アパートに帰り着くと郵便受けに手紙が入っていた。色気のない茶封筒に墨字。間違いない泰俊(やすとし)からだ。
奴からの手紙もこれで30通になる。今回少し間が空いたので心配したが元気そうだ。宛名の文字に力がある。
部屋に入り封を切る。封筒の文字とは裏腹に手紙の方の文字には乱れがあった。
俺は手紙から目を離し、何かを思い出そうとした。
俺は慣れない運転でいささか疲れを感じ始めていた。山深い田舎のクネクネと曲がりくねった道。緑が美しく思えたのは最初の一時間程だ。
助手席の泰俊は運転を代わってくれる素振りを見せない。
いつもはこいつが運転担当だ。
堪らず少し広くなった道脇に車を停め、「どうした?」と顔の泰俊に言った。
「運転代わってくれ!!」
「康介(俺・こうすけ)…俺は今、免停中だ。法を犯すことは出来ない」
と言って合掌しやがった。こいつは寺の長男で将来は坊主だ。そして色んな意味で頼りになる。
「くぅ~。お前。スピード超過で一発免停喰らっといて言う言葉か? それでも坊主か?」
と食ってかかる俺。
「俺はな、反省してるんだよ。康介。二度と過ちは犯すまいってね。そんな俺をそそのかすお前は何だ? 恥を知れ!!悪魔め」
と涼しい顔で前方を指差す。
そこには目的地まであと4キロの古びた看板があった。
「ここまで来ておいて投げ出すとは…情けない奴だよな。仕方ない。お前の為に俺は再び罪を犯そう」
とため息をつきやがった。
俺は一言、
「もういい。運転する」
としか言えなかった。
なんだかんだで滅茶苦茶長い4キロを走破して俺達は目的地の町に着いた。
ここでもう1人の友人であり、ここの出身者でもある友明(ともあき)と落ち合うのだ。
約束の場所は小学校の跡地。すぐに分かった。
会う人みんな年寄りばかりで、20代の若者は俺達だけって勢いで思いっきり過疎化って感じだが、みんな明るく朗らかだった。
友明がニヤニヤ笑いながら近づいて来る。
友明「お疲れさん。お? 康介が運転か? んじゃ、もう少し休憩して出発するか?」
俺「え? ここじゃねぇの?」
友明「ん? ゴールはこっから一時間くらいの山の中」
俺「友明…運転…」
友明「俺、ペーパー。危ないよ(笑)」
やっぱり今回の旅は調子が狂う。いつもは俺等3人が何らかの役割分担をし、お互いワイワイ楽しんだものだ。
だが今回に限り泰俊はダンマリだし、友明は何となく緊張している。
騒いでいた俺は運転で疲れ果てている。なんか違うだろ?
そう。今回は観光でもバイトでもナンパでもない。
俺達は魔物を「封じ」にここへ来たのだ。
※
事の始まりは春、まだ少し寒い頃だったと思う。
部屋で泰俊とゲームだったかDVDを観ている時に、友明が訪ねて来た。
珍しく神妙な面持ちで、ちょっと力を貸してくれないかって言う。
「なんだ、彼女と喧嘩したのか?」と言うとニカッと笑って「違うって」と言い、すぐに真顔に戻った。ちょっと驚きを感じて話を促すと、
「俺の地元の寺の住職が危篤なんだよ」
と話し出した。
何でも友明の家はその地元の寺を支える四家の内の一家で、寺の住職が亡くなった時にある「御役」というものが代々あるとの事だ。
御役には四家の家長が着くのだが、友明の親父さんは病気か怪我で御役を務める事が出来ず、息子の友明が代行する事となったそうだ。
しかし正式な家長ではないので介添え人を3名まで付ける事が許されるのだと言う。
ただその御役自体、特殊な行為を伴うらしく、地元では介添え人が見つからず、異例中の異例という事で部外者の協力も可という事になったらしい。
俺は真っ先に思ったことを口にした。
「まさか、今の時代に坊主のミイラ造るの手伝えっての?」
友明は笑いながら、
「まさか…死人相手ならまだ楽。相手は魔物だよ。住職の死肉を喰いに来る魔物の封じが御役なんだ」
と恥ずかしそうに言った。
しばらくの沈黙……。
俺「嘘だろぉ~」
友明「いや、マジ。お前等は何もしなくていい。多分ただ見ているだけで終わると思う。
ただ多少決まり事があるからその話合いを他の3人の御役として、その通りに動けばいい。
俺達が魔物に襲われる事は絶対にない。最悪、熱出して2~3日うなされるだけ」
正直、なんかこうもっとアクションがあると思った。こういう場合決まって御札で守ったり、呪法があったり、結界が……。
そんなものはこれと言ってないそうだ。ある場所から魔物が出てくるから、それをある方法で封じるだけ。俺達介添え人はその場にいるだけでOK。単なる魔物見物だ。
