
一年に一度しか会わない友人がいます。
AとB、そして俺。
高校時代の友人で、今も続いている縁はこの二人だけです。
集合するのは、毎年七月末の土日でした。
Aが声をかけ、二泊三日のキャンプをする。
互いの仕事や住んでいる地域は、なんとなく把握しています。
けれど、詳しく聞いたり、実際に訪ねたりしたことはありません。
信州の未整備の森へ入り、渓流の水を汲み、米を炊き、肉を焼く。
四十歳に手が届きそうな男三人が、焚き木を囲んで、小学生のような話をする。
それが、毎年変わらない習慣でした。
※
その夏、俺たちはふと気づきました。
「これ、たぶん十周年じゃないか」
焚き火の火が落ち着いたころ、一年目からの出来事を順に思い出して語り合い始めました。
ところが、どうにも話が噛み合いませんでした。
Aは言いました。
「最初の年は、俺が大学院を卒業した二十五の夏だ」
俺は首をひねりました。
俺の記憶では、その年、俺はまだ東京にいたはずでした。
「俺が地元に戻ってきたのは二十七だ」
俺はそう思っていました。
するとBが、別の起点を持ち出しました。
「俺の結婚式だろ。
二十九のときに、二人を呼んで、そこで再会して、また交流が復活した」
俺とAは顔を見合わせました。
そんな結婚式に呼ばれた記憶が、どうしても出てこなかったのです。
最初は、酒のせいだと笑いました。
「おっさんの記憶なんて、こんなもんだな」
けれど、話を進めるほど、笑って済ませられない感覚がじわじわと広がりました。
キャンプの始まりが、それぞれの人生の転機と結びついていて、簡単に取り違えられる種類の記憶ではなかったからです。
俺にとって、二十七歳まで地元へ帰るのは、正月とGW、それと祖父の葬儀くらいでした。
その生活のままでは、Aが言う二十五の夏に、信州でキャンプをしているはずがない。
翌朝、テントの外でAと改めて確認しました。
「Bの結婚式、覚えてるか」
Aは即答しました。
「いや、呼ばれてないと思う」
そして、妙に現実的なことを言いました。
「呼ばれたなら、俺の結婚式にも呼んでるだろ」
その瞬間、俺は妙な引っかかりを覚えました。
俺たちは結婚式の話をしているのに、誰一人として配偶者の名前も、式場も、写真も、具体的なことを語れていない。
それなのに三人とも、なぜか「自分たちは既婚者だ」という前提で話をしていました。
※
昼に合流してからも、俺たちは過去のエピソードを掘り起こしました。
不思議なことに、出来事そのものはよく一致しました。
徹夜した文化祭前夜の空気。
その年の出し物の段取り。
Aの家がたまり場だった頃の、部屋の匂い。
そこで遊んだ『ポピュラス』。
ディスクドライブの調子が悪くて、立ち上がりが遅かった『ザナック』。
高二の初詣で、Bが急性アルコール中毒になり、俺とAが必死で水を飲ませたこと。
救急車を呼ぶかどうかで揉めたこと。
その後、Bが泣きながら「もう酒やめる」と言って、翌週には普通に飲んでいたこと。
どれも、三人が同じ場面を見てきたように笑えるのです。
その一致が、逆に怖くなりました。
いらいらし始めたAが、冗談めかして言いました。
「なあ、みんな何年生まれだ。
何歳だよ」
俺は、何の気なしに答えました。
「昭和四十七年」
焚き火の爆ぜる音だけが残り、場の空気が凍りつきました。
Aが、ゆっくり首を振りました。
「俺、違う」
Bも、小さく言いました。
「俺も違う」
慌てて互いに財布を出し、免許証を確認し合いました。
そこには、疑いようのない生年月日が並んでいました。
AとBは四歳違いで、俺も、二人のどちらとも一致していませんでした。
高校時代に留年した者はいない。
それどころか、三人とも「同級生として」自然に話してきたはずでした。
Bが苦し紛れに言いました。
「同窓会の名簿見たら、何期生かわかるだろ」
Aが眉をひそめました。
「……お前、三○高校だろ」
Bはきょとんとしました。
「え、俺は水○高校だけど」
ここで初めて、三人のうち一人の高校が違っていることが判明しました。
なのに、文化祭前夜の記憶が一致している。
Aの家でゲームをした記憶が一致している。
初詣でBが倒れた記憶も一致している。
共通の友だちの話題が、ほとんど出てこなかった理由が、そこでようやく腑に落ちました。
俺たちの共通点は、孤独だった高校時代でした。
それぞれ、クラスの中心にいるタイプではなかった。
広い交友関係もなかった。
だからこそ、三人だけの記憶の塊が、外側と結びつかないまま残っていたのかもしれません。
※
その夜のキャンプは、ことのほか派手になりました。
酒の量も、肉の量も、笑い声も。
けれど、焚き火の底には、冷たいものが沈んでいました。
親しいはずなのに、どこかよそよそしい。
確かめ合うほど、距離が開いていく。
俺は何度も思いました。
俺たちは、どこで知り合ったのか。
そして、誰と、十年も同じ焚き火を囲んできたのか。
時空の歪み、という言葉で片づけるのは簡単です。
けれど、あのとき怖かったのは、歪みよりももっと現実的な感覚でした。
「同じだと思っていたものが、最初から違っていた」
その事実に、遅れて気づく怖さです。
それでも、来年も七月末が来るでしょう。
Aからいつものように、短い連絡が入るでしょう。
もし携帯が鳴ったら。
俺はきっと、また森へ行きます。
そしてまた、同じ焚き火の前に座るのだと思います。
あの一致した笑いが、本物だったと信じたいからです。