俺がまだ小学生だった頃、母方のじっちゃんの田舎で体験した洒落にならない話。
口止めされていたけど、もう爺ちゃんが他界して十年くらいになるから話す。関わりたくない人は、読まない方がいい。
話していたら大体バレちゃうから伏せても仕方がないんだけど、じっちゃんは東北地方の、ある町の生まれだ。
このじっちゃんは変わった人で、じっちゃんの癖に好き嫌いが激しい。特に驚いたのはご飯が好きなのにお粥は大嫌いだ。
宗教も大嫌い。父が新興宗教にハマっていたこともあって宗教嫌いになっていた俺は、身勝手に振る舞うじっちゃんをすごくリスペクトしていた。
そんなじっちゃんは、宗教的な祭事ももちろん嫌いで、特に地元のあるお祭りには家族ですら参加をさせなかった。
そのお祭りは「泣き相撲」というやつだ。皆も一度は目にしたことがあるんじゃなかろうか。
赤ちゃんを土俵に立たせて、先に泣いた方が負けというやつだ。
泣いた方が勝ちっていう所もあるみたいだけど、うちの地方では泣いた方が負け。しかもそれを町対抗でやる。
豊作の吉凶を占うためのイベントらしいが、じっちゃんは赤ちゃんだった俺を絶対に相撲に出さないと言って聞かなかった。
そんなことは物心つく前の話だったので俺は知らなかったが、うちの両親がよく語り草にしていたのは憶えている。なんでもすごい剣幕で怒鳴り散らしたとか。
そんなじっちゃんだが、俺には相当優しかった。ほんと目に入れても痛くないと思っていたんじゃないかな。何せ一人娘の一人息子ですから。
しかし、じっちゃんが絶対に許さないことがひとつだけあった。
それは泣くことだった。
土手で転んで膝を擦り剥いた時に大声で泣いたら、あやされるどころか
「泣くな!泣くなーーー!!!!」
と怒鳴られ、拳骨を食らった。
俺はあまり泣かない子に育った。
※
ある正月休みにじっちゃんの家に里帰りした時のこと。その時は、父親の仕事の関係上、ちょっと遅めの正月になった。田舎に着いたのは1月の6日だ。
翌日、こべら(方言で、ここら辺)の友達の家に遊びにいこうと思っていた。
正月に帰ると、その友達のところに遊びにいくのが俺の中の通例行事みたいなものだった。この友達をA君とする。
A君の家は、我が実家から山沿いに歩いて3キロ程のアパートに住んでいた。
10年ほど前にA君の一家が他県から引っ越してきて以来、家族ぐるみの付き合いをしていた。
A君は俺が買って貰えないようなゲームを大量に持っていて、A君の家で遊ぶのはかなり貴重な時間であった。
翌朝、待ちきれず早々に起きた俺は、寝ているじっちゃんと両親を横目にそそくさと家を出た。
まだ薄暗い時間帯であったが、両脇に積まれた雪が道案内の代わりとなり、真っ直ぐ友人の家を目指していた。はずだった。
暫く歩くと、途中から突然砂利道に変わった。『はて、この道は舗装されていなかったっけ?』などと考えつつも、いつも通りの一本道なので、何の躊躇もなく進んで行く。
しかし、徐々に傾斜の大きな坂道になってくる。
周囲には木々が生い茂っており、景色にも全く覚えがない。山道に入ってしまったのか、『やっぱり違うかも、でも一本道だしな』と自問自答しつつ、『もう少し行って無かったら引き返そう』と何度も思っている間に、かなりの距離を歩いてしまった。
とうとう道を間違えたことを確信したのは、岩がでーーんと鎮座し、道を塞いでいるのを見た時だった。
直径約5メートル程はありそうだ。しめ縄のようなものが縛り付けられており、なんて言うんだろう、すごい宗教的なヒラヒラの紙がぶら下がっていた。
それを見た時、子供ながらに少し違和感を感じた。その岩の周りの空気が少し歪んで見えるような、密度の濃い砂糖水を撹拌したときのようなモヤモヤが漂っている気がした。
それを見た時にはもう友達の家に行くとか、遊ぶとか、そういうことを全て忘れていた。
何かに操られているというか、惹き入れられるというか、そんな感じで、岩に手をつき、岩をなぞり始めた。
