先日、年末の追い込みで一人残業をしておりました。
残業規制厳しい折、電灯は自分の席のみに限定され、結構広い事務室は私の席を残して後は全部真っ暗の状況。
商店街の一角の会社とは言え、23時を過ぎますと辺りは人通りもすっかり途絶え、結構不気味なんです。
※
そんな時、向こうの奥の課の電話が鳴りました。
『よりによってこんな時間に何だ? 厄介なことに巻き込まれたら嫌だな。ただでさえ終電に間に合わなくなるかもしれないのに…』
と思って取りませんでしたが……。
延々5分くらいでしょうか? いや、10分くらいかもしれません。鳴り止まないのです。
段々そのしつこさに腹が立ち始めた私は席を立ち、とうとう電話に出ました。
すると結構明るい、と言うかハアハア息せき切った声で、
「す…すいません!こんな時間に!お約束の見積書を今からお持ちしたいんですが!」
と若い男性の声がします。私は、
「いやあ、こんな時間ですから、もうここは誰も居ませんよ。明日にして頂けますか?」
と怒りを抑えながら断りました。
……が、相手は、
「申し訳ありません!
実は予定が大幅に狂ってしまい、こんな時間になったのですが、実は最寄の駅に今着いたところなんです。
明日は別件でお伺い出来ないので、何とか受け取るだけでも!お願いします!」
と言って食い下がって来たのです。
私は、
「いや、困ります。私も今、もう帰るところですから、明日にして下さい。
担当が居ない時に持って来てもらっても困ります!」
と再度、かなり強く断ったのですが、電話がその時切れてしまいました。
失礼な奴だな…と腹が立ちましたが、やむを得ません。
駅から会社までは交通の便が悪く、歩いて15分くらいです。
私は席に戻りました。
※
ですが15分経っても、その男性は会社に来る気配がありません。
時計はもう23時30分を回ろうとしています。
『あれからもう30分経ったぞ? 何やってんだ!』
苛々は絶頂に達しつつありました。
その時です。また部屋の奥で電話が鳴りました。
電話を取りますと、さっきの男の声です。
やはり同じように、
「すいません!道に迷ってしまって!もう少しですから…すいません!」
と弱々しく謝るんです。
「もう終電が無くなりますので、本当に困るんですよ!」
と言ったのですが、
「すいません」
と言いながらまた電話が切れました。
事務所はビルの4階なのですが、窓の外を見ても人通りは全くありません。
するとまた電話です。
「今、すぐ近くに来ました!保安の方に話して私を中に入れていただくようお願いします!」
と言ってまた切れました。
もう一度外を見ましたが、やはり玄関にも人の気配はありませんでした。
私も段々不気味になって来ました。
保安に電話をしましたが、当然誰も尋ねて来ていないとのこと。
悪戯だろうかと疑念を抱きながらも、私個人への執拗な悪戯だとすれば尚のこと不気味です。
※
また電話が鳴りました。もう私は真っ暗な奥の課の席にへばり付き状態です。
「ありがとうございます。今、中に入れて頂きました!エレベーターで今上がります!」
また切れました。
もう向こうは妙に快活な口調で、一方的に喋って切ってしまったため、こちらからは何も言えません。
『おいおいおい…』
私は事務室の真っ暗な入り口を凝視しました。
通常は事務室の中に外部の人間を入れないために、入り口のところに簡易電話が置いてあり、そこから担当者に電話してもらうのです。
もうこの段階で悪戯ということは確信していたのですが、それにしては電話の口調はあくまでも『誠実』で『快活』な若手サラリーマンのそれです。
なのにその一方、妙にねっとりとした不気味さが際立っておりました。
※
また電話が掛かって来ました。
「今着きました!お待たせしてすいません。今、受付に居ります」
相手はハアハア言っています。実に誠実そうで、申し訳なさそうな口調です。
「あんたね!何時だと思ってんだ!」
私が怒鳴りますと、急に沈黙が流れました。
「……………」
後は一通り罵ったのですが、ここから先は沈黙です。
私は再度、部屋の奥の真っ暗な入り口を凝視しました。
何か人の気配がするようで…しかし当然、誰も居ません。
相手は沈黙を続けています。
今度はこちらから電話を切りました。
すると今度はすぐまた電話が掛かって来ました。
私はもう終電が無くなるので、電話には出ませんでした。
しかし、鳴り続けています。私が部屋を出るまで鳴り続けていました。
※
会社を出た途端、全身に鳥肌が立ちました。
『あの執拗な悪戯は何だろう。俺、狙われてるのか? それとも…?』
これマジの話です。一番怖いのは人間です。…というオチにしておきます。