差し障りがあるといけないので、時と場所は伏せて書きます。
そこの施設内で、度々動物の惨殺死体が発見されるのです。
そこにいた子供に聞くと「きらきらさんがやった」と言います。
「きらきらさんってなに?」と聞くと両目を両手で隠し「しらない」としか言いません。
そこの職員も「きらきらさん」が何なのか、さっぱり分からず不気味に思っていました。
ある日、施設内の庭に子供達を連れ出した時、私と手を繋いでる男の子が小さく「あっ」と声を漏らし「きらきらさんだ」と言って、青空の一点を見つめました。
私も空を見つめましたが何も見えません。
ふと気がつくと、他の子供達も徐々に「きらきらさん」に気がついたらしく、ひとり、またひとりと空を見上げ、結局その場の子供達全員が同じ空の一点を見つめているのです。
「きらきらさん」に向かって、にこにこ手を振っている子もいます。
とても晴れ渡った明るい昼下がりに、突然起こったこの不安な静寂に耐え切れず、私は手を繋いでいた男の子の前にしゃがみこみ「なんにも見えないよ? きらきらさんってなんなの?」と問いかけました。
するとやはり、両目を両手で隠し「しらない」というのです。
私は彼の両目を覆っている両手を外し「私も知りたいなー。教えてよ」と言いました。
すると、その子はいきなり、両手の人差し指を思い切り突き出し私の両目を衝こうとしたのです。
驚いて尻もちをついたので、その攻撃を避けることができましたが、今度はその突き出した両手の人差し指を、同じ勢いで、何の躊躇いもなく彼は自分の両目に突き刺したのです。
あまりのことに我を忘れて私は彼に飛びかかり、押し倒し、さらに力を込めて自分の目にねじ入れようとしている小さな両手を必死に押え「だれかっ!だれかああぁあ!!たすけてったすけてぇぇぇ!!!」と絶叫していました。
子供とは思えないような力でした。
私と揉み合う内に、彼は自分を取り戻したのでしょうか。
不意に「目が痛いよーーー!!痛い痛いよーー!」と泣き出しました。
まるで今ケガに気がついたように。
すぐに病院に連れて行き、失明を免れることはできましたが、後遺症は残ってしまいました。
私は今まで、この体験は集団ヒステリーのようなものだと思っていました。
または空想の産物の共有みたいなことが起こっていたのかもと解釈していました。
しかし、時も場所も違うにも関わらず『ヒサルキ』という話が存在し、『きらきらさん』を体験した私がいる。
言葉を上手く操れない子供達は、得体の知れないものに対して勝手に名前を付け、親しんでしまうことがあります。
大人がある時ふと耳にする聞きなれない子供達の「造語」に立ち入ってはいけない場合があるのではないか…。
今になってそう思います。