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知らないはずの路地

階段

祖母に頼まれごとをしたのは、大学二年の夏休みのことだった。

「昔住んでいた街に、どうしても届けたいものがあるの」

祖母が差し出したのは、小さな紙袋に入った古い写真と手紙だった。届け先は、祖母がかつて暮らしていた街に今も住んでいるという、幼馴染のツネさんという女性。

祖母は足が悪く、自分では行けない。宅配で送ることもできるが、「手渡しでないと意味がない」と言い張った。

私はその街に行ったことがなかった。祖母が引っ越したのは母が生まれる前のことで、家族の中でもほとんど話題に上がらない場所だった。

電車を二本乗り継いで、目的の駅に着いた。改札を抜けると、古びた商店街が続いていた。

スマートフォンの地図を開き、祖母にもらった住所を入力する。徒歩十二分。知らない街を歩くのは少し緊張したが、天気も良かったので気楽な散歩のつもりだった。

商店街を抜けて住宅街に入ったところで、ふと足が止まった。

この道を、知っている。

いや、正確には「知っている気がする」という程度のものだった。デジャブというやつだろう。旅先ではよくあることだ、と自分に言い聞かせた。

だが、その感覚は歩くほどに強くなっていった。

次の角を曲がると、左側にブロック塀がある。その先に、錆びたトタン屋根の小さな倉庫がある。

そう思った瞬間、実際にその通りの景色が現れた。

偶然だ、と思おうとした。でも、次も当たった。

倉庫の裏に細い路地がある。路地を抜けると石段があって、石段の途中に大きな木がある。木の根元に、欠けた石の祠がある。

全部、その通りだった。

スマートフォンの地図はもう見ていなかった。足が勝手に動いていた。自分の意志で歩いている感覚はあるのに、行き先を迷う必要がなかった。

ツネさんの家は、石段を上りきった先の、生け垣に囲まれた古い平屋だった。

呼び鈴を押すと、しばらくして白髪の女性が出てきた。八十代くらいだろうか。小柄で、背筋がまっすぐだった。

「あの、祖母の――」

名乗りかけた私を見た瞬間、ツネさんの表情が凍りついた。

「……チヨちゃん?」

チヨ、というのは祖母の名前ではない。聞いたこともなかった。

「いえ、私は孫の――」

「ああ、ごめんなさいね」

ツネさんは慌てて笑顔を作ったが、その目はまだ動揺していた。

「あまりに似ていたものだから。昔の友達にね」

家に上がらせてもらい、祖母からの紙袋を渡した。ツネさんは中身を見て、少し泣いた。

お茶を出してくれたツネさんは、ぽつぽつと昔話を始めた。

祖母とツネさんは幼馴染で、もう一人、チヨちゃんという女の子と三人でいつも遊んでいたこと。チヨちゃんは体が弱くて、小学校を卒業する前に亡くなったこと。

「この街から出て行ったのは、お祖母さんだけだったの。私はずっとここにいて、チヨちゃんはあの石段のそばに眠っている」

石段。さっき私が迷いもせずに上ってきた、あの石段。

「お祖母さんが届けてくれたのはね、三人で撮った写真なの。ずっと返してほしいって言われていたんだけど、なかなか機会がなくて」

ツネさんが写真を見せてくれた。白黒の古い写真に、三人の女の子が写っていた。

真ん中の、少し痩せた女の子がチヨちゃんだと言う。

顔は私と似ていなかった。でも、その子が立っている場所に見覚えがあった。

錆びたトタン屋根の倉庫の前。

帰り道、あの石段をもう一度通った。途中にある大きな木の根元の、欠けた石の祠。その横に、小さな墓石のようなものがあることに気づいた。

文字はほとんど読めなかったが、かろうじて「チヨ」という二文字だけが残っていた。

不思議と怖くはなかった。ただ、胸の奥がきゅっと締めつけられるような、懐かしいような、切ないような感覚があった。

駅に向かう途中、一度だけ振り返った。

夕暮れの路地の奥に、誰かが立っているような気がした。小さな女の子の影。

目を凝らすと、誰もいなかった。

家に帰って祖母に報告すると、祖母は静かに頷いた。

「道に迷わなかったでしょう」

なぜそんなことを聞くのだろう。でも、祖母はそれ以上何も言わなかった。ただ、少しだけ泣いているように見えた。

あの路地を、私はなぜ知っていたのか。チヨちゃんと私の間に何があるのか。祖母は何かを知っているのか。

どれも、答えは出ていない。

ただ、あの日以来、時々夢を見る。知らない街の、知らない路地を走っている夢。隣にはいつも、二人の女の子がいて、三人で笑いながら走っている。

目が覚めると、頬が濡れている。

悲しいのか、嬉しいのか、自分でもわからない。

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