岩の周りを何周かしてから、この濃密度のモヤモヤが岩からではなく、岩の下から溢れてきているような気がして、ゆっくりを岩をなぞりながらしゃがむと、何を思ったか自分でも解らないが、素手で土を堀り始めていた。
何か大切なものが埋まっているような、そんな気がして、掘る手が早くなる。
「リン…リン」
いつのまにか、辺りで鈴の音が鳴っていた。
「リン、リン、リン、リン」
鈴の音が段々と近くなってくる。
鈴の音に合わせて、何か歌のような声も聞こえる。あんまりよく聞き取れないが、女の人のような声で、
「×○▽?…アターヌサキー、ワーセテ、バタクサ、バタクサ」
みたいな感じだった。
それを聞いたとき、俺は背筋が凍るのと、悲しい気持ちになるのとよく分からない感情が芽生えて、無性に泣きたくなったのを憶えている。
手のひらが埋まるぐらいまで掘ったところで、はっと我に帰った。
「バカもんがーーーー!!!」
という怒鳴り声。
振り替えるとすごい剣幕でじっちゃんが走ってきた。
いつも杖をついているじっちゃんがこんなに早く走れるのかという驚きと、鬼のような剣幕に圧倒されていた俺だが、その時、土に埋もれている手が、何か冷たい手のようなものに捕まれた感触がした。
驚いて手元を見ると、両腕の間に人の顔ぐらいある赤黒い耳が地面に張り付いていた。
なぜそれを耳と思ったかわからない。こぶし大の真っ黒な穴、その周りに不均等に広がる赤黒いヒダヒダが、俺の一挙手一投足を聞いているような気がしたからだと思う。
「ナケ、ナケ…、ナケ、ナケ」
地中から裏声のような、妙に甲高い声が聞こえた。
ここからの記憶がない。
目を覚ますと、木目の天井があった。その視界に、じっちゃんと両親が入ってきた。両親は安堵の表情で、「よかった、よかった」と呟いている。
一方、じっちゃんは鬼の剣幕のままだった。
じっちゃんは両親に席を外すよう言い、渋々両親は部屋から出て行った。
俺は、正座させられ、じっちゃんと向かい合う形になった。
どうやら説教の時間だ。
と思っていたら、じっちゃんは唐突に話し始めた。
「わしがお前さんぐらいの時にも、一度同じ経験をしたことがある」
ここからはじっちゃんの経験談を語る。一旦休憩をいれたいと思う。
※
じいちゃんが子供の頃、ちょうど正月のこの時期に友人と山に遊びに行って岩を見つけた。この友人をB君とする。
じいちゃんとB君は岩の下に何かあると思い、俺と同じように掘り始めた。
辺りに響く鈴の音、そして手まり歌のような声。
「アターヌサキー、ワーセテ、バタクサ、バタクサ」
今でも忘れられない、女の人の声。
岩ノ下は、洞窟だった。
洞窟は真っ暗のはずが、何かの明かりに照らされてほんのり薄暗い様子だった。
立ちこめる異臭。動物が腐ったような、二人は吐き気を催しながらも、掘った穴から顔を覗かせた。
3メートル程先に底が見えた。
底は斜面になっていて、手前から奥に向かうにつれて深くなっている。
じぃちゃん「くっさいなー」
B君「斜底(ななぞこ)になっとるな」
B君がそう言った時だった。
「ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ、ナケ」
甲高い声と共に、何かが斜めの底を這い上がってくるのが分かった。
堪えきれず、B君が泣き出した。
「バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ」
じいちゃんは外から女の人の声がすると思って顔を上げると、黒い割烹着を着た人の形の何かが二人の周囲を取り囲んでいた。
顔は、黒クレヨンの落書きみたいにグシャグシャと塗りつぶされていて見えなかった。
「バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ」
相変わらずB君は泣いている。じっちゃんは恐怖で全く身動きが取れなかったという。
「ナイタ、ナイタ、ナイタ、ナイタ」
