小学2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、両親がとても心配し、よく児童相談所や精神科のような所へ連れて行っていた。
その時も面倒臭いとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味と診断されていたそうだ。
今になって親に聞くと、赤ん坊の時から滅多な事では泣いたり笑ったりする事も無かったとか。
でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から、親以外からは大人しい良い子だという風に受け容れられていた。
実際のところを上手く言い表せない自分の両親は、心配しながらも少し不気味に感じることもあったそうだ。
でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して、
「こいつにはこいつのペースがあるんだ。放っておけ」
と言うだけだった。
別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。
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ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。
母親に連れられて見舞いに行った時、母親が花を花瓶に入れるために病室を出て行った。
自分と爺さんが二人だけで病室に居て、何も話す事は無く、物音一つせず、二人共動く事も無かった。
ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に差し出していた。
それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったかのように、母が来るまでじっとしていた。
そのみかんをどうしたかは記憶が無い。
きっと家族の誰かが食べたのだろうとは思うけれど。
爺さんはそれから少し経ってから亡くなってしまい、お通夜も葬式の時も、何も感じる事は無かった。
※
初七日が過ぎ、爺さんの仏壇に供えていた青いみかんを、何の気無しに母親が自分に与え、自分も受け取ってその皮を剥いた。
青いみかんのしゅわっという香りと、みかんの水分が自分の周りに漂った瞬間、自分の喉の奥が急に詰まったように痛くなり、胃が固まって震えるような感覚に襲われた。
生まれて初めての感覚に驚き、声を上げようとしたけれど、喉が潰れたような感じになり、呻くような声しか出て来ない。
その時、生まれて初めて『助けて』と思った。そのまま蹲っていると、顔が濡れている事に気が付いた。
触ると目からぼたぼたと、どんどん涙が出て来る。
自分の呻き声に驚いた母親が、慌てて自分に駆け寄って来たのが分かった。
母親に必死にしがみ付き、自分の世界が壊れて行くような恐怖を感じ、身体を硬くして叫び続けていた。
母の温かい腕が自分に巻き付いているのを感じ、温かい手の平が、頭や顔や体を撫でてくれているのを感じ、そして段々落ち着いて行くのが判った。
どこか痛いのかと心配する母と父、そして婆さんの顔を見て、口が自然に開いて、しゃくり上げながら
「ありがとう」
と言葉を発していた。
顔の筋肉が引き攣って、あんなに苦しかった胸の中が、段々温かく柔らかくなって行くのが分かった。
両親と婆さんが驚いた顔をして、途端にみんなが今度は泣き出した。
「ありがとう」
と言って自分は笑ったらしい。
※
きっと爺さんが感情を出し易くしてくれたのだと、婆さんと母親が言っている。
父親も自分も、その事がどうとか何も言わない。
でも爺さんの仏壇に毎日毎食、みんなが食べるものと同じお膳を供える事を、一日も欠かす事は無い。