大無間から光へ。これが一発で解る奴は山が好き。
でも、行った事のある奴は少し変態かな。このルートはそんな所だ。
これは2001年夏。その山行の終盤、加々森から光へ抜ける時の話。
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加々森は陰欝なピークだ。見晴らしが利かず暗く寂しいから、留まるような場所じゃない。
友人と二人で来てみたものの、鹿の骨が散乱する暗い深南部の森にもいい加減飽きがきていた。
会社に休みを延長してもらって、明るい聖まで足を延ばそうかなあ…などと思いながら、殆ど加々森には立ち止まらず先へ進んだ。
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起伏が連なり、殆ど消えかけた道をしばらく進んでいると、やがて急な下りに。先行した友人が舌打ちをして止まる。
「うわ、わりぃ。ルート間違えた」
地図を見ると、確かにこんなに下っていない。光岩へ右に行く所を直進してしまい、尾根をかなり下ってしまったようだった。
溜め息を吐いて戻ろうとしたが、ぬかるんだ急斜面がある。ずるずるに滑って、上るのは結構骨が折れそうだった。
「まあ、場所は大体この辺だから、少しトラバースして上りやすいとこから行こうや」
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なんとなく萎えた気持ちのまま、しばらくトラバースすると急に開けた場所に出た。紫の原っぱだ。
窪地いっぱいに広がるミヤマトリカブト。素晴らしく綺麗だった。
こんな場所があったのかあ。見回せば、この窪地から上へ向かい小道が続いている。誰か知っていて来る人もいんのかなあ…?
取り敢えずルートに戻れそうだ。俺は少しほっとした。
その時、トリカブトの群落から派手な合羽のおばさんがスウッと出て来た。
「助かるわあ。道に迷ったんです。お兄ちゃん光まで連れてって」
友人が震えているのが不思議だった。
「まあ、ルートはこの上だと思うんです。この道悪いかもしれんけど」
俺たちも迷ってしまった事は棚に上げて、俺は自信満々だった。まあ、現在地も大体把握できていたからだと思う。
「じゃあ、行きますか?」
ところが、俺が先に行こうとした途端、友人が俺の腕を引っ掴んで、絞り出すような声で呻いた。
「俺たちは後から行くから、先に歩け」
おばさんは少しお辞儀をして、先に上る道を上がって行った。
しかし、遅い。たいした坂でもないのに、這いずるような格好で辛そうに歩く。
あまりに遅いペースに苛立ち、「先に行ってルート見てくるから、おばさん後からゆっくり来なよ」と言おうとした瞬間、友人が俺に呟いた。
「こいつに後から付いて来られるのは嫌だからな。絶対見える所がいい」
何となく気持ち悪くなってきた。このおばさんはどこに行くつもりだったんだ?
光より南から、こんな装備で来たはずがない。光から来たなら、こんな所には来ない。
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おばさんは何だかぐにゃぐにゃと上っている。
「ねぇ。どっから来たんですか?」
俺の問いには一切答えず、おばさんは言った。
「前。代わらない?」
「代わらない!行けよ!」
友人が怒鳴る。
「前。代わらない?」
ぐにゃぐにゃのろのろ歩くおばさんの後をしばらく上った。4、5回同じ問答をしたと思う。
俺はいつの間にかすっかり怯えていた。
だが、ぐいっと急斜面を上ると突然本道に出た。
「ああ、良かった。戻ったあ」
と思った瞬間、「バキン!!」と音を立ててオバサンの首が直角に曲がったんだ。
それでスウッとさっきの道を下りて行った。
俺は怖いというより、驚いて硬直したまましばらく動けなかった。
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その後、光小屋まで物凄いスピードで上ったよ。
そして友人はその晩言った。
「おまえ合羽のフードの中の顔見た? 目も鼻も口の中も、全部土がいっぱいに詰まってたぞ。
あんなのにぴったり後ろを付いて歩かれるのは、俺は絶対に嫌だね」
俺は山は好きだけど、あれから光より南は行ってないなあ。