以前付き合っていた霊感の強い女性から聞いた話。
「これまで色んな霊体験してきて、洒落にならんくらい怖い目にあったことってないの?」と尋ねたら教えてくれた。
俺が聞き伝えでここで書いても、その時の恐怖の状況が上手く伝わるかどうか分からないが、これまで色々なところで聞いた話の中では一番怖かった。
※
舞台は今から19年前、某県の山中にある、Nダムというダム湖のそばで起きた実話です。
彼女は家電量販店で働いていて、その日、とある町に注文を受けたテレビを一人で配達に行った。
たまたまその町には彼女の叔母が住んでいて、叔母さんの方にも私用があったから、配達の前に叔母さんの家に寄った。
ついでにテレビの配達先の家を知らないかと叔母さんに尋ねると、お客さんの家は叔母さんの家から目と鼻の先で、テレビの配達も無事に済ませた。
帰る前、叔母さんに「隣接するK市内に寄って帰りたいから、ここから近道はないのか」と再度尋ねたら、Nダムのそばを通る裏道を教えてもらった。
そして、彼女はその道を通って帰路についた。
※
その日は昼間から曇天で薄暗かったらしいが、あまり気にせずに近道と教わった山中の一本道をずっと走っていた。
しかし、そろそろ山を下ってK市内に出ても良いはずなのに、一向に山道を抜けないし、それどころかアスファルトの舗装も無くなり、車が一台通れる程度の凄く狭いデコボコ道になってきた。
彼女がさすがに『道を間違えたのかな?』と不安になっていたら、ちょうどそこに農作業の帰り道とおぼしき一人のお婆さんが通りかかった。
そのお婆さんに
「すみません。この道はK市に抜ける道で合ってますか?」
と尋ねると、
「いや、この道は違うけえ。この先もうちょっと行った所に民家があって、そこの家の前が広うなっとるけえ、そこでUターンしんさい」
と親切に教えてくれたそうだ。
彼女はお礼を言い、教えてもらった民家まで車を進めた。
※
しばらく行くとお婆さんの言った通りに民家が見えてきたのだが、それがこんな山中になぜ…というくらい大きな屋敷で、母屋の他に納屋と倉まで建っている、昔の豪農のような佇まいだった。
ともかく彼女はその家の前を借りて、車をUターンさせようとした。その時、先程道を教えてもらったお婆さんがなぜか車の横に立っている。
車でかなり走ってきたのに、なぜさっき別れたばかりのお婆さんがこんなところに?
彼女は気味が悪くなったのだが、一応窓を開けて先程のお礼を再度述べたそうだ。
するとお婆さんは、
「せっかくだから家でお茶でも飲んでいきんさい」
と彼女に強く勧めるので、導かれるままに彼女は車を降りたそうだ(この辺りから、記憶ははっきりしているが、彼女自身の意思とは別のモノに操られている感覚があったという)。
すると、お婆さんが家の中に向かって、
「おじいさーん、きょうこさんが帰ってきたよー」
と意味不明のことを口走った。
すると、その声に応じて家の中からお爺さんが出てきて、
「ああ、きょうこさん、よう帰ってきたね~」
と、彼女には全く理解できない内容の声をかけてきたのだ。
彼女の名前は「きょうこ」ではないし、その老夫婦もその日初めて会った見知らぬ他人だったのにも関わらずだ。
その時、彼女は母屋の中から彼女をじっと見つめる視線を感じた。
ぎょっとして納屋の方を見るが、もちろん中の様子は判らない。
彼女は気味が悪いのを堪えて、お爺さんに勧められるがまま、縁側に腰をかけた。
彼女が縁側に腰をかけてもそのお爺さんは、
「きょうこさん、よう戻ってきた」
などと変わらず意味不明のことを言うので、彼女はこのお爺さんは、きっと少し痴呆が入っているのだと解釈し、
「いえ、私はただの通りすがりの者で、きょうこさんじゃありませんよ」
と言ってみたのだが、お爺さんは全く聞く耳を持たない。
※
次の瞬間、彼女は意識を失ってしまい、ふと気が付くと母屋の中の仏間にお爺さんと二人でなぜか座っていた。
彼女は自分の意識がなぜ飛んだのか解らなかったが、お爺さんはまた一方的に彼女に話しかけてきた。
「昼の間は他のもんは出払っとって、ワシ一人じゃけえのう」
彼女は気味悪さを堪えつつ、
「あ、そうなんですか? でも、納屋の方にひょっとしたらどなたかいらっしゃるんじゃないですか?」
と聞き返した。
すると、
「ああ、あれは家の孫の子なんじゃが、結核を患ろうて、ここに置いとるだじゃ。数のうちには入りゃあせん」
とお爺さんは言う。
「ああ、病気の療養されてるんですか。それは大変ですね」
と彼女が言ったその瞬間、何者かが彼女の腕をギュッと掴んだ。
びっくりして彼女が自分の腕を見ると、3歳くらいの女の子が腕を掴んでいた。
いつの間にその部屋に来たのか、全く解らなかったのだが、その少女は無表情な顔でじっと彼女を見つめている。
彼女はもう、本能的にこの家がただ事ではないことに気が付き、逃げようとしたのだが、体が全く言うことを利かない。
するとお爺さんが、
「こりゃ!この人はおまえのお母さんじゃあないんで!」
と女の子を叱りつけた。
次の瞬間、彼女は目を疑った!
