サイトアイコン 怖い話・不思議な体験・異世界体験談まとめ|ミステリー

307号室のない階

廊下

去年の秋、仕事で東北のある地方都市に出張した時の話だ。

フリーランスのWebデザイナーをやっている俺は、取引先との打ち合わせのために二泊三日で現地入りした。

宿は駅前のビジネスホテルを取った。一泊五千円台の、どこにでもあるような古いホテルだった。

チェックインしたのは夜の九時過ぎ。フロントで鍵を受け取った。307号室。

「エレベーターで三階まで上がって、右手の奥です」

フロントの女性はにこやかだった。普通のチェックインだった。

エレベーターに乗り、3のボタンを押した。扉が閉まり、ゆっくりと上がっていく。

三階で降りると、薄暗い廊下が続いていた。

古いホテル特有の、カーペットが少しへたった感じ。蛍光灯が一本切れかけていて、廊下の奥がぼんやり暗かった。

307号室はすぐに見つかった。鍵を開けて中に入る。

普通のシングルルーム。ベッド、テレビ、ユニットバス。窓の外に駐車場の明かりが見えた。

疲れていた俺はシャワーだけ浴びて、すぐにベッドに潜り込んだ。

違和感に気づいたのは、深夜二時頃だった。

ふと目が覚めた。別に物音がしたわけじゃない。ただ、妙に静かだった。

ビジネスホテルの深夜というのは、それなりに音がするものだ。隣の部屋のテレビ、上の階の足音、エレベーターの作動音。

でも、何もなかった。完全な無音だった。

耳を澄ましても、自分の心臓の音しか聞こえない。

トイレに行こうと起き上がった時、窓の外を見て変だと思った。

さっきまで見えていた駐車場の明かりが消えていた。というか、外が真っ暗だった。街灯も、向かいのビルの明かりも、何もない。

田舎とはいえ駅前だ。こんなに真っ暗になるはずがない。

カーテンを開けてみた。窓ガラスの向こうに、ただ黒い空間が広がっていた。

星もない。月もない。地上の灯りもない。上下左右すべてが均一な暗闇だった。

「……停電か?」

そう呟いてから気づいた。部屋の中の電気はついている。枕元の時計も光っている。テレビの赤いランプも点灯している。

部屋の中は正常なのに、外だけが消えている。

気味が悪くなって、廊下に出てみた。

廊下は薄暗かったが、さっきと同じだった。蛍光灯が一本切れかけている。カーペットの模様も同じ。

ただ、やはり音がなかった。

俺の足音だけが、妙に近くで聞こえた。

廊下の突き当たりにある窓を見た。そこからも、外は真っ暗だった。

エレベーターのボタンを押してみた。光ったが、いくら待っても来なかった。

階段を探した。非常口の緑のランプが点いていたので、そちらに向かった。

階段の踊り場に、フロア表示のプレートがあった。

「3F」。

一段下りて、次の踊り場。

「3F」。

もう一段下りた。

「3F」。

何階分下りても、3Fのままだった。

上にも行ってみた。同じだった。どこまで上がっても、3F。

足が震え始めた。

部屋に戻ろうとした。307号室のドアは開いたままだった。中に入って、鍵をかけた。

スマホを見た。電波が入っていない。時刻は2:14で止まっていた。タップしても反応しない。画面だけが明るく光っていた。

どれくらいそうしていたかわからない。

ベッドの上で膝を抱えて、ただ座っていた。

不思議と、恐怖というより、ある種の諦めに近い感覚が広がっていた。

ここがどこかはわからない。でも、自分にできることは何もないとわかっていた。

目を閉じた。

……次に目を開けた時、窓の外が明るかった。

カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。駐車場が見えた。車が何台か停まっていた。向かいのコンビニの看板が光っていた。

スマホを見た。7:23。電波も入っている。昨日の夜に設定したアラームが鳴らなかったらしいが、それ以外は正常だった。

夢だったのか。

そう思いながらチェックアウトのためにフロントに降りた。

「307号室でした。ありがとうございました」

鍵を返そうとした時、フロントの男性が少し怪訝な顔をした。昨日の女性とは別の人だった。

「307号室、ですか」

「ええ。三階の奥の」

男性はパソコンの画面を見て、それから俺の顔を見た。

「お客様のご予約は207号室になっておりますが……当ホテルに三階はございません」

頭が真っ白になった。

「いや、昨日チェックインした時に307と言われて——」

「昨夜のフロント担当は私一人です。夜間の女性スタッフの配置はございません」

男性の表情は淡々としていた。からかっている様子はなかった。

俺は手に持っていた鍵を見た。金属製のキーホルダーに「307」と刻印されている。

確かにここにある。でも、存在しないと言われている。

男性は鍵を受け取り、しばらくそれを眺めていた。

「……この鍵は当ホテルのものではありませんね」

そう言って、鍵を俺に返した。

俺はその鍵を握ったまま、ホテルを出た。

外に出てから振り返って、建物を見上げた。

二階建てだった。

三階など、どこにもなかった。

手の中の鍵は、帰りの新幹線の中で見たら消えていた。ポケットにも鞄にもなかった。

あの夜、俺はどこに泊まっていたのだろう。

今でも、わからない。

モバイルバージョンを終了