ただし、見える見えないには個人差があるという。俺は好奇心で行くことを決めた。多少、霊感のある泰俊が考え込んでいたので少し不安になったが結局、泰俊も行く事になった。
介添え人は俺達2名と決まり、友明は先に地元へ帰るという。
※
後日、地元へ帰る友明を駅まで見送りに行った。
友明は俺達に連絡したらすぐに来てくれと念を押して電車へと乗り込んだのだ。
俺はとっさに、「あ、相手の名前なんてぇの?」と聞くと、友人は歪んだ笑顔を向けただけだった。
駅からの帰り道。泰俊は終始無口だった。この男の性格は決して暗くない。実家が寺だとは信じられないくらい明るいのだ。
「友明の奴、なんで魔物の名前教えなかったんだ?」
空気を読めない俺は、多分、泰俊が無口になった原因の真ん中ストライクをズバリ聞いてみた。
泰俊は俺の顔をマジマジと見つめて、
「お前は馬鹿そうに見えるが、いざという時には頼りになる。今回のあいつの頼み事はお前が要になるかもな」
「俺ってそんなに馬鹿そう? てか友明は危険はないって言ってたじゃん」
俺が頼りにしている相手からの思いがけない信頼にちょっとビックリしながら言うと、
「あいつは女には嘘をつくが、俺達には嘘をつかない。でも危険がないならなんで地元の人間が見つからない?
俺達の業界でも忌まわしきモノの名は口に出さない。あいつが名前を教えなかったのは俺達の仲をもってしてもはばかられるモノだからとしか考えられん。
坊主が死んで出てくる奴だ。坊主の端くれの俺には相性が悪すぎる」
「泰俊。じゃ~なんでお前この話受けたんだよ? お前の話聞いたらマジでヤバそうじゃん。今からでも断るか?」
「お前な…友明は俺達が行くって事になって初めて帰る決心がついたんだよ。あいつは地元の決まりから逃げられないみたいだからな。お前は知らないが俺は友明を裏切れない」
「俺だってそうだよ。友明を助けたい。でもお前はヤバいだろ?」
「今この決断で俺は親友を失いたくない」
「泰俊……」
こいつの一言が俺の好奇心をそのままそっくり恐怖心へと変化させて行った。魔物見物。ちょっとした肝試し程度しか考えていなかった。
無口になる俺。
「お前って単純馬鹿だよな。実際。本当にからかい甲斐があるよ」
いつもの笑顔で泰俊が言う。
「馬鹿にするな!」
とやり返し膨れてみせる俺。
話題は昼飯と女のことに移ったが俺の中の恐怖は何となく残ったままだった。
山門のあるちょっと立派な寺だった。入り口の前の広場に車を停め歩いて行くと寺内から60代くらいの男の人が出てきた。
「友明君、彼等が介添え人の方達かな?」
友明がそうだと応えて紹介しようとすると、その人は片手を挙げて制し、「名前なんてお互い知らなくていい」と続けて言う。
「ここでの事は原則、他言無用。しかし喋りたければ自由にしていい。どうせ誰も信じないからね。私自身、未だ見えないから。
でも音だけは誰でも聞こえる。だからソレがいる事はわかるんだよ。
さて、他の2人の御役が住職を見ているので、私は君達にこれからの事を簡単に説明する。
この事の『云われ』や経緯は『封じ』が終わってからゆっくりと友明君からでも聞きなさい。じゃ~こっち来て」
この人の言い方には最初「カチン」ときたが、後から俺と泰俊の身を心配してくれていた事を友明から聞いて知った。
連れて行かれたのは寺の左側の裏にある石造りの古い井戸。
木製の棒が口を塞ぐように滅茶苦茶に置かれ、その上に竹製のカゴの様な物で覆われていた。この井戸に魔物が封じられていて、無秩序と秩序で封をしているとの事だった。
しかし、この封は住職が死んで7日目の夜に解け、中から魔物が住職を喰いに出てくるそうだ。
要するに直接の俺達の仕事は新しく封をする事で、新しい木製の棒を井戸の口にランダムに置き、その上にカゴ(カゴメというらしい)を被せるだけ。
ここで木の棒はキャンプファイヤーの時のように歪な格子状に置くのだが、一段目に7本。二段目に7本という風に全部で七段組むように言われた。
ただし六段目のみ8本の棒を使うように指示され、その8本目の棒一本のみ特別で、何かの呪いが仕掛けているとの事だった。
残りの49本の棒はこの一本を護るダミーだ。ちなみに何段目にその一本を入れるかは毎回異なり、しかも一度封をしたら後は古くなって朽ちるにまかせるだけだという。
