今から話すお話は3年前、僕がまだ高校2年生だった時の話です。
その頃、僕はとあるコンビニでバイトをしていました。そのバイト先には同い年の女の子と、50過ぎくらいの店長、あと4人程年上の方が働いていました。
夏休みに入った翌日の朝、僕はいつものようにバイト先へ向かいました。店に入るとその日の朝の担当の同い年の女の子と3才年上の先輩が既にレジに付いていました。
僕「おはようございまーす」
先輩「おう、K君(僕の名前)!早く入ってね~」
僕「はーい」
いつものように会話を交わた後、店の奥で制服を着て仕事を始めました。その日の僕の主な仕事は、品物を並べたりすることでした。
朝の込み入った時間が終わり、客入りが一段落したとこで同い年ということで仲良くしていた女の子が話しかけてきました。
「K君、夏休みって何か予定ある?」
「いや、ないよ。とりあえずバイト以外は寝て暮らす(笑)」
「K君て、この近くの廃屋知ってる?」
「ああ、知ってる。幽霊が出るって噂の!」
確かに知っていました。その廃屋はこのコンビニから程近い所にある小さな屋敷でした。昔、家主が自殺したという話で町では幽霊が出るという噂の家でした。
以前同級生が見たという話も聞きましたが、僕は幽霊など信じないほうなので一笑に伏していました。
「あの屋敷がどうしたのさ?」
「出る…って噂は知ってるでしょ?」
「知ってるよ。自殺した家主の霊でしょ」
「違うのよ。それがね、幽霊じゃなくて虫が出るんですって」
「ぶっ」
僕は爆笑してしまった。その子があんまり真剣な顔で「虫」とか言うから。
「違うのよ!その虫っていうのは普通の虫じゃなくて、その家にやってきた人に憑く虫らしいの」
「はあ?」
その時、自動ドアが開いてお客が入ってきた。ここで一旦雑談タイムは終了。次にその子とその廃屋について話したのは夕方になり、僕たちのシフトが終わってからだった。
夏ということもあり、まだ外は明るいので僕のその子は店の側の河原でお喋りをしていた。
「で…さっきの話だけどね」
またか、と僕は思った。正直、関心がない。それに…考えてみると何か変だ。この子は普段結構大人しめの子で、お喋りをしていても僕の学校の馬鹿話の聞き手になるばかりなのに、何故この話題には執着するのだろう。
「私の友達がね、憑かれちゃったらしいの。虫に」
「…?」
「その子が、夏休み前の学校をあんまり休むものだから、心配してお見舞い行ったの。そしたら…」
「そしたら?」
「その子、すっかり痩せちゃってて、私は屋敷で虫に憑かれたって言うのよ。もう虫が夢の中にまで侵食してきてるって。もう眠ることもできないって」
「…で、その子はどうしたの」
「今、体調を崩して入院しているわ」
「そりゃあ気の毒だ。心の病だね。学校でいじめられでもしてたの?」
するとその子は大きく首を振った。
「そんなことない!むしろ明るくてクラスのリーダーみたいな子だったの。それがあんな風になっちゃうと、却って不気味で…」
僕は沈黙した。
「どうすればいいかなあ?」
「そんなこと言われても。そんなものいないと思うけど。その子の心の問題だって」
「そんなことないよ。あの廃屋にはいる。絶対にいる」
やはり様子が変だ。表情もいつもの彼女とは違って、なんというかとても恐ろしいというか、慣れない物を見たような違和感が感じられた。
「じゃあ、行ってみる?」
「え?」
「行けばわかるじゃん。いるかいないか。あ、別に変なことはしないので大丈夫ですよ」
「バカ!」
その笑顔はいつものその子に戻っていた。僕は少し安心した。
「でも、怖いなあ…。あの子みたいに憑かれちゃったりしたらやだな」
僕は自分から話を振っておいて、今更その子だけ逃げるのが心外だった。と言うより、心霊スポットで頼りがいのあるところを見せて男をあげようという気持ちがあった。
