
何から説明すればいいのか、自分でも少し迷っています。
先日、小学校の同窓会がありました。
出席率のいい私たちのクラスは、物故者を除けば全員が揃い、久しぶりに「○○小学校 6 年 2 組」が再集合したのです。
しかも、当時の担任だった恩師も高齢ながら健在で、会場に姿を見せてくださいました。
背は少し丸くなり、歩みもゆっくりでしたが、声と目だけは昔のままでした。
乾杯のあと、誰かが持ってきた小学校のアルバムがテーブルに広げられました。
一番盛り上がったのは、卒業間近の全員集合写真です。
恩師はその写真を見つめると、迷いのない指先で一人ひとりを示しながら、名前を読み上げ始めました。
「これは○○だな。」
「こっちは△△。」
「お、□□、相変わらず真面目そうな顔をしてるな。」
私たちは笑いながら、しかし内心では感動していました。
何十年も前の子どもたちの顔を、こうして順番に思い出してくださるのです。
ところが、途中で恩師の指が止まりました。
写真の端のほうにいる、ひとりの男の子の前で。
恩師は少し眉を寄せ、次に申し訳なさそうに笑って言いました。
「すまん……この子だけは、どうしても思い出せん。」
最初は、単に一人だけ名前が出てこないのだろうと、誰もが軽く考えました。
年齢を考えれば、無理もないと思ったのです。
ですが、そこでおかしな沈黙が生まれました。
恩師だけではなく、私たちも誰一人として、その男の子が誰なのか分からなかったのです。
「こんな顔のやつ、いたっけ?」
「転校生だったとか?」
「いや、転校生なら覚えてるだろ。」
そんな会話が交差し、笑いもだんだん消えていきました。
そこで誰かが言いました。
「名簿と照らせば分かるんじゃないか。」
当日、幹事が持ってきていた卒業名簿を開き、写真の人数と数え合わせることになりました。
ここで、さらに奇妙なことが起きました。
名簿に載っている人数より、集合写真の人数が一人多かったのです。
つまり、写真には「名簿にいないはずの子」が写っていました。
冗談の入り込む余地がありませんでした。
写真が加工されたり差し替えられたりする時代ではありませんし、アルバムは複数人が持ち寄っていました。
別の人のアルバムでも、その集合写真は同じでした。
そして、決定的だったのは次のことです。
その男の子は、集合写真だけに写っていたのではありませんでした。
運動会の写真にもいました。
校庭で遊んでいるスナップにもいました。
教室で笑っている写真にもいました。
遠足の集合写真にもいました。
どれも自然な距離感で、私たちの中に混ざり、当たり前のように写っているのです。
写り込みというには、存在感がはっきりしすぎていました。
誰かの後ろに偶然入ったという感じでもありませんでした。
まるで「このクラスの一員」として、当然の位置にいるのです。
その場は、誰も大声を出さなくなりました。
恩師も、アルバムのページをめくる手を止めたまま、しばらく写真を見つめていました。
私たちは言葉を探しながら、いくつかの可能性を挙げました。
別のクラスの写真が混ざったのではないか。
撮影の時に他の子が紛れ込んだのではないか。
たまたま同じ制服の子が通りかかったのではないか。
しかし、すぐに全部が崩れました。
制服は同じでも、写っている場所は教室の中や遠足先など、外部の子が偶然入り込める状況ではありません。
何より、その子は一枚だけではなく、複数の場面に繰り返し写っているのです。
そして、私たちは気づいてしまいました。
写真の中のその子は、こちらを見ていることが多かったのです。
カメラ目線というだけなら普通です。
ですが、どの写真でも、どこか落ち着きすぎている。
子どもらしい無邪気さというより、妙に静かな表情をしていました。
笑っていても、目が笑っていないように見える瞬間がある。
そんな印象が、何人かの胸に同時に引っかかったのです。
帰り際、私たちは互いの電話番号を交換しました。
「もし思い出したら、すぐ教えてくれ。」
それは社交辞令ではありませんでした。
本気で、あの子の名前を知りたかったのです。
家に戻っても、頭から離れませんでした。
私は自分の古い荷物を引っ張り出し、卒業文集を探しました。
しかし、名前の一覧にはそれらしい人物が見当たりませんでした。
当時の寄せ書きも探しました。
それでも、記憶の端に引っかかるような名前は出てきませんでした。
翌日から数日間、同級生たちのグループ連絡も静まり返りました。
誰かが「あの子の名前分かった」と言い出すのを待っている空気が、薄く続いていました。
けれど結局、誰からも情報は届きませんでした。
その結果、私は五十代にもなって、あり得ない想像を始めることになりました。
一人だけ、どこかで時空の歪みに落ちてしまったのではないか。
あるいは、私たちの記憶から消えるような形で、存在そのものが抜け落ちてしまったのではないか。
もちろん、そんな話が現実に起きるはずがないことは分かっています。
ですが、それでも説明がつかないものを前にすると、人は合理性だけで踏ん張れなくなるのだと思います。
写真の中には、確かに「彼」がいる。
名簿には、確かに「彼」がいない。
そして私たちの記憶の中にも、確かに「彼」がいない。
この三つが揃ったまま、どうしても崩れないのです。
同窓会からしばらく経った今でも、ときどき思い出します。
あの場で、恩師の指が止まった瞬間の空気を。
誰も冗談を言えなくなった静けさを。
そして何より、写真の中の少年の目を。
こちらを見ているようで、こちらを見ていないような、あの不思議な目を。
もし、いつか誰かが本当に思い出したなら。
それが怖いのか、救いなのか。
自分でもまだ、分かりません。