このお話の舞台は詳しく言えないけれど、私の父の実家がある場所にまつわるお話。
父の実家はとにかくドが付く程の田舎。集落には両手で数えきれる程しか家がない。
山奥なので土地だけは豊富にあったが、買い物や病院に行くにもバスを乗り継いで半日はかかるという恐ろしい土地だった。
父から聞いたことによると、集落にある家は全部同じ苗字で、父が小さい頃は個々の家にはまだ電話が無く、集落以外の場所へ連絡を取る時は一つだけある商店に設置された電話を使った。
集落の土地はかなり広いので、各々の家は距離が離れていた。
そのため回覧板は無く、連絡事項は長老さんと呼ばれる家に設置された機材から、集落の中の電柱に設置されたオレンジ色のメガホンみたいなスピーカーで流していた。
そんな不便な場所にも関わらず、集落には若い夫婦が何組かいて、学年はばらばらだが小学生の子供が何人か居た。
私たち家族は普段は母方の実家に近い、比較的開発の進んだ場所に住んでいた。
例年お盆は父の実家で過ごすのが小さい頃からの恒例で、車で何時間もかけて行くその集落は自然がいっぱいの別世界、私は毎年お盆が楽しみで仕方がなかった。
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私が小学4年生の夏休み。
父方のおじいちゃんの家に泊まった次の朝、私が泊まりに来ていることを知った近所の子供(Aちゃん)が遊びに来た。
Aちゃんは私より一つ年上で、集落の分校に通っている子供の中では最年長、そしてただ一人の女の子だった。
年に一度しか会えない友達で小さい頃はとても仲良しだったけれど、毎日年下の男の子に囲まれて実質ガキ大将のようだったAちゃんとは、ここ数年あまり話が合わなくなってきていた。
私は当時流行っていた女性アイドルグループに夢中で、Aちゃんは毎日泥んこでチャンバラごっこをやっている、そんな感じで一緒に遊んでもつまらないと感じるようになっていたからだ。
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その日、私は夏休みに入ってから自分のお小遣いで買ったキラキラしたビーズの髪留めを付けていた。
遊びに来たAちゃんは開口一番、「それちょうだい!」と私の髪留めをむしり取ろうとした。
今になって思えば、Aちゃんも少しずつ思春期を迎えて女の子らしくなりたいと考えていたのかも知れないけれど、当時私は自分で買った大事な宝物を取られてしまうのが嫌で必死に抵抗した。
Aちゃんは怒って「もう遊んでやらない」と言い残し帰ってしまった。
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毎年、泊まった次の日は朝から昼まで、家の中でお盆のお供養があるからと外に遊びに行かされていた。
元々一人遊びも嫌いじゃなかった私は、Aちゃんとケンカしたことは少し引っ掛かっていたものの、特に支障なく裏庭で遊んだ。
10時を回った頃、庭にまたAちゃんがやって来た。さっきあんなに喧嘩したのに、何事もなかったかのような笑顔で話しかけてきたので私はほっとした。
Aちゃんは私の前にしゃがんで、「いいこと教えてあげよっか」と訳知り顔で言った。
私が「うん」と言うとAちゃんは口に手を添え、私の耳に内緒話をするみたいにして鼻歌まじりの不思議な歌を歌い出した。メロディは唱歌の「浜辺の歌」に少し似ていた。
歌い終わったAちゃんが言うには、その歌は「聞くととっても良いことがある秘密の歌」らしい。
「ナイショのおまじないだよ、大人に言っちゃだめだよ」
そう言い残してAちゃんは走って家に帰ってしまった。
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お盆のお供養が終わって、じいちゃんが私を呼びに来た。
お昼ご飯はそうめんとおばあちゃん手作りの山菜の入ったちらし寿司で、家族みんなで楽しく食べた後、眠くなった私は仏間の隣の部屋で寝転がった。
