
大学四年の夏、私は卒業記念に一人でドライブ旅行をすることにした。行き先は決めず、気の向くまま山道を走り続けるだけの、気ままな旅だった。お金もほとんど使わずに済む。車の中で寝ればいい。そんな軽い気持ちで出発したのに、今となっては、もう少し慎重に計画を立てておけばよかったと思う。
八月三十一日の夜、長野の山奥を走っていたとき、カーナビが圏外になった。スマートフォンも同じく電波ゼロ。霧が出てきて、ヘッドライトの先が白く塗り潰されるほど視界が悪くなった。山の中の細い道で、バックもUターンもできるような広さがない。仕方なく霧の中をゆっくり前進していると、突然、灯りが見えた。
提灯の灯りだった。
オレンジと赤の提灯が、霧の向こうにいくつも浮かんでいた。太鼓の音も聞こえてきた。夏の盆祭りのような、のんびりとした音。助かったと思った。地元の人に道を聞ける。そう思って、路肩に車を停めて外に出た。
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霧の中を歩いていくと、集落の広場に出た。屋台が十軒以上並んでいた。お面の屋台、金魚すくい、たこ焼き、綿菓子、輪投げ。浴衣を着た人たちがゆっくりと歩いている。提灯の明かりに照らされて、みんな穏やかな表情をしていた。どこにでもある田舎の盆祭りの光景で、最初は特に何も感じなかった。
でも、歩きながら少しずつ、違和感が積み重なっていった。
まず、誰も汗をかいていなかった。八月の夜で、提灯の熱気と人混みで蒸し暑いはずだった。私は五分も歩いていないのに首筋が汗ばんでいた。なのに屋台の人たちも、浴衣の女性たちも、走り回る子どもたちも、肌がさらさらと乾いていた。まるで展示されているみたいに。
次に気になったのは、祭りの音だった。太鼓の音は絶え間なく続いているのに、どこで鳴っているのかわからなかった。音の出所を探して広場の中を歩き回ったが、太鼓らしきものはどこにも見当たらなかった。人の笑い声や話し声もない。みんな口を動かしているのに、声が聞こえなかった。
道を聞こうと「すみません、国道に出たいんですけど」と話しかけると、どの人も笑顔で応じてくれた。言葉も丁寧で、声も穏やかだった。でも気づいたのは、笑顔の形が全員、まったく同じだということだった。口角の上がり方、目の細め方、首の傾け方まで、まるでコピーしたみたいに一致していた。
「この先をまっすぐ行けば国道に出ますよ」と、三人に聞いて三人全員が同じ言葉で答えた。でも「この先」がどちらの方向を指しているのか何度聞いても、全員が同じ方向を無言で指差すだけで、距離も目印も教えてくれなかった。
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空腹を感じていたので、たこ焼きの屋台で一串買った。お金を渡すと、おじさんは同じ笑顔で受け取り、つり銭を渡してくれた。味は普通だった。食べながら歩いていると、後ろから視線を感じた。振り返ると、たこ焼きのおじさんが笑顔のままこちらを見ていた。離れても視線が続く気がして、別の屋台の方に移動した。すると今度は、そこにいたおばさんも私のほうを見ていた。
いつのまにか、広場にいる全員が私のほうを向いていた。
屋台の人も、浴衣の人も、子どもたちも。全員が同じ角度で顔を向けて、全員が同じ笑顔で立っていた。太鼓の音は続いているのに、誰も動いていなかった。
怖くなって、車に戻ろうとした。でも来た方向がわからなくなっていた。霧の中で、どこを向いても同じような提灯の列が続くだけで、広場の端に出られない。歩いても歩いても、屋台と提灯と笑顔の人たちが続いた。走ろうとしたが、脚が思うように動かなかった。空気が重かった。息をするたびに、霧が肺の中に入ってくるような感覚があった。
広場の隅にあったベンチに腰を下ろした。少し落ち着いてから探そうと思った。目を閉じて、深呼吸した。
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気がついたら、朝だった。
ベンチの上で目が覚めた。広場には、何も残っていなかった。屋台も、提灯も、人も、ゴミ一つもなかった。草の生えた空き地と、奥に古びた小さな鳥居があるだけだった。
スマートフォンを確認すると、電波が三本立っていた。日時の表示を見て、声が出なくなった。
九月十二日だった。
車はすぐ近くの路肩にそのまま停まっていた。ナビの言う通りに走ると、十五分で国道に出た。あの人たちが指差していた「この先」は、本当にただ十五分進むだけの場所だった。
帰宅してから母に電話すると、泣きながら「何度かけても出ないし、警察にも相談したんだよ、どこに行ってたの」と言われた。
あのたこ焼きのレシートが、今も財布の中に入っている。日付は八月三十一日だ。
でも私には、その夜から十二日間に何があったのか、何一つ思い出せない。あの人たちの笑顔のことは覚えているのに、その後のことは何も。誰かに話すたびに「夢でも見たんじゃないの」と言われる。そうかもしれない。でも財布の中のレシートは、本物だ。