次回の封は次の住職が亡くなる前にして、亡くなると再度、封をする。住職が亡くなる前後二回のみ井戸に封じをするという事らしい。道理で木の棒が新しい訳だ。
一つ疑問に思ったので聞いてみた。
俺「この封じをする時は、俺達居なくて良かったんですか?」
おじさん「いきはよいよい、帰りは怖いってな。この封じは住職が死ぬ3日前に造ったもので『死蓋(しにぶた)』と言ってあまり力が無いんじゃよ。棒も一本足らん。
住職が死んで力が強くなった魔物を再び封じる為にわざと破らせるものだ。
そこで君達に組んでもらうモノは『生蓋(いきぶた)』。
これは本当に出られんようにする封じじゃ。これが大切」
「生蓋」をするのは「御役」の4人の中の一番若い者の仕事で当然、友明な訳で俺達な訳だ。大体の俺達の役割は理解出来た。多分いや絶対一番重要な役だ。
おじさん「それじゃ本堂に行って住職を拝んでこよう。それからメシだっ」
夕食前に遺体を見るのは勘弁だったが、普通に棺桶に入っていて直に見ることはなかったし、他の2人の御役は座ってお経を唱えていた。
今日で死後6日目の遺体。想像しただけで食欲は無くなったが、それを察した友明が「ちゃんと防腐処理してるから思ってるより綺麗だよ」とボソッと小さく言った。
寺の座敷でくつろいでいる所へ、年配の女の人が握り飯と味噌汁、簡単なおかずを差し入れてくれた。俺等を見ると
「産助殿(さんすけどん)ご苦労さんです」と口々に言う。
俺「さんすけどんって何?」
当然、友明に質問。答えは何故か泰俊から返ってきた。
泰俊「多分、産助殿だろう。お産を助けるって意味だと思う」
友明「その通り。そんでやっぱ変って思うだろ?」
俺「何が?」
友明「だって魔物封じする俺達が産助殿だぜ?」
俺「あぁ……でも、そうか……」考えがまとまらない。
泰俊が握り飯をつかみ中に入っている梅干を取出して食べ始めた。
泰俊「封じの経緯なんか聞きたい所だがヤッパ終わってからなんだろ?」
梅干の味がしたのか顔をしかめた。
友明「ああ。余計な知識が無くても出来る事だし。あいつみたいに好奇心の塊みたいなヤツは知ったら知ったで何かしそうだしな」
わざと俺を見ずに友明が言う。確かに。自分でも納得したが、心の中にいまだある不安というか恐怖というか微妙な感情に俺は気付いた。
とにかく明日の夕方まで暇な訳で、俺と泰俊は寺内を散歩して暇を潰した。
そんな時、本堂の仏さん(住職)に線香をあげていると、泰俊が天井の方をジーっと見上げている。
俺も興味を引かれ見てみると横木が渡してあり、そこには木の札が二十数枚張られていた。
「おお~これは!!」と思っていると、「代々のこの寺の住職の名前じゃよ」と後ろから声がした。井戸へ案内してくれたおじさんだ。
「右端が初代。この封じの当事者の名だが、なかなか達筆で読めんだろ? 確か今回亡くなった住職の二十七代前だ」
言うだけ言うとおじさんは廊下へ消えた。
名札を数えたが二十四枚しかなかった。案外アバウトでホッとした。
だが、泰俊はその初代という人の名札を凝視したまま動かない。
「知ってる人?」
「ああ……」
「ええぇ~、マジ?」
「……お前はちょっと引っかかり過ぎ!わざとかよ?」
笑う泰俊。
今の泰俊には余りにも似合わない笑顔だった。
※
辺りも暗くなり俺達の部屋にはすでに布団が敷かれてあった。友明は他の御役達と交代で寝ずの番だそうだ。
部屋を出る時に「今夜あたりから『音』が聞こえ出すけど気にすんな」とだけ言って行った。
寝て辺りが静かになるとすぐに『音』が聞こえた。
『音』というより『鳴き声』だ。
「ミャーミャー」「ニューニュー」みたいなまるで子猫の鳴き声で、猫大好きな俺は思わず跳ね起きる。単純に暇だから遊ぼうと思ったのだ。
俺の膝を泰俊の手が押さえる。痛いくらいに力が入っていた。
「猫じゃねぇ。絶対に外には出るな」
押し殺したような低い声。
一瞬寒くなり、俺は布団に戻った。甘ったるい、何とか助けてやりたい気分になる子猫の声だ。多分猫好きの人には解るだろう。
『声』さえ気にしなければ何という事もなく気がつくと朝になっていた。多分車の運転疲れもあったのだろう。
顔色の悪い泰俊はすでに起きていた。いや一睡も出来なかったそうで、「お前のキモの太さは凄い」というのがおはようの挨拶の前の一言だった。
昼になり、いよいよ夕方になって俺はこの件でこれまで一番の衝撃に見舞われた。例の井戸の前の大木に人が吊り下げられていたのだ。
