存在しない駅にて
公開日: 異世界に行った話

その日、彼はひどく疲れていました。
残業で遅くなり、帰宅するために電車に乗り込んだのは深夜に差し掛かる頃。
既にいつも使っている快速は運行を終えており、各駅停車の普通電車に揺られて帰るしかありませんでした。
そのため、移動時間もいつもより長くなり、つい彼は座席に体を預けたまま、深い眠りに落ちてしまったのです。
※
どれくらいの時間が経ったでしょうか。
彼がふと目を覚ますと、窓の外には見慣れぬ景色が広がっていました。
通い慣れた快速の停車駅とはまるで違う風景。彼は寝過ごしてしまったのだと慌てて電車を降りました。
駅のホームに立ち、辺りを見渡します。
列車はすぐに発車していき、彼を一人残して闇の中へと去っていきました。
駅名を示す看板には「○○駅」と記されています。
彼の記憶にはない駅名でした。
そして奇妙なことに、駅員の姿はなく、時刻表も掲示されていない。
まるで人の気配のない、忘れられた駅のようでした。
※
このままでは帰れない。
そう判断した彼は、近くの町まで歩き、タクシーを拾うか、最悪でも宿を見つけて始発を待つつもりで歩き始めました。
しかし、歩けど歩けど何も見えない。
建物どころか、街灯すらなく、辺りは闇に包まれています。
道は舗装されておらず、歩きにくい獣道のような状態で、体力も限界に近づいていました。
やがて、大きな岩がひとつ、道の脇に姿を現しました。
彼はそこに腰を下ろし、息を整えることにしました。
※
そのとき、不意に携帯電話が鳴りました。
発信者は、近所に住む親友でした。
「お前、まだ帰ってねぇの? 今日、ゲーム返しに行くって言ってたろ。残業って聞いてたけど、まだ会社?」
電話越しに聞こえる友人の声は、変わらずの日常を伝えていました。
彼は慌てて、自分の置かれている状況を説明しました。
「今、○○駅っていうとこにいるんだ。知らない場所なんだけど、迎えに来れないか?」
「○○駅? 聞いたことないな…ちょっとネットで調べてみるわ。待っててくれ」
電話は一旦切れました。
※
十分ほどして、再び電話が鳴りました。
「おい、その駅名、本当に合ってるか? どこにもそんな駅、存在しないぞ」
友人の困惑した声が響きました。
彼はあの駅の看板を思い出しましたが、既に駅を離れていたため確認のしようがありませんでした。
すると友人は続けました。
「お前の乗ってる路線って、寝過ごしてもそんな田舎まで行かないだろ? 終点は××市だぞ」
確かに、彼の記憶でも終点は都市部の駅であり、あんな山奥のような場所ではないはずです。
不安と焦燥が募る中、突然、電話の電波が途絶えました。
携帯は一切の操作を受け付けず、画面も反応しなくなったのです。
そして、その場の静寂と闇に包まれながら、彼は強い恐怖に襲われ、意識を失ってしまいました。
※
次に目を覚ましたとき、空は明るくなっており、夜の恐ろしさがまるで幻だったかのように思えました。
周囲の景色を見渡すと、そこは確かに終点に近い町の郊外でした。
駅名も、確かに××市の近くのものでした。
彼はそのまま家に帰りました。幸い、その日は仕事が休みだったのです。
※
帰宅後、彼は昨夜の出来事が夢ではなかったかを確認するため、パソコンで「○○駅」を検索しました。
しかし、やはり存在しない駅名でした。
さらに詳細を知るために、質問掲示板に「○○駅という駅をご存知ですか?」と書き込んでみました。
その夜、友人がゲームを返しに来た後、掲示板を確認してみると、一件の返信がついていました。
「○○駅なら知ってます。以前、友人がそこへ行ったと話していました。
でも、できればお祓いを受けた方がいいです。
その友人も、話をした数日後に事故で亡くなっています」
※
彼は翌日、会社を休んで、神社へ行きお祓いを受けました。
そして数日後、彼は交通事故に遭いました。
しかし幸いなことに命に別状はなく、腕と足の骨折で済みました。
彼は今でも思っています。
あの夜、あの場所で、何か別の存在と交わってしまったのではないかと。
そして、「○○駅」とは、現実と異界の狭間にある、忘れられた“どこか”なのかもしれないと。