なんて言っても僕は高2。かっこつけたい盛りだったから。今思えばそれが間違いだった。ただの女の子のお茶目な嘘くらいに受け止めて、その話を流してしまえば良かったのに。
うまい具合に辺りは薄暗くなってきていた。とりあえずさっきまで働いていたコンビニに入って懐中電灯を買った。
顔見知りの店員だったから「なんに使うんだよ」と笑いながら聞いてきたけど、目的は言わなかった。
そして、廃屋に着いたときは辺りはすっかり暗くなっていた。
※
「やっぱりよ、そうよ」
とその子は言った。
「ここまで来たんだからちょっと中覗いてこうよ。大丈夫だって」
僕は至って冷静だった。怖いという気持ちは微塵もなかった。いや、あるとすればむしろ先ほどの彼女の表情だった。
あの表情を思い出すとなぜか身震いがする。引き戸の、普通のドアを開けて中に入った。ドアが錆びていて開けるときに「ギイイ」と耳障りな音を立てた。
中は真っ暗だった。家に入るとすぐ廊下があって、懐中電灯で照らすと部屋が4つくらい廊下から行けるようになっていた。どれも引き戸だった。
「気味悪い…。もう嫌だなあ」
と彼女は言った。僕は彼女に少し微笑して一番手前のドアを開けて中を照らした。中は蜘蛛の巣が張っていて、下には木材のかけらが幾つも落ちていた。
「やっぱ何もでないじゃん」
僕は言った。彼女は無言だった。ちょっと怖がらせすぎたかと思い、次の部屋の中を見たら帰ろうと思って、その次の部屋のドアを開けた。やはり何もない。
「と、言うわけで帰りますか。何も出なかったね」
と彼女に話しかけて、最初の玄関のドアを開けて外に出た。外はすっかり暗闇だった。
何も起こらなくて少し残念だったが、僕は帰ろうと歩き出した。そして気づいた。さっきから彼女は一言も喋っていない。でも隣にはいる。
様子は変だ。喋らないしうつむいたままだ。彼女の髪がうつむいているために彼女の表情を見えなくしている。
異常な恐怖が僕を覆った。廃屋の幽霊にでも虫にでもない。彼女に。僕はうつむいたままの彼女を廃屋の前に残し駆け出した。とにかくがむしゃらに走った。
この日ほど家に着いたときほっとしたことはなかった。冷静に考えると実に奇妙な行動だった。顔見知りの子にそれほどの恐怖を覚えて逃げるなんて。
でも、その時は確かに怖かった。理屈じゃない。なんというか、本当の未知の遭遇してしまった感覚を覚えた。その時、僕は本能で「逃げる」という行動に出た。そう思う。
その日は彼女に連絡を取らなかった。
「明日は昼から彼女と同じシフトだ…。明日謝ればいいさ」
僕は自分に言い聞かせるようにして、そのまま眠りに着いた。
※
その日の夢は妙だった。知らない人が僕の周りで何か話しかけている。みんなで一気にしゃべりかけてくるので僕はまったく聞き取れない。
「運が良いね」
それだけがはっきり聞こえた。同時に目が覚めた。
その日、バイトに行った。でも彼女は現れなかった。店長に聞いてみると、無断欠勤らしい。気が気じゃなくて、その日のバイトは手につかなかった。
そして、よく考えると夢の中の声はその子の、同い年の女の子の声だったということに気が付いた。
その日からその子はバイト先に来なくなった。それから店長に一回理由を聞いたが、病気で辞めたと言われただけだった。
その後、その子と二度と会うことなく、受験のため高3になった時にバイトは辞めた。今となっては噂の幽霊の正体も、彼女の言った「虫」の意味も、夢のなかの彼女の「運が良いね」の言葉の意味も解らない。
だけど、あの日の「この世のものでない何か」に触れた感覚を僕は一生忘れることはないだろう。
ここからは僕の予想だけど、きっと彼女「虫」に憑かれたんじゃないだろか。
そして僕は虫に憑かれなかったから「運が良かった」のではないだろうか。予想が稚拙すぎる、と言われればそれまでだけど、僕はそういう気がしてならない。
未知に触れる、近しいものが突然未知へと変わる。こんなに恐ろしい体験が他にあるだろうか。