俺が高校生だった頃の話。
両親が旅行に出かけて、俺は一人でお婆ちゃんの所に行ったんだ。
婆ちゃんはよく近所の孤児院でボランティアをしていて、俺もよく介護のボランティアをしていたから手伝いに行ったんだ。
孤児院と言っても田舎だからそんなに大それたものじゃなくて、小さな学童保育所みたいな場所だったんだ。
そこには親がいなくても元気な子供たちが沢山いて、年が近いおかげかすぐに打ち解けることができた。
※
昼休みに俺とみんなでサッカーをしようという話になって、みんなで外に出たんだ。
その時に点呼を取ったんだけど、どうも一人足りないんだ。
それで、院内を見て回ったら子供が一人別の部屋で蹲ってるんだ。
「どうしたの?」と声をかけてもなかなか返事をしない。
それでよく耳を澄ませたら、何かを削るような音が聞こえたんだ。
手元を見てみたら何か描いてるんだ。
「何描いてるの?」
「…」
「ねぇ?」
「…」
「みんなサッカーやるよ? 来ないの?」
「…ぇ」
「?」
小さい声で何か言ってるんだ。
「ねぇ、赤い橋って知ってる?」
「赤い橋?」
そんなもの世界には幾つもあるが…。
「赤い橋って…知ってる?」
「うん、赤い橋ねぇ…? まあ幾つかなら…」
【ネェアカイハシッテシッテル?
ネェアカイハシッテシッテル?
ネェアカイハシッテシッテル?
ネェアカイハシッテシッテル?】
その子の手元には、赤のクレヨンが無くなるほど隅々まで書きなぐられた赤い画用紙と、その中に黒で薄っすらと見える橋のようなもの。
「彼は、少し壊れている」
その時、後ろから小さな声がして、振り返ったら先生がいたんだ。
先生が小さく手招きしていて、彼はずっと何かぶつぶつ呟いているから収集に負えなくなっている。
きっとこれのことだろうと思って聞いてみると、案の定彼のことだった。
彼は先天的にこうだった訳じゃないらしい。
彼が孤児院に連れられた理由は判らないが、警察に連れられてここへ来たらしい。
警察絡みということはつまりそういうことかなと、何となく考えたんだ。
それから、職員の人たちは彼を腫れ物扱いするみたいに扱ったらしいんだ。
決して彼を傷つけないように。傷つけるとすぐにあれだから。
ここに来る子供はみんな暫くすると治るらしいんだけど、彼は1ヶ月間その状態が続いているらしい。
※
その日の夜。
俺はやたらめったら仕事を受け続けていたから、この辺りが早めに暗くなる事に気が付かなかったんだ。
田舎に帰るのも久しぶりだし、暗くなるとリアルに右も左も分からない状態になるんだ。
街灯も無くて、入り口に着いた時はもう何か暗闇に吸い込まれるんじゃないかと思うほど暗かった。
下駄箱まで行くと、下駄箱の中に何かくしゃくしゃに丸められたものが入ってるんだ。
取り敢えず引っ張り出してみたら、それは紙だった。
何か嫌な予感はしていたけど、それを広げてみたんだ。
そしたら、昼間見たあの絵が俺の下駄箱に入ってたんだ。
【ネェアカイハシッテシッテル?】
それだけで俺は暗闇に逃げた。
後ろから声がしたんだ。
そこには彼がいたんだ。
※
それから暫く走った頃、俺の目の前に明るいものが見えたんだ。
この辺りはコンビニも無いから、遠くからでもひと際明るく見えた。
近くに寄って見てみたら、それは街灯の付いた橋だった。
田んぼを跨いで架かっていたその橋は、最近出来たのかなと思うくらい綺麗だった。
夜になると暗くて不便だから街頭を付けたのかな?
来る時は車だったから気付かなかったけど…。
それでここを通れば見慣れた道が向こうに見えるから通ればいいやと思って通ったんだ。
それが間違いだった。
ちょっとお年寄りにはきついんじゃないかというくらい長い階段があったから、その階段の手すりに手をかけたんだ。
そしたら上からポタッと冷たいものが落ちてきた。
何かなと思って手を拭ってみて後悔した。
何か赤いのよ。
よせばいいのに上を向いたら、顔やら手やら足やらを無造作にくっつけたような肉片がぶら下がっていた。
俺はその階段を全速力で昇ろうとした。そしたら急に力が抜けてずっこけた。
「ビシャッ…」
階段の頂上から赤いペンキみたいなものが垂れてきている。
下からは肉片みたいなのが来ている。
俺は這うようにしてやっとこさ頂上に出た。
一番明るいところに出て、恐る恐る振り返ったら、もうあの肉片は見えなくなっていた。
いや、目で追わなかっただけで、暗闇に紛れていたかもしれないけど。
※
俺は安心して手すりに寄りかかったんだ。
そしたら急にエンジン音が聞こえてきたんだ。
やっとまともなものに出会えると思ったんだ。
橋の向こう側から聞こえてくるエンジン音なら。
それは一般的な大型トラックだった。
これで助けを呼べる。そう思った。
その運転席に人が乗っていれば。
でもよく考えたらおかしいんだ。
こんな真っ赤な橋の上で、しかも階段がある橋で、トラックが来るはずがないんだ。
トラックは、真っ直ぐ進んでいるように見えた。
でもよく見たら徐々にこちらに向かって進んで来ていた。
俺は必死で逃げようとした。
でも、忘れていた。足が動かないことを。ここまで来た時のことを。
「------!!----!!」
もう何かパニックになって、訳の解らないことを叫んでいた。何を叫んでいたかは覚えていない。
徐々にトラックがこちらに来る。俺はもうだめだと諦めた。
その時、手をかけていた手すりからずるっと落ちた。
落ちる瞬間、最後に見たのは、明りの消えた橋だった。
※
暫くして目を覚ましたら、俺は田んぼの中心で寝そべっていたんだ。
驚いて辺りを見回しても、そんな橋なんてどこにも無い。
だから今日一日張り切りすぎて疲れたのかなと思ったんだ。
でも、俺の着ていたTシャツからは物凄い鉄の匂いを感じたんだ。
それだけで、俺は疲れていた訳ではないと悟ったんだ。
※
次の日の夜、案の定部屋の隅であの絵を描いていた彼に声をかけたんだ。
「ねぇ、赤い橋って何?」
「…」
何も、答えてくれはしない。
俺は大体解っていた。その日、孤児院に警察の人が来た。先生が連絡したらしい。
「ねぇ」
そして、彼が何故ああなったのかを知った。
※
彼は、ここに来る前に家族全員で事故に遭った。
そこで彼は生き残ったんだ。
そして、見てしまった。
そのショックで、こうなってしまったらしい。
「あ」
彼が俺の後ろの何かに反応を示した。
「おかあさんだ!」
「え?」
まさかと思いながら振り返ったら、あの、肉片みたいなのが…。