小学校に上がる前の、夏の終わりの頃の話。
私は田舎にある母方の祖父母の家で昼寝をしていた。
喉が渇いて目が覚めると、違和感を覚えた。何回も遊びに来ている家だけど、何かが違う。
部屋にあったはずのおばあちゃんのベッドがなぜか仏間にあるし、ただの壁だった縁側の突き当たりに謎の扉があるし、広い家の中で私を一人ぼっちにして、おばあちゃんはどこかへ出かけたようだった。
セミの声もしないし、おじいちゃんが大事にしていた小鳥も小魚もいなくて、昼寝前に従兄弟と遊んでいた客間には、見慣れないティーセットが何組も飾られたガラス張りの食器棚が出現していた。
今まで寝ていたお座敷に戻ってみると、さっきまであったタオルケットが無くなっている。
ここで半ベソ状態だったんだけど、玄関の引き戸をトントンと叩く音がしたので『おじいちゃんが早く帰ってきた!』と思い、涙も引っ込んだ私は廊下に出た。
おじいちゃんはいつも帰ってくると引き戸を軽く叩いて、おばあちゃんを呼んで戸を開けてもらって家に上がってきていた。
田舎だから鍵は掛かっていなかったけど、おばあちゃんに開けてもらうのがおじいちゃんのマイルールだった。
引き戸はすりガラスで、人の影が立っているのが見えた。
その人影は頭部が異様に大きく、首から下は妙にひょろひょろと細長かった。
そのシルエットにビビった私はお座敷に戻り襖を閉めて、仏壇の座布団の下に頭を突っ込んで震えていた。
※
いつの間にか寝ていたようで、『おつかいありさん』という童謡を歌うおばあちゃんの大声で起きた。
歌うことも珍しいおばあちゃんが大声で歌っているのにもびっくりしたけど、無くなったタオルケットが体にかかっていて、仏壇のあるお座敷の奥ではなく縁側に寝ていたのにも驚いた。
おばあちゃんがアイスをくれるというので起き上がった私は、縁側の突き当たりに扉を見つけてしまって大泣きした。
おばあちゃんは、
「ママは結婚式で遠くへ行っちゃったのよ」「◯◯ちゃんはお留守番できるって言ってたじゃない」
となだめようとしたけどそうじゃない。
客間へ走って行ったらやはり食器棚があって、私は食堂のテーブルの下に潜ってわあわあ泣き続けた。
おばあちゃんは根気良く私をなだめてアイスを食べさせてくれた。
※
夜になって、玄関から「トントン」と音がした。
おばあちゃんと一緒に廊下へ出ると、あの頭部の大きいひょろひょろの人影が二つ蠢いていた。
彼らは直立しているのではなく、手足を妙にぐにゃぐにゃと遊ばせていて、不気味さが増していた。
私は再び食堂のテーブルに潜り込んだけれど、引き戸を開ける音がした。
おばあちゃんに「◯◯ちゃん、お迎えが来たよ」「おじいちゃんとお父さんだよ」と呼ばれ、私は仕方なく玄関に行った。
異様に大きい頭部は人間の顔ではなく、両目とも黒目が描き込まれただるまに似たものだった。
二人とも夏だというのに真っ白い長袖長ズボンで、手足をぶらぶらぐにゃぐにゃと遊ばせていた。
怖すぎて声も出せず、食堂のテーブルの下で丸まって泣いていると、おばあちゃんが女の人を連れて戻ってきた。
おばあちゃんが言うには、その女の人が「◯◯ちゃんを迎えにきたママ」で、女の人は「結婚式に出ていたから迎えに来るのが遅くなってごめんね」と私に謝った。
母にとてもよく似た別人、と言うとはっきりしないけれど、瓜二つの双子のような、なんとなく雰囲気が違う、そんな感じ。
母は上に兄姉がいる末っ子で、双子ではない。
※
母を名乗る女の人に連れられ、当時住んでいた都市部のアパートに帰ったが、見覚えのない巨大な扇子が部屋に飾られていたり、玄関の横に物置のような部屋が増えていた。
その部屋は『反省部屋』と呼ばれていて、母に叱られた後、夕御飯までそこに閉じ込められることが何回かあった。
父親は記憶通りの顔形でほっとした。
※
それからも祖父母の家に行くことが何度かあったので、現れた縁側の扉や客間の食器棚、消えた小鳥と小魚についておじいちゃんに聞いてみた。
現れたものは元からあって、消えたものは元から無いことになっていた。
おじいちゃんは私が小鳥と小魚を欲しがっているのかと思ったようで、次に遊びに行った時には玄関に鳥かご、居間にアクアリウムがあった。
母は「急に水槽とか鳥とか、お父さんどうしちゃったんだろう」と不思議がっていた。
※
私が高校を卒業する頃には祖父母とも亡くなってしまった。
私は県外の大学に進学したため2年前に家を出て、今は父、母、妹の三人で暮らしている。
※
今年の4月に母から電話がかかってきた。祖父母の家で遺品整理をしたという。
『いつの間にか客間にばかでかい食器棚を増やして、使いもしないティーセット飾っちゃってさあ』と愚痴られてぞわっとした。
その日は適当に話を合わせて電話を切り、GWに帰省した。
十数年見慣れた母と現在の母の違いは、私にはもう曖昧になってしまったが、母から生まれた妹には「ママ、お姉ちゃんがいなくなってから違う人みたいになっちゃった」と言われた。
「どういうふうに?」と聞いたら、「なんとなく別人な気がする」というはっきりしない答え。
帰京する当日、母と二人でお昼ご飯を食べながら、
「おじいちゃんちに小鳥と小魚いたけど、なんで飼い始めたんだろうね」と何気ない風を装って話を振ると、
「昔から、鳥とか魚とか、何が可愛いのか解らないもの飼うの好きな人だったからねえ。
実家にいた頃はママがお世話をしてて、ママの部屋だった離れを鳥屋敷にするくらい一杯飼っていた時もあったのよ」と苦笑いしていた。
私の母は戻ってきたが、妹を産んだ母はどこに行ったのだろう。
父はこの異変に全く気付いていない。