目を覚ましたのは16時だった。
じいちゃんの家の古い柱時計が「ぼん、ぼん」と四回鳴って、家の中は一番暑い時間だった。
山に囲まれた集落は日が落ちるのが早くて、昼間と違って外から入り込む光が少しだけオレンジがかっていた。
「じーわじーわ」「かなかなかなかな」ひっきりなしに蝉の声が聞こえてた。
ああ、寝ちゃったんだと思いながら体を起こした。
頭がクラクラして、父と母も、祖父と祖母も近くに居ない。
毎年だったらお供養をした日の夕方はみんなでお墓参りに行っていた時間で、寝てしまった私を起こさずに置いて行ったんだろうと思って気にせずに、また畳の上に横向きに寝転がった。
そこで、動けなくなった。
じいちゃん家の畳は古くて、日焼けして赤茶色になっている。
ばあちゃんが熱心に掃除をしているからか、所々ニスを塗ったみたいな飴色になっていて、その畳の一畳分向こうに、白いお餅の塊みたいな赤ん坊がこっちを向いてごろんと寝転がっていた。
金縛りという現象なのか、体は手足も指先も縛り付けられたみたいに動かなくなっていて、唯一息をする所だけが動かせた。
寝転がった赤ん坊の鼻の辺りに焦点が合ってしまったまま目玉も動かせず、瞼も固めたみたいに動けなかった。
赤ん坊の顔は真っ白で、この状況を理解できていない頭の中で『これじゃ白ん坊だよなあ…』なんて思った。
黒目の大きい瞳で、口はお餅に入れた小さな切れ目みたいだった。
ふくふくした柔らかそうなほっぺが、餅が膨らむみたいにもりーっと持ち上がって、『ああ口がどんどん開いてるんだな、泣くのかな』と思った。でもおかしな事に気が付いた。
口が大きすぎる。
目玉が動かせなくてずっと見つめている小さな鼻がどんどん上を向いて持ち上がり、鼻筋どころか目と目の間に小鼻が食い込んでもまだ盛り上がる。
その内、焦点が合っていた場所に鼻は無くなり、口の部分から広がった大きな穴がぽっかり覗いた。
さっきまでぷーっとしていて可愛く見えた筈の顔の大部分が穴になって、まるで黒いボーリングの玉に赤ん坊の顔面の皮を無理やり被せたみたいに見えた。
怖いのに目が離せない。
瞼が閉じられず、目が痛くて涙で視界が滲んだ。
赤ん坊の口は更にどんどん広がっていって、ついに顔中が穴になった。
もう目も鼻も捲れ上がって、白い赤ん坊の体の上に、首の代わりにウツボカズラが乗っかっているみたいだった。
『ああ、食べられる』と思った。
涙でじんわりした視界の中で、相変わらずふくふくしたままの白い手足がクモみたいにうねうね動き、ウツボカズラみたいな大穴がこっちを向いた。
真っ黒い穴の奥には、ぎっしりと白いものが詰まっていた。
お饅頭みたいな大福みたいな、おにぎりみたいな白いころんとしたもの。
目に溜まっていた涙が頬っぺたにボロッと流れて、一瞬だけど視界が良くなった。
全部、真っ白い赤ん坊の手だった。
口だった穴の奥底から、「お、あ、あ」と大人の男みたいな声がした。
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「うわああ」と私の喉から声が出た。それと同時に体が動いた。
『逃げなきゃ、食われる』そう思って手足をじたばたさせたら、しわしわの大人の手でそれを押さえつけられた。
じいちゃんとばあちゃんが暴れる私の手足を押さえて、「大丈夫か、しっかりしろ」と声をかけてきた。
傍にお父さんとお母さんも居た。
『助かった』そう思って、私は泣きじゃくった。
涙が止まって、気持ちも落ち着いてすぐに、私はさっき見た怖い夢の話をした。
じいちゃんは珍しく厳つい顔をして、父と母は「もう大丈夫だよ」と私を抱き締めてくれた。
もう4年生だったけれど、今夜はお母さんが一緒に寝てくれると言った。
そして、何度もうんうん頷きながら私の話を聞いていたばあちゃんは、その日の晩御飯の後で、私を仏間に連れて行った。
仏壇の傍の座卓にはじいちゃんも座っていた。