正確に言うと住職の遺体が。
落ち窪んだ目。アゴを縛られているが微妙に開いている口。青白く背中一面黒く変色した体。
どこか物見遊山的な気分は消し飛んでしまった。
俺達は魔物を『封じ』に来たのだ。
住職の遺体には、藁で編んだ「しめ縄」の様なヒモが無数にかけられ、地面へと伸びていた。
地面は黒く汚れていて多分住職の内容物だと思うが、その割、嫌な臭いはしていない。
周りにはCの字型に薪が積まれ魔物が出てきたら隙間口を塞ぎ、住職の遺体を降ろして一緒に燃やすのだそうだ。
そして遺灰と住職の遺骨の一部を井戸に入れ封をする。これで終わり。
単なる変わった火葬に付合わされているだけかも知れない。
地元の人は確かに嫌だろう。
夜の8時頃、それは起こった。
また子猫の声が聞こえたかと思うと、竹カゴのせいで見えにくいが井戸の上にある封の棒が下から突き上げられる様に小さく振動を繰り返している。「ガシャガシャ」と音がするのだ。
しばらくすると1本、2本と棒が地面に落ちだし、その数が20本を越えた頃、今度は竹カゴがバリバリと音を立てた。まるで中のモノが外に出ようとしている様に。
息を止めて見守っていると、「バリバリッ」と一度大きな音をたて竹カゴが地面へと転がった。
「ゴクッ」っと生唾を飲み込む俺。
「ミューミュー」と声が相変わらず聞こえ、ポトポトと何かが落ちる音がして子猫の声はだんだんと吊り下げられた住職の方へ近づいて行く。
姿は見えないが、そこには確かに何かがいる。これが魔物だろう。
今更ながらに気付いたのだが、子猫の声は一つではない。何十匹分という声が聞こえている。
俺は幸いにもかがり火で照らされた地面に何も確認出来ない。見えないのだ。いつの間にかあれ程見て見たいと思っていた魔物の姿を見ずに済んで「ホッ」としている自分に気が付いた。
同時に隣に泰俊がいる事に気付き、顔を覗き込む。
泰俊は今まで見た事もない表情をしていた……。
俺はとっさに腕を取って後ろに下がらせ、泰俊は「ハッ」と気付き、俺に「すまん」と礼を言った。
俺「お前、まさか見えたのか?」
泰俊「ああ…こいつは酷い…」
言ってるうちに遺体を吊るした大枝がメキメキと音を立てだした。思わずそちらを見る泰俊。だがすぐに目を伏せる。
俺も見たが、風も無いのに遺体がクルクル回りだし、垂れ下がったヒモが不気味に動いているだけだった。
しばらくして、友明を含む4人の「御役」がCの字の口を薪で塞ぎだした。
塞ぎ終えると、お経や鉦を鳴らし住職を吊るしたヒモの元を切って遺体を地面に落とした。
「ドシャッ」
何かが潰れた音だ。ふと遺体損壊とかで捕まるんじゃないかと思ったな…。
4人の御役は住職の遺体の上に木屑や薪、藁などを入れ火を点けると思いのほかすぐに大きくなり、いつの間にか子猫の声も絶えていた。
これからの仕事は遺体が骨になるまでの火の番で、目の前で直に人を焼いている。なるほどトラウマになりそうだ。
明け方近くなってようやく火葬が済み、俺達は火に酔ったみたいにトロンとしていた。多分睡魔もあったと思うが、しかし眠いとは思わなかった。
木製の箱にあらかたの遺骨を納め、残った骨は灰と一緒に集められ俺達の所に持って来た。
「さて、これで最後じゃから頼むの」
おじさんの声。
頷く友明が遺灰を受け取り井戸の中へ撒いた。残りの3人の御役はお経を唱え続けている。俺と泰俊は友明の所へ行き封の手伝いをし、20分で終わった。
魔物封じ終了。
井戸のかたわらに立ちすくむ泰俊を見ながら俺はビビリも入ったが楽勝と思っていた。辺りは既に明るくなってきている。
本堂の辺りで声が上がり見てみるとメシの用意をしてくれた女の人達が今度は大量の塩を持ってやって来た。
自分達も含め庭一面を清めるのだそうだ。布の袋に入った塩を2つもらい、1つを泰俊に渡そうと近づく。泰俊はまだ井戸に居る。
またさっき見せた表情になっていた……。
「おい!!泰俊!」
思わず叫ぶ。
ゆっくりとこちらを向き、
「封は終わったんだよな? なぁ……多分……あれは……康介……女の子がいた……」
目を閉じ頭を抱え、
「4~5歳くらいの裸の女の子。だけど左肩から1本、右の脇腹から3本、蜘蛛の足が……飛び出していた……。それでな……左の首筋に蜘蛛の頭がついてるんだ……。井戸の横に居て……あいつも一緒に封じたんだよな……?」
