そもそも『天神逆霊橋』というのは、神奈川の話ではない。
詳しい地名は失念してしまったが、東北の方のある村の話だった。
その村では悪さをする子供に「天神様の橋を渡らせるよ」と言って嗜めるのだ。
天神様の橋というのは、その村からそう遠く離れていない山中にある吊り橋で、その橋を渡ることは禁忌とされていた。
ただ、一年に一回だけその橋を渡る日があった。『逆霊祭り』の日である。
逆霊祭りとは我々が良く知るお盆のようなもので、死者の霊が帰って来る日を祝うといった趣旨のものである。
そして逆霊祭りには、死者の霊を労うという名目で『イケニエ』の儀式も行われていたのだ。
8歳から12歳くらいの子供がイケニエとして選ばれる。
選ばれた子供は、村の年長者に連れられ橋を渡って行く。
そして、神社に置いて行かれるのだ。
翌日には棺桶のようなものに入れられたイケニエが村に連れられて帰って来る。
イケニエは村に帰って来ると、棺を開けられることもなくそのまま埋められる。
※
ある年の祭りの夜、一人の男が天神橋を密かに渡った。
男はその前の年の祭りで自分の息子を亡くしているのだ。
彼の息子はイケニエに選ばれたのである。
男は自分の息子に何があったのか知りたかった。それで村では禁忌とされている橋を渡ったのだ。
橋を渡り切り、獣道のような道なき道を小一時間ほど進んで行くと、伝えられている通り神社があった。
境内には灯篭があり火が灯っていたので、薄暗いが境内の様子は見る事ができた。
境内には誰も居なかった。
男は社の方に向かおうとした。イケニエはそこに居ると思ったのだ。
しかし聞こえてきた足音に、男は近くの木の陰に身を隠さざるを得なかった。
足音は社の裏手から聞こえてきた。社の裏は深い森である。
村の者は勿論、この社の向こうには誰も住んでいるはずがない。しかし足音の主は姿を現した。
社の裏から正面に回って来たのは、ボロボロの服を着た数名の人間だった。10人は居ただろうか。
男も居れば女も居る。若者も年寄りも居る。ただ、子供の姿は無かった。
彼らは社の前で一度集まった。全員居るか確認しているようだった。
やがて一列になって社の中に入って行った。
程なくして、子供の泣き叫ぶ声、争う物音、そして聞いたこともないような声が聞こえてくる。
男は社に向かい中を覗いた。
中ではイケニエの少年を先程の連中の内の数人がが取り押さえ、他の連中が少年の上に馬乗りになって何かをしている様子が見て取れた。
先程まで泣き叫んでいた少年は既に声も出さず、抵抗もしなくなっていた。
遠くで村からの祭囃子が聞こえた。それ以外は実に静かなものだった。
社の中からは「ガブリ」「クチュクチュ」というような音だけが響いていた。
男は何が行われているのか理解した。この連中は少年を生きたまま喰っているのだ。
何故この村で、この連中に少年をイケニエとして差し出していたのか、それは男には分からない。
彼らはこの山に住む民なのだろうか。それとも人の姿をした魔性のものなのか。
その晩、男は震えながら木の影に居た。
※
明け方、彼らが帰って行くのを見届け、充分に時間が経ってから男は社へ向かった。
中には変わり果てて殆ど骨だけになった少年の姿と、大量の血痕だけが残されていた。
この話は、俺の親父が会社の同僚から聞いた話だ。その同僚というのがこの話の主人公。
男はその後この村を離れ、神奈川に移り住んだのだ。
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そして、この話の後日談も存在する。
男が神奈川に来たのは、30年ほど前のことだった。
そして、その年。神奈川県で子供の行方不明が頻繁にあったという。
これは当時の新聞などでも判るが、事実である。
児童失踪事件の多くは迷宮入りした。
実は中には死体で見つかったものもあったそうだが、その死体の惨たらしさから報道はされなかった。
見つかった死体はイケニエ同様、生きているまま喰われたようだった。歯形が体中に付いていたという。
警察は親父の同僚にも話を聞きに来たらしい。
彼は「俺はやつらに見つかったんだ。やつらは俺を追って神奈川まで来たんだ」と語ったらしい。
これが俺の知っているテンジンキの話。