今から20数年前、私がまだ高2の時の事だ。
当時私は部活に励んでいて、その日は梅雨真っ只中。
薄暗い夕暮れ時に、いつものように部活から帰っていた。
私はその頃奇怪な体験ばかりしていて、例えば白い靄が蠢くのを見たり、唐突に寒気を感じたりする程度だったけど、かなり薄気味悪く感じていた。
私が住んでいたのは田舎だった。
駅まで続く道は、広く荒涼とした田んぼを突っ切る水溜まりだらけの一本道だ。
雨上がりでぐちょぐちょの中、私は一人で歩いていた。
ふと私がその水溜まりに目をやった。ひときわ大きな、テーブルみたいな池に。
すると、水の中に、そいつはいた。
水の中に、白い着物の女の人がくっきりと映っていて、じっとこちらを凝視して何か言っていた。
無論、周囲の様子はおろか自分の顔すらも映らないような水深なのに。
私は死ぬほど驚き硬直して、目が離せなくなった。
水溜りに映っている時点でアレだけど、絶対人間じゃないと思った。
顔の色が土気色でかなり変な色だったし、形は人なのに出しているオーラがなんだか別のモノっぽくて、物凄い鳥肌が立った。
女は髪をバサバサ振り乱して必死に何かを訴えていた。
だが、なぜか全く聞こえない。
目を限界までカッと見開いていて、口の動きはパクパクするのを三倍速にした感じ。
その必死の形相に戦慄して、私はダッシュで逃げ出し、怯えながら家に帰った。
取り敢えず家族には何も言わずに、なんだか分からないけどさっさと忘れようと思い早めに寝た。
すると、意に反して夢の中にそいつが出てきたのだ。
夢の中で、あの女はまた髪を振り乱し、今度は両手も振り回しながら何か言っていた。
さっきと違い、もっと強く怒鳴っているようだった。
しかも、水溜まりの時は気付かなかったが、女は墓地を背にして立っていた。
私は無言で怒鳴る女に、
「何言ってるかわかんない」「きこえないきこえない」
と何度も訴えたが、私の声も相手に聞こえていないようだった。
今書いたら滑稽だが、実際に体験した身からすると滅茶苦茶怖くて、私は半泣きだった。
※
不毛な問答を繰り返している内に、朝になって目が覚めた。
私は全身汗だくで肩で息をしながら跳ね起き、さっきのが夢だと分かって安心する。
「夢かー…」
と言いつつ、取り敢えず暑いので着替えようと布団から出て、ふと自分の足を見た。
すると、右足の内側ら辺に、何か書いてあるのが見えた。
血文字で。
あの女の、目の血走った顔が脳裏を過った。
字は達筆というか、やたらウネウネした、墓にある卒塔婆みたいな感じで書いてあった。
しかし、うねりすぎていて読めない。というか怖い。
誰の血なのか。私は出血なんかしていない。叫びそうだった。
半狂乱でその辺にあったティッシュを取り、濡らして思い切り擦った。
なかなか取れなかった。
もうこいつに伝えても駄目だ、伝わらないと諦められたのだろう。それきり、女は二度と私の前に姿を現さなかった。
今思えば、あの血文字の内容こそ言いたかった事だろうから、写真などを撮っておいたら良かった。
それから、もし女の声が私に聞こえていたらと思うと、気が気でない。
あの延々と怒鳴る声が聞こえていたら、きっと怖すぎてショック死していたな。
20数年経った今でも鮮明に覚えている。
あの女はもう出て来なかったが、ずっと私の中に、奥の方に住み着いている。
じーっと頭の中で息を潜めているような気がするのだ。