俺「まだいるのか?」
泰俊「いや……もう居ない……竹カゴを被せたら消えた」
胃がキューッと締め付けられた。
俺「だったら……大丈夫だよ」
何の根拠も無い返事。
その夜、泰俊は高熱を出した。
※
2日間、友明の実家に世話になり、俺達は帰路に着いた。帰りは友明も一緒で今回のせめてものお礼という事で運転をするとの事。
助手席の景色はまた違うなと余裕を見せる俺。市内に入りシートベルトを握り締め、「ブレーキ!ブレーキ!!」と叫ぶことになるとは、この時は思ってもいなかった(笑)。
帰りの車内で元気になった泰俊は自分が見たモノを絵に描き俺達に説明した。友明は魔物の姿形を知っていて、
「本当に見ちまったのか……」
と同情していた。
コンビニのおにぎり大の赤ん坊の頭に人の手足や蜘蛛の足が無作為に付いているらしい。
下あごの元辺りから生えていて動きは鈍く、よく引っくり返っていたそうだ。
目は何故か皆閉じていて、口は本来ある場所には無く、あごの先の裏に付いていて奴らが転んだ時に良く見えたそうで、鳴き声は俺も知っている子猫の様な声。
そんなのが何十匹も住職の遺体に取り憑いていたそうだ。
そして火葬が始まると一斉に鳴くのを止め、目を見開いて血の涙を流しながら御役達を見つめていたと言う。
これを聞いて友明は言葉を失ってしまった。
何故か泰俊は井戸の横に居た『女の子』の話はしない。俺も触れなかったが…。
俺等は一応、無事に帰りつけたと思っていた……。
俺的に一番危険だったのは、帰りの車内であって『封じ』の一件はちょっとサプライズなイベントみたいなものだ。
俺の部屋で厄払いの酒盛りをする事にした。なんと言っても、今回の『封じ』の「云われ」を友明に聞かなくてはならない。
それで全て終わる。
俺と泰俊は焼酎、友明は缶ビールで乾杯をし友明が語りだす。
「俺も全て詳細に知っている訳じゃない。俺等『御役』4家には、『封じ』は昔話みたいにして伝わっていて、家長にならないと全ては解らない」
左手にビールを持ち替えツマミをあさる。
「今回、俺は親父の代理だった訳で『封じ』の作法しか新しい情報はない。作法の話をしても泰俊は面白いかもしれないが康介は暇だろうから『御役』に伝わる昔話をしようと思う」
※
江戸時代の初め頃の話。
大きな戦があってその村の男衆も大勢亡くなった。働き手を欠き、残された村人は餓えに苦しんだという。
それでも戦が無くなり次第にもとの生活に戻っていった。こういう事があったからか、この村では多産で網で獲物を捕らえて放さない『蜘蛛』を大切にする様になったそうだ(今でいう「コガネグモ」で、地元では「ダイジョウ」と呼んでいた)。
そしていつしか蜘蛛の世話は必ず男がし、女は触れてはならない。蜘蛛を殺すことは御法度などの村律(そんりつ)『村の掟』が出来たという。
ある時、この村の名主の家で婚礼があった。隣村から名主の次男坊を婿に迎えたのだ。
若夫婦は仲が良く、妻はすぐに身籠った。名主夫婦も大変に喜び孫はまだか?と言わぬ日がない程だったという。
しかし、隣村から来た婿はどうしても蜘蛛に馴染む事が出来なかった。
ある日、婿が涸れ井戸のほとりを歩いていると見た事も無い大きな蜘蛛がそこにいた。
彼は、これ程の蜘蛛だから家人に見つかれば必ず自分が世話をさせられると思い、蜘蛛を殺して井戸へと捨ててしまう。
それを運悪く身重の妻に見られてしまう。
妊婦のいる家での蜘蛛殺しは御法度であり不吉と考えられていたので、妻は夫をなじった。詰め寄る妻をなだめていたが、揉みあっている最中に誤って妻も井戸へと落ちてしまった。
すぐに助けを呼んだが妻は井戸の中で亡くなっており、惨いことに落ちた衝撃かどこかにぶつけたか腹が裂け赤ん坊が外へ出てきていた。
女の子であったが助からず当時は、水子は供養されること無くそのまま井戸の底に埋められたのだという。
それからしばらく経った夜に「猫の声の怪異」が始まった。
聞く人が聞くと「まんま、まんま」と言っているという。
その内、夜寝ている間に体を虫に何ヶ所も齧られるという家人が増えていった。
傷口は治りが遅く、酷い痛みが伴った。そしてこういった出来事は決まって「猫の声の怪異」があった晩であった為、若夫婦の水子が空腹の余り化けて出ているとの噂が流れていったそうだ。
そしてとうとう婿もこの怪異に遭ってしまう。しかしいつもと違い、齧られるというより喰われると言った方がいい状態で出血も酷かった。