「○○ちゃん、今日みたいな怖い夢を見ないように、良いことを教えてあげる」
そう言いながら、ばあちゃんは歌を歌ってくれた。
昼間、Aちゃんが庭で歌った、あの歌だった。
私がAちゃんの事を言うと、いつもはにこにこして優しいじいちゃんが無表情のまま立ち上がって仏間を出て行った。
ばあちゃんは私の手を取って、私を膝に乗せながらその歌を一小節ずつ、丁寧に丁寧に教えてくれた。
「もう怖い夢を見なくて済むように、これからはこの歌を毎日歌ってから寝なさい。Aちゃんが言った通り、良いことがある歌だよ」と言って。
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その晩、寝る前に私はその歌を口ずさんだ。
父も母もその歌を知っていて、3人で一緒に歌ってから眠りに就いた。
怖い夢は見なかった。
その次の日、私たちはじいちゃんばあちゃんと別れて家に帰った。
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あの日の出来事について詳しく知ったのは、大分後になってからだった。
4年生の夏休み以来、毎年恒例だったお盆のお泊りが2~3年に一回の行事になった。
私も中学生になり、勉強や部活が忙しかったりであまり気にはしなかった。
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ある年の春先、じいちゃんが亡くなり、私たち家族は初めてお盆以外の時期にその集落へ泊まった。
私も母も父も泣きじゃくりながらじいちゃんを見送り、ばあちゃんを私たちの家に暮らさせようという相談もしたけれど、ご近所の人が助けてくれるしこの土地で骨を埋めたいと言うばあちゃんは説得できなかった。
お葬式も終わり、いよいよ帰ることになった日の朝。
4年生のあの年以来疎遠になってしまっていたAちゃんが訪ねて来た。
Aちゃんは大人っぽい、綺麗な女の人になっていた。
開口一番、Aちゃんは私に頭を下げながら「あの時はごめんなさい」と謝った。
訳が解らなくてきょとんとしている私を見て、奥の間から出てきたばあちゃんが「そろそろ話しておかなきゃいけないね」と言って、あの時のように私とAちゃんを仏間へ連れて行った。
あの時座卓に座っていたじいちゃんは、遺影になって仏壇の所に飾られていた。
以下は、ばあちゃんが話してくれた方言まじりの昔話を要約したもの。
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父の実家があったこの土地は、ある理由があって村八分にされた一家が落ち逃れてきた事から始まった(被差別部落という訳ではないそうだ)。
集落の苗字が同じなのはそのためで、元々は一つの家から始まった遠い親戚の集まりだった。
何十年もして村八分が解かれた後も、集落の人々は周りの土地に干渉されるのを嫌って内輪だけで栄えてきた。
近親の結婚が続いたせいか、知恵の遅れた子や障害を持った子供がよく生まれたのだそうだ(ばあちゃんは「わろご」と呼んでいた)。
元々この土地は肥沃な上、少人数の集落だったので食べ物に困って口減らしをすることは無かった。
けれど少人数であるが故に子供は大事な働き手であり、仕事をすることができないわろご達はそうであると解った時点で殺してしまった。
そんな事が何年も続き、やがて集落と周りの地域との軋轢も無くなり、集落の外から嫁や婿が来るようになると、ようやくわろごが産まれる事も無くなってきた。
ところがその頃から、集落で生まれた健康な子供がある日忽然と行方不明になったり、山で居なくなったと思った翌日にひょっこり帰って来たが頭がおかしくなっていたりと、不気味な事が起こり始めた。
初めは小さい子供ばかりがそういう目に遭ったが、やがて若者や親の世代にもそういう怪異に巻き込まれる者が出始めた。
おかしなものを見たという報告も多数上がった。