なんと女の子はいきなりお爺さんに飛びかかり、首筋に噛みついたのだ!
しかも、先程の無表情な顔とは一変し、獣のような牙をむき出しにし、赤く光る不気味な目を輝かせながら!
彼女の話では本当に身の毛もよだつような恐ろしい顔だったそうだ。
※
とにかく彼女はもう、限界だった。
逃げようとして体を起こそうとしたのだが、体が全く言うことを利かない。
ふと自分の体を見ると、畳の中から無数の手が伸びてきて彼女を掴んでいたのだ。
そればかりではない。その無数の手は彼女を掴みながら、
「きょうこさん、やっと大旦那さんのとこに帰ってきてくれたんじゃねえ」
「もうどこにも逃げられんよ~」
などと語りかけてくるではないか。
もう、彼女は気を失いそうになった。
そしてふと横にいたお爺さんを見ると、先程まで首筋に噛み付いていた幼女は消え、そのお爺さんはお爺さんではなく40代の中年の男になっていたのだ。
その男も周りの手の声と同調するかのように、
「きょうこさん、あんたはもう戻れんのんじゃけえねえ」
とニタニタ笑いながら語りかけてくる。まさに、どうしようもない状況であった。
※
その悪夢のような状況が変わったのは、その男(元・爺)がいきなり立ち上がり、彼女の手を掴んで外に連れ出した時だった。
彼女は抵抗もできず家の外に連れて行かれ、倉の前に立たされた。
訳も解らず彼女が怯えていると、男は倉の戸を開け、彼女に中の様子を見せたのだ。
倉の中に入っていたものは…。
時代劇などに出てくる座敷牢がその中にはあり、牢の中には一人の女性が横たわっていた。彼女は恐る恐る、
「こ、これは誰ですか!?」
と男に問いかけた。すると、
「誰って、おまえの妹じゃろうがあ!」
と男はニタニタしながら答えた。
彼女はもうパニック寸前で、そこから一刻も早く逃げ出そうとした。
ふと横を見ると、自分の乗って来た車はまだそのままの場所にある。
彼女は男を振り切り、車までなんとか駆け出した。
すると突如車の前に最初出会ったお婆さんが現れ、フロントガラスの上にカラスの死骸を置きながら、
「きょうこさん、あんたもうどこにも行かれんのんじゃけえねえ!」
と睨み付けてきた。
彼女は気が狂いそうになるのを必死で抑えながら、フロントガラスの上のカラスの死骸を撥ね退け、車に乗り込み必死にエンジンをかけようと試みた。
この手の話の展開ではお約束のような感じだが、案の定、車のエンジンはなかなか始動しなかった。
それでもようやくエンジンがかかり、急いで車の向きを変え、もと来た道をひたすら戻ったそうだ。
後ろも振り返らず…。
※
話はここで終われば良かったのだが、この時彼女に取り憑こうとしていた霊は、そんな生易しいものじゃなかったのだ。
彼女はやって来た一本道をひたすら走らせていたにも関わらず、道はなぜかどんどん狭まって行き、ついには車が走行不可能な幅にまでなってしまった。
彼女はその場で立ち往生してしまい、どうしようかと悩んでいると、道の前方に、来た時には無かったはずの赤い橋がぼんやり浮かんできたそうだ。
次の刹那、車の横にはあの老婆が立っており
「戻れん言うたじゃろう? あの橋はあんたのために作ったんじゃけえ、渡ってもらわんといけんのんよ」
と、車の窓越しに語りかけてきた。
彼女はもう覚悟を決め、車を後退させ、逃げられるところまで逃げようとした。
老婆を無視して車をバックさせていると、今度はその老婆が逆さまで車のフロントガラスに張り付き、
「逃がさんけえねえ~逃がさんけえねえ~」
とずっと叫び続けていた。
窓に張り付き叫び続ける老婆を無視してひたすら後退を続けたのだが、今度はまたしても前方に先程見た赤い橋が見えてきた。
その時は彼女も万策尽きて、もうダメだと思ったらしい。
彼女は呼び寄せられるように車を降りてしまい、その橋に向かって無意識に歩いて行こうとした。その時!
