最終列車の影

夕暮れの廃駅と老人

私はフリーランスの写真家をしている。主に廃墟や廃線、取り残された建造物を撮るのが仕事で、各地のローカル雑誌やウェブメディアからたまに声がかかる。依頼が来るたびに車に機材を積んで、たいていは一人で出かける。

あれは去年の秋のことだった。

長野県の山間部に、二十年以上前に廃線になったローカル鉄道があった。沿線の過疎化が進み、利用客が減って、最終的には撤去を免れたまま朽ちている区間もあると聞いていた。駅舎はほとんど残っていないが、いくつかの駅はホームだけが残っており、訪れる鉄道ファンや写真家も少なくないらしかった。知人の編集者から「廃線の特集に使いたい」と依頼を受けて、私は一人で車を走らせた。

最寄りのインターから下道を一時間以上。山の中腹に差しかかったあたりで、ナビが「目的地周辺です」と告げて黙った。道路脇に古い標識が出ていて、「××駅跡」と矢印で書いてあった。標識に従って細い脇道に入ると、しばらくして木々の間に白いコンクリートのホームが見えてきた。

駅舎はすでに屋根が崩落していたが、ホームだけは残っていた。かつては黄色く塗られていたらしい安全線が、今は剥げかけてほとんど消えかかっていた。線路はなかった。枕木だけが地面に半分埋まる形で等間隔に並んでいて、それが線路の跡だとわかった。

私はカメラを出して撮影を始めた。秋の夕方で光の角度がちょうどよく、枕木が作る長い影が斜めに連なって画になった。ホームの端から端まで歩きながら、構図を変えながら三十分ほどかけて撮り続けた。人里から離れた場所で、風の音と、遠くの木を揺らす葉擦れの音しかしなかった。

ホームを一通り歩き終えて、入口側に戻ってきたころ、気配を感じた。

振り返ると、ホームの入口近く——私が最初に上がってきた石段のそば——に老人が立っていた。

七十代か、もう少し上か。紺色の作業着に似た上着を着て、古びた帽子を目深にかぶっていた。手には何も持っていない。いつからそこにいたのか、まったく気づかなかった。

「撮影ですか」と老人は言った。

「はい。雑誌の仕事で」

「そうですか」と老人は言った。それから少し間があって、「もうすぐ来ますよ」と続けた。

「何がですか」と私は聞いた。

「列車が」

廃線になって二十年以上経っている。私は軽く笑って「そうですね」と答えた。老人も特に訂正しようとしなかった。

老人はしばらくホームに立って、線路の跡——枕木が並ぶだけの地面——を眺めていた。私も横に並んで、なんとなく同じ方向を見た。風が来て、ホームの端に積もっていた枯れ葉が舞い上がった。老人は特に何かを探すふうでもなく、ただそこに立っていた。

「お帰りになるんですか」と老人が言った。

気がつくと夕日がかなり沈んでいた。山の中は日が落ちるのが早い。私は「そろそろ」と答えて、カメラをバッグにしまい始めた。

「また来てください」

老人の声はそう聞こえた。

私は「はい、ありがとうございます」と言って石段を降りた。車に乗り込んでから窓越しに振り返ったとき、ホームには誰もいなかった。老人はいつの間にかいなくなっていた。山道を降りる間も、もう一度ホームの方向が見えるカーブがあったが、そこに人影はなかった。

宿に戻ってから、その日に撮った写真をパソコンに取り込んだ。二百枚以上あった。

撮影中に気に入ったカットから順に確認していくと、ホームを端から端まで撮ったシリーズで、一枚だけ気になるカットが見つかった。

夕日を斜めから受けた枕木の影が連なる写真だった。構図は悪くない。ただ一点だけ、不思議なことがあった。

写真の右端——石段のそば——に、長い影が映り込んでいた。

縦に伸びた、人の形をした影だ。

私はその写真を拡大した。影はたしかに人の形をしていた。帽子をかぶったような輪郭。ただ、影の主はどこにも写っていなかった。影だけがあって、それを作るべき人物がいなかった。

その周辺のカットを前後で確認した。同じ場所に影があるカットが、十数枚続いていた。撮影の順序から言えば、私が老人を見つけるより前の時間帯に当たるカットにも、同じ影があった。

私がホームに着いた直後から、その影はそこにあった。

影だけが写って、人は写っていない。

それだけなら「光の角度がおかしかった」「柱か木の枝が影を作った」で説明がつくかもしれない。私もそう思おうとした。

ただ、もう一枚だけ、引っかかる写真があった。

ホームのほぼ中央から出口の方向を撮ったカットで、石段と、その上に立つ老人の後ろ姿がはっきりと写っていた。帽子と紺の上着。間違いなくあの老人だった。老人の足元から石段に向かって、影が伸びていた。

その影の向きが、おかしかった。

夕日は西から差していた。なら影は東に伸びるはずだ。しかしその写真の中で、老人の影はホームの奥——つまり私がいた方向——に向かって伸びていた。

太陽と反対の方向に、影が伸びていた。

私は何度もその写真を確認した。光源を確認した。露出の値を確認した。フラッシュは使っていない。それでも影の向きは変わらなかった。

編集者には翌日に写真を納品したが、そのカットだけは選ばなかった。

どう説明すればいいかわからなかったし、今もわからない。

あの老人が何者だったのか、どこから来てどこへ去ったのか、今でも考えることがある。ただひとつ確かなことがあるとすれば、私がホームにいる間、あの場所には私ともう一つの気配があった。そしてそれは、最初から私のそばにいたのだということだ。

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