皆、口を揃えて真っ白な赤ん坊に食われそうになったとか、口の大きな真っ白な子供に追いかけられたと訴えた。
「これはわろごの祟りではないか?」と誰とはなしに噂が立ち始めた。
何故なら、かつて殺したわろごは供養することも無く山の中腹にある岩場に放置して、獣や鳥に荒らされるがままにしていたから。
今と違って「わろご」のような人たちへの差別や偏見がとても酷かった時代、そういう者が産まれてしまったことを記録として残すのを嫌がったのだそうだ。
集落の人達はやっとそれらを供養することに決めた。
けれどやはり、そういうものの記録を形に残してしまうことを嫌った人々は、その地域の山を信仰していた古い修験者さんに「御詠歌」のようなものを作ってもらった。
元々お経や祝詞は「耳で聞く」と同時に「口で唱える」ことで二重にご利益や徳があるもので、お経を聞くだけの一般人よりも、「口で唱えた」自分の声を「耳で聞いて」いる僧侶の方が徳が積まれるのはそのためなのだそうだ。
集落に与えられた歌は、殺めてしまったわろご達への供養の意味を込めた歌だった。
ばあちゃん曰く、集落の人はわろごを殺した「加害者」であると同時に、自分たちの血の繋がった子供を殺された「被害者」でもある。
だから集落の人間は、その歌を「歌うことで供養する」と同時に「耳で聞くことで供養される」立場にあった。
この供養の歌を、毎晩欠かさず歌うように。修験者からそう言われたことを守るようになってから、集落での怪異は治まった。
しかし、それと同時にある問題が起こった。
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ここからはばあちゃんの話した事をそのまま書きますので、差別的な表現が混ざってしまうことをお許しください。
わろご達の大半は身体ではなく知的な障害であった。それ故に、物事の判断を付けることが難しい(ばあちゃんは「き○○いだから思い込みも勘違いも激しい」と表現していた)。
そのせいで、わろご達の中では、歌を歌って「供養する」人間は自分と相容れないい存在であるものの、歌を耳で聴いて「供養される」人間を自分達の仲間だと思い込み、自分たちの中へ取り込んでしまおうと寄って来るようになったのだ。
歌を歌える人間には怪異は起こらない。しかし、歌を歌うことができない、耳で聞くことしかできない赤ん坊や痴呆に掛かった老人が次々に「引き込まれて」しまった(ばあちゃんはそうとしか表現してくれなかった。行方不明になったのか、おかしくなったのか、死んだのかは分からない)。
それが判って以降、集落ではその歌を「余所者には決して聞かせてはいけない、集落の子供にもしっかり歌える年になるまでは絶対に聞かせてはいけない」タブーの歌として伝えるようになった。
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ここまでが昔話。
その歌はそんなブラックな昔話と一緒に「集落の伝統」としてひっそり伝えられてきた。
集落の子供たちは、小学校中学年くらいになると親からその歌を教えられるが、内容が内容なので本当の由来は聞かされず、「よその人には決して聞かせてはいけない伝統の歌」として教わっているに過ぎないのだそうだ。
ばあちゃんの話を聞き終えたAちゃんは、言い難そうに私に向き直った。
「あの年、5年生になったばかりの時に私はその歌をお母さんから教わった。お母さんは『歌えない人には絶対に聞かせてはいけない、何故ならその人が不幸になってしまう歌だから』と言って教えてくれた。
あの時、都会から来た○○ちゃんが女の子らしくて可愛くてとても羨ましかった。ずるいと思った。ちょっと意地悪してやろうって軽い気持ちで聞かせてしまった」
都会で生まれて都会で暮らしている私には、そもそもその集落のわろご達を供養する責任は無かった。
しかし小さい頃から集落の土地の恩恵を受けて育った父と、その父と結ばれた母には因縁がある。
