友人のカナエちゃんの話です。
彼女は、小学校時代に習字教室に通っていました。
そこは子供の居ない老夫婦が二人でやられていた教室で、近所の小学生が多く通っていました。
中でも彼女は取り分け先生ご夫婦に気に入られ、可愛がられていたそうです。
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ある土曜日、いつものように教室へ行き、2時間の指導を終え道具を片付けていると、旦那さん先生に、
「カナエちゃん、明日暇だったらドライブ行こうか? 何か欲しい物があったら買ってあげるよ」
と誘われたそうです。
今までにない申し出に疑問を持ちながらも、奥さん先生の方を見るとにこにこして、
「是非おいで。パフェを食べに行きましょう」
と言います。
友人は食い気と物欲に負け、
「はい!」
と返事をしたそうです。
「じゃあ明日の午後2時にね」
と奥さん先生と約束し、その日は帰りました。
親に話すと、人様にご馳走になったり物を買ってもらったりするのは許される訳がないと思い、内緒にしていたそうです。
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翌日、彼女は近所に住むユキちゃんとマミちゃん(私)を誘って、習字教室へ向かいました。
先生夫婦は当然彼女が一人で現れると思っていたせいか、とても驚いていました。
気に入られている立場を自覚している彼女は、
「せんせー、友達もパフェ食べたいって。一緒に行ってもいい?」
と、当然のように聞きました。
先生夫婦は少し困り顔で、どうしようか、大丈夫かしらと、こそこそお話していたのですが、そこに急にユキちゃんが、
「お腹痛い、おうち帰りたい」
とぐずり出しました。
姉御肌のカナエちゃんは『何? そいつは見捨てちゃおけねえなあ』とばかりに、
「先生、ごめん!ちょっとユキちゃん連れて帰って来るから。ドライブはまた今度」
と言うと、彼女と私とでユキちゃんを両側から挟む形で支えました。
すると奥さん先生が車から降りて来て、
「じゃあ、またね」
と、カナエちゃんを涙混じりにきつく抱き締めました。
私は『大袈裟だなあ。でもカナエちゃん、そんなに何でも買ってもらうくらい好かれてるなんて羨ましいなあ』と思ったのを覚えています。
カナエちゃんは、
「また今度ね~」
とユキちゃんを支えながら、去って行く車に手を振っていました。
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結局、またの機会は訪れませんでした。
先生ご夫婦はその日の夕方に、某岸壁から車ごと身投げし、帰らぬ人になったのです。
警察が先生宅を捜索したところ、綺麗に片付けられたご自宅兼教室の先生の教卓の上には、大変達筆に書かれた遺書と、カナエちゃんのご両親に宛てられた手紙があったそうです。
遺書には、旦那さん先生が回復の見込みのない病であること、奥さん一人残すのは辛いので、話し合った結果、お二人と最愛の生徒であるカナエちゃんを連れて旅立つ事が書かれていました。
また、カナエちゃんのご両親に最大限の陳謝と、ささやかながら残る全財産をお譲りする旨が書いてあったそうです。
カナエちゃんは、お父さんお母さんに黙ってドライブに行こうとしていたことをこっ酷く怒られたそうです。
ユキちゃんは、トイレに行ったらケロっとしていました。
もしあの時、ユキちゃんが「お腹痛い」と言わずに「トイレ行きたい」と言っていたら、と思うとほんのり怖くなります。
ユキちゃんありがとう…カナエちゃんのいけず。