若くして亡くなった夫は、美術的な才能のある人でした。
でも息子は小学生の頃から図画の授業は全然ダメ。
その点は父親に似なかったんですね。顔も似ていません。
性格はよく似たところがあります。
息子が中学生になって初めて美術の授業で描いた自画像、この絵が夫にそっくりなので驚きました。
息子本人には全然似ていないのですが、筆遣いや構図などが所謂『上手な絵』でした。
息子自身は家に飾ってあるその絵を見て、
「この絵ウマイよねー」
と他人事のように言っています。
それ以降、息子は上手な絵を描いたことはありません。
お父さんいつも見ていてくれているんだなー、と私は感じています。
※
もう一つの話
夫は脳卒中で、倒れて一週間で呆気なく逝ってしまった。
倒れるまで元気でバリバリ仕事もしていた。
だけど今思うと、死ぬ一ヶ月くらい前からいつもと様子が違っていたなと思う。
いくつかの心に沁み入るような優しい言葉を、その時期私に対して投げかけてくれた。
でもその時はまさか死ぬなんて思わないから、内心『いつもと違う~。ヘンなの~』と訝しく思ったりしていた。
それと、以前から休日によくホームセンターなどに二人で出掛けることが多かったのね。
それで目的地に着くと、二人別行動でそれぞれ自分の好きなコーナーへ行く。
大体私の方が先に用事を済ませて夫を探しに行くのだけど、私は夫を探すのが得意で、いつもすぐに探し当てた。
夫のよく居るコーナーも熟知していたし、身体の大きな人だったから、頭の先っぽが陳列棚の上から見えたりして、それだけで私はすぐ『あっお父さんのアタマ!』って分かったの。
夫婦なら普通のことだけど。
でも、その亡くなる一ヶ月前くらいの間、ホームセンターや他の場所、二人で出掛けた先で夫と別行動を取ると、夫は行方不明になってしまってどうしても見つからない。
仕方ないのでメールで『一階のパーラーに居るね』などと送信して待つ。
暫くして夫は来るのだけど、行っていた場所を尋ねると何度も探した場所なのね。そういうことが三度あった。
「お父さん最近、時々透明人間になるみたいだねー」
と冗談で言ったのを覚えている。
あの頃、既に夫はあの世とこの世と行き来していたような気がしてならない。
前述の絵の話にしてもこの話にしても、思い込みや偶然と言ってしまえばそれまでだけど。
私にとっては、身体とは別に魂はいつまでも存続していることの証拠みたいに思えてならないんだよね…。