小学生の頃、ムギという名前の茶色い雑種犬を飼っていた。
家の前をウロウロしていたのを父が拾ったのだ。その時は既に成犬だった。
鼻の周りが薄っすらと白い毛に覆われていたので、もしかすると老犬だったのかもしれない。
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家へと続く一本道を歩いて帰ると、ムギは遠くからでも私を見分けてくれた。
出掛ける時は、角に曲がった私が消えるまでじっと見つめていた。
ムギはいつも私の前をグングン歩いた。連れられていたのは私の方みたいだった。
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ムギが来た春からちょうど一年目に、ムギはフィラリアで倒れた。
既に心臓にも虫が入り込んでいるらしい、と両親が話しているのを聞いた。
ムギは歩けなくなり、いつも玄関に敷いた毛布の上でグッタリとしていた。
ムギは卵の黄身が大好きで、どんな時もそれだけは口にできたので、家の冷蔵庫には卵が欠かさず入れてあった。
私はいつものようにムギに黄身をやっていた。
少しずつ、美味しそうに舐めているムギの頭を優しく撫でてやった。
食べ終わり、皿を下げようとすると、ムギは「ワン」と小さな声で鳴いた。
もっと欲しい、と言っているように思えた。冷蔵庫を覗くと卵が切れている。
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早く食べさせてあげたい、と私は近くのスーパーまで走った。
スーパーには舗装されていない大きな駐車場があり、そこを横切った。
すると、駐車場の端に茶色い犬が伏せているのが見える。
垂れた耳に、反り返った長い尻尾、赤い首輪…。ムギによく似ている。
「ムギ―!!」と呼ぶと、その犬はムギがそうするように、上目遣いで私を見た。
尻尾を2、3回振ると、身体を起こして「ワン」と小さく鳴いた。
どうみてもムギだ。声も仕草もムギそのもの。
犬は尻尾をパタパタと振った後、隣の家の生垣に吸い込まれて行った。
でも、何故か私は動けなかった。
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私はとにかく早く家に帰りたかった。卵のパックを抱えて走った。
早く、早く大好きな卵をムギに食べさせたかった。食べさえすれば、ムギは…。
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玄関のドアを開けると、母親がムギの身体に覆い被さっていた。
父親が「ムギ、寝てると思ったら、ね」と言って私の頭を抱えてくれた。
もしかしたら、最期はひどく苦しんだのかもしれない。
誰も言わないけれど、ムギはそんな自分を妹分に見せたくなかったのかもしれない。
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ムギは垂れた耳に、反り返った長い尻尾を持ち、赤い首輪をした茶色い犬だ。
寝ているところを呼ぶと、上目遣いに私を見上げて尻尾を振り、小さく「ワン」と鳴くんだ。
居るはずのない場所に現れたと思ったら、実は亡くなっていた…という話はよくありますね。あれは確かにムギだった、と思う。