穴の中からはバケモノの甲高い声が近づいて来る。
黒い割烹着のヒトガタは、サワサワとB君を触り始めた。
「バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ、バタクサ」
「ウァアアアアアア!!!!!!」
じいちゃんは叫んだ。フッと体の力が抜け、動けるようになっていた。
じいちゃんは、B君を置いて、一目散に、逃げ帰った。
その後、B君は帰って来なかった。
親にこの事を話すと、今日あったことは絶対に誰にも言うなときつく言われたそうだ。
村をあげて捜索したが、B君は見つからなかった。
そして、じいちゃんはそのバケモノの正体について、曾祖父から伝え聞いた。
名前は言ってはいけない。口にするだけで引き寄せてしまう。だから、わしらは「御業(ゴギョウ)様」と言っておる。
ゴギョウ様はこの辺りでは、仏様と同じ扱いを受けており、豊作の吉凶は全てゴギョウ様次第だったんじゃ。
ここからのじっちゃんの話は長かった。なので、要約して話す。
※
その昔、ここには城があった。今じゃ跡すらないが。その城は一風変わった作りになっており、ウグイス張りのような感じで、廊下を歩くと鈴が鳴る。
そのことから、鈴城と呼ばれていた。そこの当主は、耳が大きく、おちょぼ口の男だった。
その男が最も嫌ったのは、競り(争い)だった。当時、農民は土地の領有権か何かで争っていたようで、それに怒った当主は土地を平等に振り分けた。
さらにそこの当主は、もとは唐の生まれだったようで、周辺に住む一部の農民たちは忌み嫌っていたそうだ。
ある日、一部の農民が反乱をおこし、鈴城を焼き払い、当主の一族を皆殺しにし、当主を縦掘りの洞窟に閉じ込めてしまった。
それからというもの、その地方には天災が続き、農民は飢え苦しみ、祟りだと言って騒ぎ始めたのである。
お察しの方も多いと思うが、彼らはその怨念に、生け贄を捧げるようになった。
村の赤子から平等に生け贄を選出するため、赤子を対面させて、泣いた方を戦わせ、最後に残った泣き虫を生け贄に捧げた。
これが、泣き相撲の始まりである。
唐の人は、口が小さく、赤子をそのまま生け贄にすると大き過ぎるため、その唐の人が好きだったお粥に赤子を切り刻んで混ぜたものを、洞窟に流していたようである。
その腐敗したものが洞窟の一方に溜まり始め、徐々に底が斜めになって行ったと言われている。
そして、皆はその怨念を忌むべき対象として○○○○と名付けた。
しかし○○○○は、その名前を良しとしなかったようだ。
その後数年の大飢饉と多数の死者はすべて○○○○の仕業であると人は考えた。
そして人々は、○○○○のことを「ゴギョウ様」と呼び、この地域の神様として奉った。
洞窟は岩によって封印され、それから生け贄の慣習は表上無くなった。
じっちゃん「ゴギョウ様はまだ生け贄を欲しておる。ワシの友人のB、実は元々そうなる運命だったんじゃ。
山沿いの家があるじゃろ? 現在はアパートになっているが、そこの住人は県外の者を敢えて斡旋しておる。そこの者はゴギョウ様について知らない。
だからすぐに泣きおる。Bもそこの住人だった。
泣いたら連れていかれるとも知らずにな。去年もあそこの坊主が行方不明になりおった」
あれから数十年、未だに同じ時期に子供が行方不明になっている。毎年ではないが、俺が知ってるだけでも6人だ。
そのたびに、子供を捜索するが、絶対に見つからない。なぜなら皆あのナナゾコに落ちているからだ。
知っている人は誰もそこを探そうとはしない。
自分が喰われるのは嫌だから。だから誰かが犠牲になることは仕方ない、むしろ有り難いと思っている。俺もそう思う。
Aが行方不明になったのは、可哀想だ。しかし、だからといって代わりに俺があの岩ノ下に…? そういうことだ。
○○○○は何かは判らない。知りたくもない。知ったところで、もう関わりたくはない。
日本にはまだ、そういう場所がある。