だが、婿本人は痛みすら感じておらず、これ以降他人がこの怪異に遭うことは無くなったが、婿は少しずつ…少しずつ…喰われていった…。
名主の老夫婦は一人娘を失ってから婿に辛く当たり怪異の対象が婿1人になると婿を実家に追い返した。ところが婿が居なくなると怪異の災いが村中へと広がってしまった。
明らかに婿を捜している様子だったので、村のために婿を呼び戻す事になったが、隣村の名主は息子が魔物に喰われていくのを黙って見てはおれず申し入れを断った。
困り果てた老夫婦は遠方の寺に使いを出し怪異を鎮めてもらうよう懇願した。
知らせを受けた寺の者達は、このような怪異を鎮める法を知らず困っていると、ちょうどこの寺に逗留していた旅の雲水がこの役を買って出たという。
雲水が使いの者と村に着いた時には村人殆どが怪異に遭い、疫病のようになって死に絶えていたそうだ。
使いの者は恐れ慄いて逃げ出そうとしたが何とか怪異の元の名主の家まで案内したのだが、老夫婦も既に亡くなった後だったという。
雲水は怪異の正体を探るため、結界を張りそこで一晩を過ごした……。
数日が過ぎ、雲水は隣村の婿のもとへ現れた。婿と親夫婦の前で雲水は語る。
「婿殿はタチの悪い蜘蛛を殺されたのであろう。彼の村が蜘蛛を祭るを知り遠方より流れ来たる古の悪霊が蜘蛛に取り憑いたモノです。
貴方は良い事をされた……。しかし肉より離れた悪霊は今度は貴方の奥方に取り憑き貴方を陥れようとしました。
ただ貴方に付いている神がそれを許さず、奥方ごとまた地獄へ送り返されました。
ここで不憫なのは奥方もさることながら御腹の赤子です。死した蜘蛛にも子があったようで、今、魂は混じり合っています。
井戸は冥界に通じ、魔物を産む産道となって人の子が親を慕うが如く、蜘蛛の子が親を喰らうが如く起こったのがこの怪異です。
貴方はこれらの魔物の親として祭らねばなりません。死した後喰われ、御霊を安んじ四方四家を建て鎮まるまで…」
その後、婿は雲水の指導の下、井戸で『願』を立て僧籍に入ったという。
コップを持ったままだったのに気付き、俺は焼酎を一口呑んだ。
寺で見た名札。
あれ程続けてまだ成仏していない魔物……。
泰俊も心なしか顔色が悪い。
しこたま呑んで俺達は寝た。
起きた時、泰俊の姿が見えなくなっていた。携帯に連絡しても応答がない…。連絡が取れなくなって数日後、泰俊から俺宛に手紙が届いた。
いきなり居なくなり、連絡を取らなかった事をまず詫びて、その事は書かれていた……。
泰俊は今、ある場所に閉じこもり御払いを受けているという。井戸で見た女の子が取り憑いているそうだ。
蜘蛛と人の融合体。一番封じなくてはならなかったモノ。
でもなんで泰俊に?
泰俊が言うには婿が僧籍になってもらった名が『タイシュン(泰俊)』。
泰俊(やすとし)と同じ名前だった。寺で名札を見て一目で分かったそうだ。
魔物が親と間違えたのか? 他に何か理由があるのかは分からない…。
俺達は手紙のやり取りで魔物の事を『蜘蛛水子』と呼んだが、本当の名が何なのか未だに知らない。
泰俊が最初に見た無数の魔物の方が蜘蛛の性が強く親を喰いに行き、井戸の横にいた女の子は人の性が強く親を慕ったというのが俺達2人の結論だ。
女の子は昔から居たのか、泰俊が居たから出てきたのか分からない。
女の子の存在を友明を含め4人の御役も知らないようだった……。
例の寺にも新しい住職が出来た。なんと友明だ。坊主の真似事すらした事のない奴がだ……。まるで生贄だと思った。
……実際そうなのだろう……。友明は泣いていた。今度遊びに行く……。
あれから随分、時が過ぎた。
……泰俊はまだ出てこない…………
※
アパートに帰り着くと郵便受けに手紙が入っていた。色気のない茶封筒に墨字。間違いない泰俊からだ。
今回少し間が空いたので心配したが元気そうだ。宛名の文字に力がある。
部屋に入り封を切る。封筒の文字とは裏腹に手紙の文字には乱れがあった。
俺は手紙から目を離して、昔あった出来事を思い出そうとし、それはありありと脳裏に浮かび上がる。
手紙にはある住所と「待っている」の一言だけ。
異変があったのだ。そして泰俊が俺に助けを求めている。カバンに必要なものを投げ込み、駅へと向かった。
電車を降り、駅の改札に向かうと一人の僧と目が合った。
若いが怖い眼をしていた。坊主が一体何を見続けたらそんな眼になるんだ?
