
一年前の出来事。
友人に誘われ、私はあるMMO(オンラインゲーム)を始めた。
それまでネットゲームどころか、オンラインでのチャット経験もなかった私は、偶然にも大規模ギルドに拾われ、そこで古参プレイヤーたちからプレイや会話のマナーを教わった。
キャラクターは順調に成長し、いつも楽しくプレイできた。
初心者だったこともあり、私はギルド内で可愛がられていたと思う。
その中に、Aという古参メンバーがいた。
Aは長年プレイを続け、ギルド内でもトップクラスのレベルを誇り、滅多に手に入らないレア装備をいくつも持っていた。
誰もが一目置く存在だった。
Aは、特に私を気にかけてくれていたようで、頻繁にレベル上げを手伝ってくれ、使わなくなった装備も惜しみなく譲ってくれた。
ギルドの仲は良く、リアルでの知り合い同士も多かった。
ゲームをしながらスカイプで会話をしたり、メールアドレスを交換するのも珍しくなかった。
メンバーの多くは関東や関西に住んでおり、北海道の私はオフ会に参加したことはなかったが、そのやり取りに違和感を持つことはなかった。
私もAを含む数名とは、性別や職業など簡単な素性やメールアドレスを教え合っていた。
今思えば、携帯番号や詳しい住所まで伝えなかったのは、幸いだった。
※
Aは関西在住の大学生だった。
次第に、ゲームにログインしている間、常にAが絡んでくるようになった。
ギルドでの狩りはもちろん、私が一人で遊んでいる時も、Aから耳打ち(一対一のチャット)が飛んでくる。
「○○ハケーン(´・ω・)」 「今何してるの? 一人なら行ってもいい?(´・ω・
)」
「もしかして誰かと一緒?(´・ω・`)」
どのメッセージにも、必ず(´・ω・`)という顔文字が付いていた。
ある日、別の友人と忙しい狩場にいたため、耳打ちに返信できず、そのままにしていた。
すると1分も経たないうちに、画面全体に見える通常チャットで「(´・ω・`)」と送られた。
遠くの狩場にいるはずのAが、すぐ近くに来ていたのだ。
仕方なく狩りを中断し、返事が遅れたことを謝ると、Aはこう返した。
「いいよ、○○は僕といるよりも他の人といるほうが楽しいんだよね(´・ω・`)」
そしてログアウト。
私は唖然とし、一緒にいた友人はドン引きしていた。
その時から、Aの私への異常な執着を感じ始めた。
※
ログインすると、すぐにAから「(´・ω・`)」が届くようになった。
ゲームには友達登録機能があり、相手がログインすると場所まで特定できる。
Aはそれを使い、私の行動を常に監視していた。
怖くなった私は、ゲームにログインすることを控えるようになった。
すると今度は、毎日のように携帯にメールが届く。
「どうして最近ログインしないの?(´・ω・)」 「○○がいないとさみしいよ(´・ω・
)」
「もしかして僕のこと嫌いになったの? 僕はこんなに好きなのに(´・ω・`)」
最初はかわしていたが、時間を問わず届くメールに、ついに限界を迎えた。
ある日、思い切ってこう送った。
「私はゲームではみんなと楽しく遊びたいし、Aだけに特別な感情はない。
真夜中のメールも迷惑になるから控えてほしい」
すると返ってきたのは、やはり「(´・ω・`)」。
もううんざりだった。
それからAとのやり取りはなくなり、私もほとんどログインしなくなった。
※
ログインしなくなって3週間ほど経った頃、仲の良いギルドメンバーからメールが届いた。
「最近見ないけど忙しいのかな? みんな寂しがってるよ。
そうそう、Aも大学辞めたとかで全然いないんだよねー」
Aが大学を辞めたと聞き、嫌な予感がよぎったが、その時は深く考えなかった。
※
私は当時、資格系スクールの講師をしており、無料体験授業を担当していた。
授業の最後には、感想や講師の印象、氏名や住所を入力するアンケートをお願いしていた。
その日もアンケート結果を確認していると、手が止まった。
【授業の感想】
(´・ω・`)
【講師の印象】
(´・ω・`)
【氏名】
Aのキャラ名
【住所】
関西
全身の毛が逆立った。
受講者の中に、Aがいたのだ。
Aがまだ普通だった頃、「北海道の駅前にある資格学校で働いている」と話したことがあった。
その情報だけを頼りに、Aは私の職場を突き止めたのだ。
恐ろしくなり、仕事を早退して自宅には戻らず、200キロ離れた実家へ避難した。
※
後日、仲の良いメンバーに事情を話し、ゲームから引退した。
その後、Aが北海道で仕事を探していると聞き、すぐに携帯を変え、結婚を機に道外へ移った。
顔も知らないゲーム仲間が、そこまで現実に踏み込んでくるとは思わなかった。
アンケートで「(´・ω・`)」を見た瞬間の恐怖は、今でも鮮明に覚えている。
そして私は、もう二度とネットゲームをしないと決めた。