私は知らなかったけれど、父と母は毎晩寝室で、寝る前にあの歌を口遊むのが決まり事になっていたのだそうだ。
そして毎年のお盆のお供養、あの時間私だけが外に遊びに出されていたのは、お供養の時にみんなで歌うあの歌を聴かせないためだったらしい。
あの日の晩、温厚だった私のじいちゃんはAちゃんの家に怒鳴り込んだそうだ。
お前のとこの娘のせいで、うちの孫にまで因縁ができてしまったと。
孫は一生、あの歌に付きまとわれて生きることになったと。
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あの夕方、蝉がわめく暑い空気の中で私が見たものは偶然の夢かも知れない。
けれど未だに鮮明に覚えているあの不気味な白い赤ん坊の姿。
あまりにリアルに思い出せるせいで、私に技術さえあったなら映像にして細部まで再現できるんじゃないかとすら思うあの光景。
赤ん坊との距離も、暴れた手足を押さえ付けたじいちゃんばあちゃんの手の感触も、怖いくらいにありありと覚えている。
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そして現在。
ばあちゃんも亡くなり、元々古かった家は朽ちて住めない状態になり、私達はあの集落へ行かなくなった。けれど今でも私と両親は、習慣であの歌を毎晩口遊んでいる。
Aちゃんとはその後また仲良くなった。
今でもあの集落に暮らしていて、集落の中で結婚して子供も生まれた。
集落は相変わらずド田舎だけど、周辺の開発が進み、前よりは便利な土地になったと言う。
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近年、とあるドラマでとある隠れた名所が取り上げられた。
それまでは観光客など滅多に行かなかったその場所に、年間何千人もの人間が訪れるようになった。
じいちゃんばあちゃんが暮らしていた、あの集落のすぐ傍だった。
何だか懐かしくなって久々にAちゃんに電話をすると、Aちゃんの家も去年から民宿を始めたと言う。
新しい住人も増え、観光客向けの食堂は土日になるといつも込み合っているらしい。
「泊まりにおいでよ!タダでいいよ!」そう話すAちゃんのお言葉に甘えて、何年かぶりに集落へ足を踏み入れた私を、あの日から毎晩口遊んで眠ってきたあの歌が迎えた。
電信柱から生えた、古びて朽ちかけたスピーカーからだった。
オルゴールのような音色のメロディは、浜辺の歌に似た、聞き間違う筈もないあの曲だった。
「12時と5時の時報代わりにね、新しい集会長が決めちゃったんだ」
Aちゃんは苦笑を浮かべながらそう話した。
「地元特有の伝統の歌だからね。観光客相手にもウケるだろうって。年寄世代はみんな亡くなっちゃったし、若い私たちくらいの世代であんな伝統、信じてる人殆どいないんだよ」
そう言いながら呆れたように溜息を吐くAちゃんの横で、小学生になったAちゃんの息子は無邪気にあの歌を口遊んでいた。
商店の横にある食堂には、何人も観光客が並んでいた。
「メロディだけなら大丈夫なんじゃない?」
そう言って笑うAちゃんにはとても言えなかったけれど、小学四年生のあの時、裏庭でAちゃんが聞かせてくれたのは鼻歌交じりで歌詞なんか判らなかったよ。
元々あれは供養の意味だけを込めて作られた歌で、私みたいに集落出身の血が入らなければどうという事は無いのかもしれない。
けれど、ばあちゃんが言っていた話がもし本当だとしたら。
この集落に取り憑いたあの白い赤ん坊に、集落の人とそうでない人との区別なんて付くんだろうか?
都会の人はぐねぐね曲がり角が多い山道の運転に慣れていない。
道幅も狭く傾斜も強い集落への山道は、開発が進んだとは言え相変わらずの様相だった。
事故は、名所からの帰りの山道で起こる方が圧倒的に多いらしい。
長文大変失礼致しました。私の父の実家にまつわるお話は以上です。