ふと考えてしまうくらいの眼光だ。
彼は無言で立ちすくむ俺の所まで来ると「こちらに……」とだけ言って俺の荷物を持ち外へ出る。
車に乗せられ一時間程で目的地に着いたが、そこは坊主に合いそうでどう考えても合わない場所。とだけ述べておく。
俺一人だったら、手紙の住所と見比べて立ち往生しただろう事は明白だった。
裏口より入り、こじんまりとした庭を左手に見て廊下を進んだ。
ちょっと離れた庭石に15~6歳くらいだろうか、和服の女の人が背中を見せて座っている。少し歪な何かを感じた。
丁度、庭を半周したあたりで右に曲がる。すると雰囲気が一変し、そこはどう見ても寺内の廊下といった趣で、キツネにつままれた様な不思議な感覚に陥った。
突然、前を歩く若い僧が立ち止まり、
「気分はいかがですか?」
と聞いてきた。前述の感想を告げると、
「あなたにも何がしか憑いていた様ですが堕ちたようです。角を曲がってこちら側は結界が張ってありますので悪しきモノや取り憑かれた者は入る事が出来ません。ではこちらに…」
と一室へ案内された。
その部屋には既に先客が2名居たが、その片方を見て俺は思わず叫んだ。
「泰俊!!」
恐らく笑ったのだろう。唇がわずかに動いた。そこには痩せ衰え、骨と皮だけになった泰俊が僧衣をまとって静かに座っている。
涙が溢れ、思わず泰俊にすがりつき手を握る。思いの外、強く握り返して来た。瞬間、希望の炎が灯る。『こいつはまだ大丈夫だ』と……。
顔を上げると、
「け……けんきそうた……な……なくな……はか……」
とかすれた音(声)が聞こえた。
こいつが手紙を書き携帯を使わない理由がこれだった。また泣きそうになり「うるさい」とやっと返した。
「は……ななし……を……そふから…たのむ……」
俺は頷いた。
あの泰俊が俺を頼っている。……俺は決めた。
泰俊が若い僧に連れられ部屋を出た。部屋には俺と恐らく泰俊の祖父であろう僧が一人残った。おもむろに太いが優しい声で僧が語る。
「康介君。今日はご足労願って申し訳ない。わしは泰俊が祖父で道俊という。
今、御覧になった通り、このままでは泰俊は長くない。結界を張り直し、肉を齧られる事は無くなったが思いは届く様で日に日に痩せ衰えて行く。
泰俊が衰えれば衰える程、彼の娘は女へ、母へと成長して行くのじゃ。もう見た目は二十歳前後の娘……時がない」
庭で見た座った歪な印象の女の人……あれが泰俊が井戸で見た小さな女の子の成長した姿だったのか?
ゾクッときた。その事を告げると、
「ふむ……『晦日封じ』でも『節季封じ』でも『歳封じ』でも駄目。君にも見えた程となると厄介な…やはり井戸へ返して……『とどめ』かの……」
いきなり道俊和尚は姿勢を正し、俺に頭を下げて
「“泰俊” を井戸へ下ろし魔物に引導を渡す。孫を救ってやって欲しい」
と声を振り絞る。
俺は短く「はい」と応えた。
※
俺の名は “泰俊”。
今、呪われし井戸の底に居る。
フラスコの底の様な形状で思いの外広く、手に持ったたいまつの炎でも全体を照らす事は困難だ。
普通の井戸の底に後から手を加えたのは明らかで、一角に盛り土が見える。恐らくはここに水子を埋めたのだろう。井戸の底がそのまま水子の娘の為の霊廟と化している。
何時からか「ニューニュー」と声が聞こえ始めた。まだ娘は現れない。
一瞬、水中に落ちた様な異様な感覚が体を襲う。
途端に体中に痛みが走り、「ブチッ……グチャ……ビリィィィ」肉が裂け血が滴る…。生きながら喰われる恐怖。
見えないが『蜘蛛水子』が俺の体を喰い始めたのだ…。
俺はいつしかこいつらの父となったのだ。これで友明は助かるだろうと何となく感じた。
俺はまだ声を出す事が出来ない。必死に耐え、娘が現れるのを待つ。しかし、どうしても痛みが耐え難くなり容器に入った“俺”の血を壁に投げつけた。
重い水中に居るような感覚が遠のく…しかしすぐに元に戻る。気が遠くなりかけた時、今までとは違う感覚を感じた。あの歪な感覚。
微笑む女。いや、初代泰俊の娘にして『蜘蛛水子』の母親。井戸の主。違う……井戸本体か?
