俺が昔、まだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。
その店は10階建てのビルの地下にあった。
地下にはうちの店しかないのだけど、階段の途中にセンサーが付いていて、人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光り、お客さんが来たのが分かる仕組みになっていたんだ。
でも偶にフラッシュが光っても誰も入って来ない、外を見ても誰も居ないという事があった。
俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなと、半分冗談でウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置き、
「ごゆっくり。どうぞ~」
と言ったんだ。
それからは、それがおまじないというか験担ぎのようになり、フラッシュが光るといつも同じようにしていたんだ。
そのうちお客さんも、
「おっ、今日も来てるねー」
という感じになり(そういう日に限って店は凄く忙しくなった)、姿は見えないけど、その頃は店の常連さんのように思っていたんだ。
※
ある冬の朝方、またフラッシュが光ったので、こんな遅くにお客さんかあと思い、外を見ても誰も居ない。
朝の空気が心地良いので、階段の上まで昇って一服していたら、突然の大地震。
そう、阪神大震災です。
うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでいました。
後から考えると、いつも只で飲ませてあげていたあの見えない常連さんが助けてくれたのかなあ、と思います。
※
今も違う場所で自分でお店をやっていますが、その店のスイングドアが風も無いのにギギィーッと揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いています。
そして心の中で、
『いらっしゃい。あの時はありがとうございました』
と思うようにしています。