2年程前の話。その年の夏、俺は大小様々な不幸に見舞われていた。
仕事でありえないミスを連発したり、交通事故を起こしたり、隣県に遊びに行って車に悪戯をされた事もあった。
原因不明の体調不良で10キロ近く痩せた。そして何より堪えたのは、父が癌で急逝したこと。
そんなこんなで、「お祓いでも受けてみようかな…」などと思ってもいない独り言を呟くと、彼女(現在の嫁)が「そうしようよ!」と強く勧めてきた。
本来自分は心霊番組があれば絶対見るくらいのオカルト大好き人間なんだけど、心霊現象自体には否定的で、お祓いが利くなんて全く信じていなかった。
自家用車に神主が祝詞をあげる様を想像すると、シュールすぎて噴き出してしまう。
そんなものを信用するなんて、とてもじゃないが無理だった。
彼女にしてもそれは同じ筈だった。彼女は心霊現象否定派で、なお且つオカルトそのものに興味がなかった。
だから俺が何の気なしに言った『お祓い』に食いついてくるとは予想外だった。
まあ、それは当時の俺がいかに追い詰められていたかという事の証明で、実際今思い返しても良い気はしない。
俺は生来の電話嫌いで、連絡手段はもっぱらメールが主だった。
だから彼女に神社に連絡してもらい、お祓いの予約を取ってもらった。
そこは地元の神社なんだけど、かなり離れた場所にあるから地元意識は殆どない。ろくに参拝した記憶もない。
死んだ親父から聞いた話では、やはり神格の低い神社だとか。
しかし神社は神社。数日後、彼女と二人で神社を訪ねた。
※
神社には既に何人か、一見して参拝者とは違う雰囲気の人たちが来ていた。
彼女の話では、午前の組と午後の組があって、俺たちは午後の組だった。
今集まっているのは皆、午後の組という訳だった。
合同でお祓いをするという事らしく、俺たちを含めて8人くらいが居た。
本殿ではまだ午前の組がお祓いを受けているのか、微かに祝詞のような声が漏れていた。
所在無くしていた俺たちの前に、袴姿の青年がやって来た。
「ご予約されていた○○様でしょうか」
袴姿の青年は体こそ大きかったが、まだ若く頼りなさ気に見え『コイツが俺たちのお祓いするのかよ、大丈夫か?』、なんて思ってしまった。
「そうです、○○です」
と彼女が答えると、「もう暫らくお待ち下さい」と言われ、待機所のような所へ案内された。
待機所と言っても屋根の下に椅子が並べてあるだけの『東屋』みたいなもので、壁が無く入り口から丸見えだった。
「スイマセン、今日はお兄さんがお祓いしてくれるんですかね?」と、気になっていた事を尋ねた。
「ああ、いえ私じゃないです。上の者が担当しますので」
「あ、そうなんですか(ホッ)」
「私はただ段取りを手伝うだけですから」と青年が言う。
すると、待機所にいた先客らしき中年の男が青年に尋ねた。
どうやら一人でお祓いを受けに来ているようだった。
「お兄さんさぁ、神主とかしてたらさ、霊能力っていうか、幽霊とか見えたりするの?」
その時、待機所に居る全員の視線が青年に集まったのを感じた。
俺もそこのところは知りたかった。
「いやあ、全然見えないですねぇ。まあちょっとは『何かいる』って感じることも、ない事はないんですけど」
皆の注目を知ってか知らずか、そう笑顔で青年は返した。
「じゃあ修行っていうか、長いことその仕事続けたら段々見えるようになるんですか?」と俺の彼女が聞く。
「ん~、それは何とも。多分…」青年が口を開いた、その時だった。
「シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、シュ」
入り口にある結構大きな木が、微かに揺れ始めたのだ。
何事だと一同身を乗り出してその木を見た。
するとその入り口の側に、車椅子に乗った老婆と、その息子くらいの歳に見える男が立っていた。
老婆は葬式帰りのような黒っぽい格好で、網掛けの帽子を被り、真珠のネックレスをしているのが見えた。
息子っぽい男も葬式帰りのような礼服で、大体50歳前後に見えた。
その二人も揺れる木を見つめていた。
「シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ」
と音を鳴らして、一層激しく木は揺れた。
振れ幅も大きくなった。
根本から揺れているのか、幹の半分くらいから揺れているのか不思議と分からなかった。
分からないのが怖かった。
「ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!
ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!ビュン!」
木はもう狂ったように揺れていた。
老婆と男は立ち止まり、その木を困ったように見上げていた。
すると神主の青年がサッと待機所から飛び出すと、二人に走り寄った。
「△△様でしょうか」
木の揺れる音のため、自然と大きな声だった。
頷く男。
「大変申し訳ありませんが、お引取り願いませんでしょうか。我々ではどう対処も出来ません」
こちらに背を向けていたため、青年の表情は見えなかったけれど、割と毅然とした態度に見えた。
一方、老婆と男はお互いに顔を見合わせ頷き合うと、青年に会釈し引き上げて行った。
その背中に青年が軽く頭を下げて、小走りで戻ってきた。
いつの間にか木の揺れは収まり、葉が何枚か落ちてきていた。
「い、今の何だったの!?」と中年のおじさん。
「あの木何であんなに揺れたの? あの二人のせい?」と彼女。
俺はあまりの出来事に、言葉が出なかった。
興奮する皆を、青年は落ち着いて下さいとでも言うように手で制した。
しかし青年自体も興奮しているのは明らかだった。手が震えていた。
「僕も実際見るのは初めてなんですけど、稀に神社に入られるだけで、ああいった事が起きる事があるらしいんです」
「どういう事っすか!?」と俺。
「いや、僕もこういうのは初めてで。昔居た神社でお世話になった先輩の、その先輩からの話なんですけど…」
青年神主の話は次のようなものだった。
※
関東の割と大きな神社に勤めていた頃、かつてその神社で起きた話として、先輩神主が更にその先輩神主から伝え聞いたという話。
ある時から、神主、巫女、互助会の組合員等、神社を出入りする人間が『狐のお面』を目にするようになった。
そのお面は敷地内に何気なく落ちていたり、ゴミ集積所に埋もれていたり、賽銭箱の上に置かれていたりと、日に日に出現回数が増えて行ったと言う。
ある時、絵馬を掛ける一角が小型の狐のお面で埋め尽くされているのを発見され、これはもうただ事ではないという話になった。
するとその日の夕方、狐のお面を被った少年が、家族らしき人たちとやって来た。
間の良いことにその日、その神社に所縁のある位の高い人物がたまたま別件で滞在していた。
その人物は家族に歩み寄ると、
「こちらでは何も処置できません。しかし○○神社なら手もあります。どうぞそちらへご足労願います」
と進言し、家族は礼を言って引き返したという。
※
「その先輩は、『神社ってのは聖域だから。その聖域で対処できないような、許容範囲を超えちゃってるモノが来たら、それなりのサインが出るもんなんだなぁ』と言っていました」
「じゃあ今のがサインって事か?」とおじさんが呟いた。
「多分…。まぁ間違いないでしょうね」
「でも、あのまま帰しちゃって良かったんですかね?」という俺の質問に青年は、
「ええ、一応予約を受けた時の連絡先の控えがありますから。何かあればすぐに連絡はつきますから」
「いやあ、でも大したもんだね、見直しちゃったよ」とおじさんが言った。
俺も彼女も、他の皆も頷いた。
「いえいえ!もう浮き足立っちゃって!手のひらとか汗が凄くて、ていうかまだ震えてますよ~」と青年は慌てた顔をした。
※
その後、つつがなくお祓いは済んだ。
正直さっきの出来事が忘れられず、お祓いに集中出来なかった。
しかし効果は絶大で、それ以後体調は良くなり、不幸に見舞われるような事もなくなった。
結婚後も彼女とよくあの時の話をする。
あの日以来、彼女も心霊番組を見たりネットで類似の話はないかと調べたり、どこで知ったのか洒落怖を覗いたりもしているみたい。
やはり気になっているのだろう。もちろん俺だってそうだ。
しかし、だからと言ってあの人の良い青年神主に話を聞きに行こうという気にはならない。
「もしもだけどさぁ、私たちが入った途端にさ、木がビュンビュンって、揺れだしたら…もう堪んないよね~」
彼女が引きつった笑顔でそう言った。全くその通りだと思う。
あれ以来、神社や寺にはどうにも近付く気がしない。