頭の中に直接語りかけるように、彼女が小さい頃に自分を育ててくれたお婆さんの声で、
「○○ちゃん!そっちに行ったらいけんよ!」
という声が聞こえたそうだ。その瞬間、彼女はまたしても瞬間的に気を失ってしまった。
そして気が付くと車を運転しており、そのまましばらく行くと、見慣れたアスファルトの道路にようやく辿り着いたのだ。
まさに九死に一生というか、なんとかあの世の一丁目ともいうべき場所から解放された瞬間だった。
※
ここまで書き進めて、この話を読んでくれた方々は、
「それはいかに言ってもネタ話だろ?」
と思うかもしれない。
しかし、紛れもない彼女の実体験なんです。
しかも彼女の恐怖はこれだけでは済まなかったんです。
そのダムにまつわる因縁めいた後日談があります。
※
その晩、彼女はほうほうの体で帰宅し、何気なく自分の所持品を調べたそうです。
すると大事な物が無くなっている。
彼女はその日の朝まで持っていたはずの運転免許証を紛失していることに気が付き、その日の内に再発行の手続きをするために警察署に行った。
信じられないことがあったのはまさにこの後から。
警察署に行くと、幸運にも紛失した彼女の免許証は落し物として届けられていた。
彼女は安堵しつつ、引き取りの手続きをしようとした。
ところが、その運転免許の顔写真が彼女の写真ではなく、全くの別人の顔に変わっていたというのだ。
当然、警察では偽造とか犯罪の可能性もあるので、彼女の免許証をしばらく預かり検査したのだが、写真が本人と入れ替わっている事実は別にして、全く偽造した形跡が無い正真正銘の免許証だったのだ。
※
後日警察を通して判った事実なのだが、その顔写真の主とは、彼女が恐怖体験をした日にテレビを配達に行ったF家というお宅の娘さんで、名前は「きょうこ」さんだったのだ。
しかもその顔写真の主は、2年前に彼女が怖い目に遭った場所の近辺で交通事故死していたというのだ。
そのテレビを買われたF家のお婆さんという人は、その近辺の豪農の娘で、若い頃自分の実家と折り合いが悪く、駆け落ち同然で家を飛び出したんだそうだ。
駆け落ち後はずっと長い間、東京に住んでいたらしいのだが、偶然にもその娘さんがY県のお婆さんの実家のある町の人と結婚し、年を取ったからというので娘さん夫婦に引き取られる形で自分の生まれ故郷に戻って来ていたらしい。
そして、亡くなったきょうこさんとは、お婆さんの娘さんの子供、つまり孫にあたる女性で、亡くなった時の年齢は、恐怖体験をした彼女と同じであったとのことだ。
なんでも、その方の実家である家(つまり彼女が導かれて迷い込んだ幽霊屋敷)は、とうの昔にダムの底に沈んでいるというのだ。
※
取り敢えず彼女に聞いた話を忘れないうちにまとめてみました。
彼女の話では、何気ない日常生活を送っている世界のあちこちに、異世界への穴がぽっかり口を開けて待っているらしいです。