間は、件の朝比奈さんだった。

他にやりたい人間はいなかったのですんなり決まった。

虐めていた連中は嘲り笑いの用意をしながらイラストの完成を待ったそうだ。

しかし予想に反して黒板に描かれるイラストは上手かった。

下書きの過程でもクオリティが他の生徒と段違いであることは誰しもが解った。

中学生だった辻君の目には、まるでプロのイラストレーターのように見えたそうだ。

白雪姫という何とも垢抜けないテーマだったにも関わらず、顔立ちをくっきりと濃くして色を鮮やかにすることにより、まるで海外製ポスターのようにクールな白雪姫になって行った。

「すごい」

みんな心の中では驚きと同時に賛辞を与えていただろうと辻君は言う。

しかしそこが中学生連中。

劣るべきはずの者が、何かしら秀でるスキルを持つことは許されない。そんな理不尽極まりない怒りだった。

もちろん中学生はそんな苛立ちは上手く言葉にできない。

口にできない以上、取るべき行動は一つだった。

虐めの再開だった。

通りすがりに強くぶつかる。

数人で物を一斉に投げつける。

ウケ狙いとして朝比奈さんに緑色のハンドソープを吹き付ける。

流石に辻君も眉を顰めた。

しかし朝比奈さんは相変わらず泣くことはなく、お経のように「あなたは強い子立派な子」と唱えているばかりだった。

リアクションの薄さに焦れた虐め連中は、イラストが描かれた黒板に目を付けた。

しかし一度に消してしまえば流石に問題になる。

ヘタレの担任も問題にするだろうから、そうならないように徐々に消して行こう。

虐め主犯格の小林君のアイデアだったそうだ。

計画通り少しずつイラストは消えて行った。

朝比奈さんは新しく描いて行く場所はそのままに、数日前に描いていたところからゆっくり、黴が侵食するように消えて行った。

白雪姫の鮮やかな線は掠れ、首は途切れ、瞳は消された。

効果は覿面だった。

朝比奈さんは学校に来なくなったそうだ。

文化祭が終わっても朝比奈さんは戻って来なかった。

クラスの生徒は黒板のイラストが気になり始めたそうだ。

「消さなかったの? 文化祭終わったのに?」

「……結局文化祭の時は後ろの黒板にはポスターを貼って誤魔化したよ。ポスターを剥がす時に消せば良かったんだけど……力作だったのは皆んな知ってたから……」

皆んな、積極的に悪者にはなりたくなかったのだ。

見て見ぬふりをしたまま時間は過ぎた。

異変に気付いたのは女子だった。

「白雪姫がこっちを見てる」

授業中、掃除の時間、忘れ物を取りに来た時、瞳を消された目から視線を感じる……。

そんな噂が立った。

一人の女子は「放課後教室に寄ると白雪姫が嗤っていた」とも話した。

噂は男子にも伝わった。

後ろの黒板に近い席の生徒達は、毎日背後から薄気味悪い気配を感じ始めたそうだ。

――明日には消そう、来週には消そう。誰かが消してくれるだろう。

そんな静かな期待を受け止めたのは、小林君だった。

放課後、小林君は集めた観衆の前で全てを消した。

線の一本も残さず、どこか焦ったように消したそうだ。

一ヶ月ぶりに綺麗になったホワイトボードに、小林君は女性器のマークを描いた。

その時の表情はどこか、借金取りに迫られた債務者のような面だったという。

二日後。辻君が帰宅する時、珍しく小林君が一緒に帰ろうと誘ってきた。

ここから話はありがちな内容ではなくなる。

歩きながら小林君は何でもなさそうな風を装いながら話し始めた。

馬鹿げた話だった。

白雪姫が家の前で待っていたという。

朝比奈さんが描いた通りの濃い顔立ちの白雪姫が、夢でも幻覚でもなく、憎悪を込めた瞳で睨み付けてくるという。

小林君が声を荒げてもそれは消えない。

それどころか一日一日、家に近付いて来る。

今では玄関を入ってすぐの廊下に立っている。朝も夕も深夜も、小林君の部屋をめがけて少しずつ近くなって来るそうだ。

このままだと部屋に入って来る日は遠くない、そう小林君は語った。

辻君は何と言えば良いか解らなかった。

「白雪姫でしょ? 殴っちゃえばいいじゃん」

「もうやったよ。そうしたら……」

小林君はポケットに入れっぱなしにしていた右手を差し出した。

拳には肌が見えないほど絆創膏が貼り付けられてあった。

「親の話だと、何か俺、寝坊けて包丁が入った引き出しに手を突っ込んだみたい。全然覚えてないんだけど……」

小林君は顔面を蒼白させていた。

「辻さ、朝比奈のとこに行くから付いて来てくんない?」

謝りに行くのだろうと辻君は察した。以前から頼み事があれば断らない自分を選んだのだろうと理解した。

だが困っている小林君を見ても、どうにも気が進まなかったという。

馬鹿げた発想だが、仮に朝比奈が「呪い」をかけていたのであれば、謝ってどうにかなる問題とは思えなかった。

全ては小林君の思い込みとして片付けたかった。

「ごめん、親から用事頼まれてるから……」

そう断り、歩き出そうとする辻君を小林君は遮った。

「頼むよ」

必死な表情に、益々不吉な予感が高まった。

「ごめん」

逃げるように歩き出すと、小林君は腕を掴んできた。

「ごめんじゃねーよ。お前も朝比奈のこと虐めてたじゃねえか。何で俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだよ。おかしいだろ。俺だけなんて、不平等だろ。お前らも……」

裾がめくれ、小林君の腕が見えた。

噴火口のように真っ赤に腫れ上がった瘤があちこちに出来ていた。

そこからマヨネーズのような黄色い汁が噴き出している。

腕が元のように肌色に戻ることは金輪際有り得なさそうだった。

「白雪姫消してからこうなってんだよ。ずっと握られてるみたいに、感覚がどんどん無くなっていくんだよ、これ。なぁ、これどうなるんだよ」

辻君は思わず走って逃げてしまったそうだ。

翌日から小林君は卒業まで学校に来なくなった。

一度だけ家の留守番電話に「赦してもらえなかった」と、伝言があったという。

朝比奈さんに続き、二人目の不登校生徒を出した担任は、卒業式に苦言を呈したそうだ。

「虐めは無かったと思うが、もう少し思いやりを持っても良かったんじゃないか。将来立派な人間になっていることを先生は願っている」

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