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季節外れの白菊

縁側

祖母が亡くなって三か月が経った秋のことだった。

母から「そろそろ仏間の整理をしたい」と電話があり、私は夫と子どもを置いて一人で実家に帰った。夫には「三日くらいで戻る」と伝えたが、正直なところ、少し一人になりたかった。

祖母の家は実家から歩いて五分ほど離れた、古い農家だった。

祖父が四十年以上前に建てたもので、廊下は歩くたびにきしみ、縁側の縁板はところどころ反り返っていた。でも祖母はそこを一人でずっと守っていた。庭の手入れも、掃除も、一切手を抜かずに。

子どものころ、私はよくその縁側で宿題をした。祖母は隣に座って麦茶をくれた。別に何か特別なことを話すわけでもなかったけれど、あの縁側の時間が、私は好きだった。

祖母が逝って初めて、自分がどれだけあの場所を懐かしんでいたかに気づいた。

実家に着いた夜、母は「今日は疲れたでしょう。片付けは明日から」と言って、温かい汁物を出してくれた。

食後、私はひとりで祖母の家へ行ってみることにした。

蛍光灯を点けると、部屋はそのままだった。仏壇の前には水と菊の花。押し入れには季節の布団。祖母の形見分けはまだ何も手をつけておらず、暮らしの気配だけが残っていた。

私は縁側に腰を下ろして、庭を眺めた。

夜の庭は真っ暗で、草の匂いと土の匂いが混じった冷たい空気が漂っていた。秋の虫の声が遠くから聞こえた。

祖母はここによく座っていた。縁側で茶を飲みながら、庭を眺めながら、私が子どものころ隣に座らせてくれた。その頃の記憶が、ふわりと戻ってきた。

うとうとしかけたとき、声が聞こえた。

歌声だった。

低く、ゆるやかな旋律。

すぐにわかった。祖母がよく歌ってくれた子守唄だった。地元に伝わる古い唄で、正確な歌詞は私も知らないが、そのメロディーだけは体が覚えている。

私は息をのんで耳を澄ました。

庭の方から聞こえる、と思った。でも庭には誰もいない。外はもう深夜近く、近所の家の明かりもほとんど消えている。

しばらくすると、歌声はふっと消えた。

夢でも見ていたのだろうか、と思いながら、私は縁側で丸まるようにして眠ってしまった。

翌朝、目が覚めると庭が白く輝いていた。

朝露かと思ったが、違った。

庭の隅、いつも祖母が大切にしていた花壇の一角に、白菊が数輪、咲いていた。

私は縁側から庭に降りて、近くで見た。花びらはみずみずしく、朝露をまとってきらきらと光っていた。

昨晩はなかった。暗くて見えなかっただけかもしれないが、確かに、昨晩ここに何も咲いていなかった気がした。

実家に戻って母に話すと、母は少し顔色を変えた。

「菊は咲いてなかったよ。先週来たとき確認したから。秋菊の季節じゃないし」

「じゃあ、あれは何?」

「さあ……」

母はそれ以上何も言わなかったが、目が少し潤んでいた。

その日の午後、仏間の押し入れを整理していたら、古いアルバムが出てきた。

祖母の若い頃の写真や、父方の親族の集合写真が並んでいる中に、縁側で撮られた一枚があった。

縁側に腰かけた祖母と、幼い頃の私。

夏の終わりらしく、二人とも汗をかいている。祖母は私の頭の上に手を乗せて、どこか遠くを見ながら笑っていた。

その写真の端、庭の方に、白っぽいぼやけた影が写っていた。

人の形をしているようにも見えたが、光の加減かもしれない。フィルム写真の時代によくある、光漏れのようなもの。

でも私は、その影をしばらく見つめてしまった。

祖母と同じように、庭の方を向いている気がしたから。

母を呼んで見せると、「ああ、これ昔からずっと写ってるんだよ」と言った。

「昔から?」

「うん。お父さんもずっと気にしてた。でもこの家で嫌な思いをしたことは一度もないから、悪いものじゃないって言ってた」

母はそれだけ言って、またアルバムをめくり始めた。

何枚もめくっていくと、別の写真にも、庭の隅の同じ場所に白い影があった。

夏の写真にも、正月の写真にも。

ずっと、そこにいたのだ。

夕方、片付けが一段落したとき、私は縁側に腰かけて庭の白菊をもう一度眺めた。

不思議だとは思う。でも怖くはなかった。

むしろ、なんとなく「会いに来てくれたのかな」と思った。

子守唄も、白菊も、あの写真の影も、ぜんぶそうかどうかはわからない。思い込みかもしれないし、偶然かもしれない。

でも、昨夜縁側で聞こえてきたあの旋律だけは、本物だったと思っている。

あの声は、祖母の声だった。

帰りの車の中で、子どもから電話が来た。

「おかあさん、いつ帰ってくる?」

「明日には帰るよ」

「はやく帰ってきて。さびしい」

受話器の向こうで、幼い声が少し震えていた。

私は笑いながら、「大丈夫。もうすぐ帰るから」と言った。

電話を切った後、しばらく景色を見ていた。

子どもの声を聞いて「会いたい」と思ったように、祖母も私に会いたくて来てくれたのかもしれない。

そう思ったら、胸の奥がじんと温かくなった。

窓の外の田んぼが、夕暮れのやわらかい光で金色に染まっていた。

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