国道沿いの灯り

山道のホテルと霧の夜

俺は長距離トラックの運転手を二十年近くやっている。関東から東北、たまに北海道まで走ることもある。夜通し走って、朝方に安いビジネスホテルで仮眠を取る。そんな生活をずっと続けてきた。この仕事を始めた頃は、知らない土地で眠ることに緊張したものだが、今はもう慣れた。どこでも五分で眠れる。

あれは去年の十一月のことだ。秋田から青森に向かう途中、いつもより疲労がひどくて、国道沿いで適当な宿を探していた。深夜二時を過ぎた頃だったと思う。十一月の東北はもう冬のようなもので、フロントガラスの端に霜がつき始めていた。

山あいの国道を走っていると、左手に小さなビジネスホテルの看板が見えた。「ホテルさくら」という名前で、看板の電気はついている。周囲は真っ暗で、ホテルの灯りだけが道沿いにぽつんと浮かんでいた。駐車場も広そうだったので、トラックを停めて中に入った。

フロントには誰もいなかった。カウンターの上にベルがあったので鳴らしてみたが、奥から人が出てくる気配はない。壁の時計は二時十七分を指していた。ロビーには小さなソファと雑誌ラックがあったが、雑誌のタイトルがどれも古い。表紙の日付をちらりと見たが、そのときは気にしなかった。

帰ろうかと思ったとき、カウンターの端に白い封筒が置いてあるのに気づいた。封筒の表に「お客様へ」と手書きされていて、中にはカードキーと一枚のメモが入っていた。「二階 二〇五号室をお使いください。料金は翌朝フロントにてお支払いください」とだけ書かれている。丸みのある女性の筆跡だった。

地方の小さなホテルでは、深夜はフロントを閉めて、こういう対応をするところもある。俺は特に不審には思わず、階段を上がって二〇五号室に入った。

部屋は古いが、きちんと掃除されていた。ベッドのシーツも清潔で、畳んだタオルが枕元に置いてある。エアコンも動く。窓の外は真っ暗で、国道を走る車のヘッドライトがたまに壁を横切るだけだった。廊下から微かに、花のような匂いがした。何の花かはわからない。季節外れの甘い香りだった。俺はシャワーを浴びて、すぐにベッドに入った。

夜中に一度だけ目が覚めた。廊下を誰かが歩く音がしたからだ。スリッパではない、素足のような、ぺたぺたという湿った足音だった。足音は俺の部屋の前でぴたりと止まった。

しばらく何も聞こえなかった。十秒か、二十秒か。ドアの向こうに誰かが立っている気配だけがあった。やがて、足音はゆっくりと遠ざかっていった。階段を下りていく音がして、それきり静かになった。

他の客だろうと思って、そのまま寝直した。

朝の六時に目覚ましで起きた。身支度をして一階に降りると、フロントには相変わらず誰もいない。だが、カウンターの上に朝食らしいものが並んでいた。パックのおにぎりが二つと、ペットボトルのお茶。小皿に漬物も少し。その横に手書きの伝票があり、「宿泊代 三千五百円」とだけ書いてあった。

俺は財布から四千円を出して伝票の横に置き、カードキーもそこに返した。おにぎりは梅と昆布で、まだほんのり温かかった。

建物を出ると、外は薄曇りで、吐く息が白い。駐車場には俺のトラック以外に車は一台もなかった。出発するとき、バックミラーに映ったホテルの外観を何となく見た。二階の窓が一つだけ、カーテンが揺れたように見えた。風だろうと思った。

二週間後、同じルートを走った。あの宿が意外と快適だったので、また泊まろうと思ったのだ。安いし、静かだし、おにぎりも悪くなかった。同じ時間帯に同じ国道を走り、あの看板を探した。

だが、見つからなかった。

この辺りだったはず、と思って速度を落として注意深く見たが、それらしい建物がない。道の左側にはただ暗い林が続いているだけだった。仕方なく、少し先のコンビニに入って、店員の若い男に聞いてみた。

「この近くに、ホテルさくらっていうビジネスホテルがあったと思うんですが」

店員は少し考えてから言った。「ああ、さくらさんですか。あそこ、三年くらい前に閉めましたよ。おばあちゃんが一人でやってたんですけど、亡くなられて。それからずっと空き家です」

俺は曖昧に頷いて、コンビニを出た。念のため、店員が指さした方向に車を走らせてみた。五分ほどで、確かに「ホテルさくら」の建物が見えた。だが、看板の電気は消えていて、駐車場は雑草だらけだった。窓はすべてカーテンが引かれているのか、中が真っ暗だった。入口には板が打ち付けてあり、「立入禁止」の紙が貼ってあった。

トラックに戻って、ダッシュボードの小物入れを開けた。あの夜の領収書が残っていないか確認するためだ。領収書はなかった。当然だ、伝票の横に現金を置いただけだから。

ただ、一つだけ気になるものがあった。ジャケットのポケットに、ペットボトルのお茶のラベルが剥がれて入っていた。あの朝、フロントに置かれていたお茶のラベルだ。見慣れないデザインで、メーカー名も聞いたことがない。後で調べてみたが、そのメーカーは七年前に廃業していた。

あの晩、廊下を歩いていた足音が何だったのか、俺にはわからない。あの宿で俺を迎えてくれたのが誰だったのかも。ただ、部屋は清潔だったし、おにぎりはちゃんとした味がした。三千五百円は、悪くない値段だったと思う。

それからも月に一度はあの国道を走る。ホテルさくらの前を通るたびに、速度を少し落とす。看板に灯りがついていないか、確認するために。まだ一度も、ついていたことはない。

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