好きだった叔父さん
公開日: 死ぬ程洒落にならない怖い話
小学生の頃、家に叔父さんが居候していた。
叔父さんは工場の仕事をクビになり、家賃も払えなくなってアパートを追い出され、毎日やることも無く俺んちでゴロゴロしていた。
収入も無く毎日安酒を飲んで寝ているだけの叔父さんだったけど、甥っ子の俺のことは可愛がってくれていた。
時々アイスを買ってくれたり、釣りやクワガタ採りに連れて行ってくれたりして、俺はこの叔父さんのことが本当に好きだった。
※
叔父さんが居候し始めて半年が過ぎた頃。
ある土曜日の雨の深夜、親父と伯父さんが階下で言い争いをしている声が聞こえた。
かなり激しい怒鳴り合いだったので、聴いていたラジオを消し息を殺して聞いていると、バタンとドアが閉まる音がして叔父さんがドカドカと階段を上がって来た。
『げっ、俺の部屋に来んの?』とビビっていると、隣の仏間の障子がピシャっと閉まる音がした。
俺はそっと布団に潜り込み暫くドキドキしていたが、いつの間にか寝入ってしまった。
※
翌日の日曜、俺の両親は店へ行き、家には俺と叔父さんの二人きりになった。
俺は昨日のことは知らない振りで、日曜の昼のテレビを見ながら母ちゃんが用意してくれていた唐揚げで昼飯を食っていた。
その時、叔父さんが仏間から出て来る音がして、階段を下りる音が聞こえた。
俺は少し緊張しながら、
「おじさん、おはよ~」
と言うと、叔父さんも
「おう、何や、美味そうやな」
と一緒にご飯を食べ始めた。
「ツトム(仮名)、飯食ったら釣り行くか?」
と誘われたので、俺も子供心に叔父さんを慰めてやろうと
「うん」
と返事をした。
※
釣竿を二本持ち、仕掛けの詰まった箱をバケツに入れて、俺と叔父さんはいつも釣りに行く近所の滝壺へ向かった。
滝壺は前日の雨で水位が増し、コーヒー牛乳色の濁流が厚い渦を巻いていた。
「あんまり釣れそうやないね」
と俺が言うと、叔父さんも
「どうやろか、ちょっとやってみようか」
と応えた。
「こういう時の方が却って釣れるもんやけん。ウナギとか釣れるとぞ」
と言い、叔父さんは滝壺の方まで進んだ。
俺は『こんな奥に行かんでもいいのになー』と思いながらも、言葉少なに早足で進む叔父さんの後を付いて行った。
「ここでいいか」
叔父さんは滝壺手前の高い大岩の前で止まった。
「ツトム、この上から釣ろうか。ちょっと上ってみ」
と俺を持ち上げた。
俺が脇を抱えられ岩の上に這い上がると、
「どうや? 水の具合は。釣れそうか?」
と叔父さんが聞いてきた。
俺は濁流が渦巻く水面を覗き込み、
「魚やらいっちょん見えんよ」
と魚影を探した。
暫く水面を見ていた俺は叔父さんの返事が無いことに気付き、
「伯父さん?」
と振り返った。
岩の下に居たはずの叔父さんは俺の直ぐ背後に立ち、俺を突き落とそうとするような格好で両手を自分の胸の前に上げていた。
振り向きざまに叔父さんの姿を見た俺は固まった。
叔父さんは無表情で、力の無い目をしていた。
蝉の鳴き声をバックに時が止まった。
俺は何も言えずに、叔父さんの目をただ見つめ返すことしか出来なかった。
汗が頬を伝い、身動きの出来ない体の中で、ただ心臓の鼓動だけが高鳴った。
伯父さんも手を下ろそうとせずに、ただ無気力な目で俺を見つめていた。
※
どれくらい見詰め合っただろう。
不意に叔父さんの背後の藪がガサガサと鳴った。
両者ともはっと我に返り、藪に目をやった。
見ると近所の農家のおっさんらしき人が、こちらに気付く様子も無く横切って行った。
俺は叔父さんの横を通り過ぎて、
「今日は釣れそうにないけん、俺先帰っとくね」
とだけ言って歩き出した。
滝から少し離れると、俺は弾かれたように全速ダッシュで逃げた。
振り返るとあの目をした叔父さんがすぐ後に居るような気がして、俺は前のめりになって全力で走った。
※
大分走った頃、自分がボロボロ泣いていることに気付いた。
俺は家に帰らず、両親の居る店へと向かった。
当時定食屋をやっていた両親の店で、俺は両親が店を終わるまで過ごした。
※
伯父はその日、帰って来なかった。
翌日の夜に親父が警察へ届け、数日後に水死体で見付かった。
俺は滝壺であったことを一切語らず、伯父は一人で釣り中の事故で片付いた。
※
俺が持ち帰った仕掛け箱には、叔父さんの字で書かれたメモがあった。
それには、
『ツトムを連れて行く』
とだけ書いてあった。