朦朧とした意識の中、彼女に向かって俺は初めて言葉を発した。心の中で念じる様に、一語一語心を籠めて……。
「父たる我は主が世にいづる事を願わず。速やかに、いね(帰れ、去れの意)」
自分の血で汚れた経本の様なモノを娘ごしに盛り土へ投げつけた。パッと花火がちり辺りを照らす。
彼女は悲しそうな顔をしてクシャクシャに崩れていった……生皮が剥がれ落ちるように……。
ポトポトポトと音がする。『蜘蛛水子』が堕ちる音か?
後にはたくさんの青い玉の様なモノが在ったが、それも地面へと吸い込まれていった。悲しい儚い色だった。後で聞いたが『魄(はく)』というらしい。
意識が無くなる寸前、俺の体に巻きつけられたロープがキュッと締まるのを感じた……。
たった一言の言の葉で、気の遠くなるほどの長きにわたる呪が解けたのか? 初代泰俊の父としての想いの強さがこの魔物を産む一因となったのか? 何故、旅の雲水は……。
※
疑問の嵐の中ふと俺は目を覚ました。襖が開き例の目つきの鋭い若い僧が顔を覗かせる。俺が目覚めたのを確認すると泰俊と道俊和尚を伴って部屋に入ってきた。
俺は泰俊が籠っていた部屋で寝かされていた。痛みをこらえながら傷で火照った体を起すと、泰俊が近づいて来て「寝ていろ…」と短く言った。
幾分、膨らみを取り戻した体に強い眼差し。『こいつはもう大丈夫だ』と俺は思った。
思わず笑い返す。
「康介君。孫の身代わり、何度礼を言ってもたりぬくらいじゃ。
『転魂の法』は泰俊と魔物、双方に縁がある者しか出来なんだとは言え、君の体と心を損なう事を思えばやはり外法であった。申し訳ないと思うておる。
しかし、これしか泰俊を救う法もなかったのも事実。許されよ」
深々と頭を下げる道俊和尚。
俺は達成感と幾ばくかの寂しさに浸りながら「いえ……親友2人のためですから」と小さな声で答えた。
「わはは。そういってくれるとわしも救われる。君は3人の人間を救うてくれたわい。ありがたい事じゃ。
しかし、わしはろくな死に方は出来そうにないの…。人呪わば穴二つ…やれやれ。
さてとわしは仕事があるのでこれで失礼するよ。……泰俊。しばらく彼と話をしなさい」
もう一度俺に頭を下げ和尚は若い僧と部屋を出て行った。
部屋に残った泰俊と俺はしばらく無言だった。それは泰俊が何かを語るその決心がつかずにいる為の沈黙だった。
「今更なんだ? 言いたいことは今言え」
俺が切り出す。
ニコッと泰俊が笑う。久しぶりに見たイイ笑顔だった。
「お互い虫に少々齧られたが、お前は少し利口になったな」
いつもの憎まれ口をたたく。
「康介。お前が疑問に思っているだろう事を教える。
あの娘は元は普通の『蜘蛛水子』だ。それを封じて井戸の中で共食いさせ井戸が持つ母としての呪力をも吸収して強力にしたのが……友明の話に出てきた『旅の雲水』だ。
名を……日正(にっしょう)という」
「泰俊……なんでそんなに詳しいんだ?」
泰俊「ああ…俺の先祖だからだよ。彼は…。あの娘はいわば彼の我々一族へ対する過去からの刺客なんだ。
初代泰俊は血肉を分けた親。俺は魔物の産みの親である彼の血族。俺が親と慕われたのは名前だけではなかった訳……」
俺「なぜ、日正は血筋の者を呪うような事をする?」
泰俊「それは……一族を挙げて彼を殺そうとしたからだよ。今も……」
俺「え? なにそれ?」
泰俊「いや…いい。この件はすっかりお前のお陰でカタがついた。じい様も言っていたが俺からも礼を言う。
何と言っても俺はここで髪の毛をお前に食わせ寝ていただけだ。半端な俺を良く助けてくれた。本当にありがとう。
俺も家を継ぐ事に決めた。親父も帰ってくるし、じい様の別件の仕事はとりあえず数日でカタがつく。そうしたらいよいよ徳度して坊主だ」
笑顔の泰俊。もう話す事は無いと眼が語っている。
泰俊は俺とは別の道を進もうとしている。昔の様な馬鹿はもう出来ないだろう。
そして俺は多分、元の生活に戻れるだろう。
友明も……。
俺が感じた達成感と幾ばくの寂しさ……俺は友を助けたつもりで実は失ったんじゃないだろうかとふと思った。
開け放たれた襖の向こう。外の光が異様なほど眩しく感じた。