うちのおかんの話。
当時おかんは6人兄弟(男3人、女3人)の長男の嫁として嫁いで来た。
長男の弟妹はまだみんな学生で、謂わば小姑的存在。
かなりの貧乏で、姑とお舅との折り合いも悪く、特にお舅は
「パチンコ代が無いから子供の学費をよこせ」
と言うような無茶苦茶な人で、旦那(つまり俺の親)の庇い立ても一切無い。寧ろ一緒になっていびられた。
畑仕事で毎日こき使われ、姑と旦那が悪口を言い触らしてくれているので、近所や旦那の親戚周りの評価と言えば奴隷か何か。嘲笑の的だ。
味方も無く金も無い。
毎日が針のむしろだったおかんはある日、赤子だった俺を抱いて自殺を決意したそうな。
※
家を抜け出し、春の夜中にとぼとぼと歩き続けて、いつの間にか地域では有名な古い桜の木の下へ。
これが見事な桜でね、盆栽の松のような見事な枝ぶりで…。
住人の思い出や記念の場所として、とても愛された木だったんだよ。
おかんも事ある毎に、その桜のある場所に行っていたらしい。
その桜がまた満開でね、月明かりに桜がはらはら散るんだよ。
街灯の無い時代に、その桜の白い花びらがぼんやり見えるのがまた綺麗で、
「もうこれで見納めやなぁ。あんたにどれだけ慰められたか…今までありがとう」
と泣きながら桜に話し掛けたら、ふと背後から
「こんばんわ」
と声を掛けられた。
振り向いたら、笑顔いっぱいの四角い顔をしたおじいさんが居たそうな。
真夜中。おかんの手には赤ん坊。懐中電灯も持っていないおじいさんが暗がりで笑顔。
普通だったら恐怖だよ、女だし。これから自殺するというのに変だけど。
でも不思議と恐怖という感情が湧かなかったそうな。
それで、その見知らぬおじいさんに
「子供が風邪ひくわ。はよ帰り」
と言われて、腕の中を見て帰らなきゃと思ったらしい。
心中しようとした人間が、これから殺す子の風邪を気にするなんて変だ。
おじいさんの肩を横切ったところで、おかんもそのことに気付いたらしい。
それで振り返ったら、笑顔のおじいさんが居ないの。桜の木があるだけ。
※
ちなみに、おじいさんは死んだ曽祖父(写真が飾ってある)でもなければ、地域住人でもない。
今はその桜の木も、住人の反対の声も空しく工事の関係で切られたけど。
桜の精というのかな? あるんだな、こういうの。おかげで俺、生きてるし。
以上、おかんの昔話でした。