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山に還った者たち ― アガリビトの伝承

アガリビト

山は怖い。

その理由はいくつもある。幽霊、野生動物、天候の急変など、命に関わる要素がいくつも潜んでいる。

けれど、それらの中でも最も恐ろしいのは、「人間」だと俺は思う。

お前らも、山に行ったときに感じたことがあるだろ?

どこか心が解き放たれるような感覚。

空気が澄んでいて、心が洗われるような気がして、やたらと気分が高揚する。

でもな、それは「開放」なんかじゃない。

「境界を越えかけてる」んだ。

人間としての境界を、だ。

特に、都会育ちのような、人工物に囲まれて生きてきた人間ほど、自然の中ではタガが外れやすい。

便利で清潔で、安全な環境で守られ続けてきた者ほど、自然という混沌にさらされたとき、脆く崩れていく。

観光地のように、人の手が入っている山ならまだましだ。

どこかに看板があり、道が整備されていて、そこにゴミひとつでも落ちていれば、それは「人間の世界にいる」という安心感につながる。

でも、完全に手つかずの山は違う。

自然そのものに取り込まれ始める。

そして、時間が経てば経つほど、「人間としての意識」は失われていく。

もし遭難してしまったら、なおさらだ。

無意識のうちに、こう思うようになる。

「このまま助けは来ないかもしれない」

「ここで、死ぬかもしれない」

そう思ったとき、人は「人間であること」を自分の中で諦めるんだ。

生き延びるために。

それは、ある意味では自然なことだ。動物として、生きるための本能に従っているだけ。

だけど、一度その境界を越えてしまったら、もう戻れない。

常識も、モラルも、言葉も……まるで炭酸が抜けていくコーラみたいに、少しずつ抜け落ちていく。

そして、別の「何か」に変わってしまうんだ。

だからもし、お前らが山で、明らかに「人間のようで人間でないもの」を見かけたとしたら。

できるだけ早く、その場を離れたほうがいい。

それはもう、元の世界に戻れなくなった者――つまり「アガッた者」かもしれない。

俺の婆ちゃんは、そういう存在のことを「アガリビト」って呼んでいた。

婆ちゃんの住む地域では、アガリビトは神様に近い存在とされている。

人間として生きてきた誰かが、山に呑まれ、境界を越えてしまったあとの姿。

それを「神に昇った者」と見なす文化が、あの村にはあった。

山で行方不明になる人たちがいるだろ?

ニュースでは、事故だとか、迷ったとか、滑落だとか、色んな理由が語られる。

でも、俺は思うんだ。

中には――きっと、アガッてしまった人もいるんじゃないかって。

山に還り、人ではないものとして、静かにそこにいる。

もしかしたら、今もどこかの山奥で、誰かの気配を感じながら、じっとしているのかもしれない。

そしてそれを見た誰かが、また境界の向こうへと……。

山は、優しい顔をして、人を飲み込む。

決して忘れてはいけない。

本当に怖いのは、山の奥に潜む「何か」ではなく、そこに「人が変わる」ということなのだ。

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