人混みに紛れて妙なものが見えることに気付いたのは、去年の暮れからだ。
顔を両手で覆っている人間である。ちょうど赤ん坊をあやす時の格好だ。
駅の雑踏のように絶えず人が動いている中で、立ち止まって顔を隠す彼らは周りから妙に浮いている。
人混みの中でちらりと見かけるだけで、そちらに顔を向けるといなくなる。
最初は何か宗教関連かと思って、同じ駅を利用する後輩に話を聞いてみたが、彼は一度もそんなものを見たことはないと言う。
その時は何て観察眼のない奴だと内心軽蔑した。
しかし電車の中や登下校する学生達、更には会社の中にまで顔を覆った奴が紛れているのを見かけて、流石に怖くなってきた。
後輩だけでなく何人かの知り合いにもそれとなく話を持ち出してみたが、誰もそんな奴を見たことがないと言う。
だんだん自分の見ていない所で皆が顔を覆っているような気がし始めた。
外回りに出てまた彼らを見かけた時、見えないと言い張る後輩を思い切り殴り飛ばした。
俺の起こした問題は内々で処分され、俺は会社を辞めて実家に帰ることにした。
※
俺の故郷は今にも山に飲まれそうな寒村である。
両親が死んでから面倒で手を付けていなかった生家に移り住み、暫く休養することにした。
幸い独身で蓄えもそこそこある。毎日本を読んだりネットを繋いだりと自堕落に過ごした。
手で顔を覆った奴らは一度も見なかった。
きっと自分でも知らないうちに随分とストレスが溜まっていたのだろう。そう思うことにした。
※
ある日、何気なく押入れを探っていると懐かしい玩具が出てきた。
当時の俺をテレビに釘付けにしていたヒーローである。
今でも名前がすらすら出てくることに微笑しながら、ひっくり返すと俺のものではない名前が書いてあった。
誰だったか。そうだ、確か俺と同じ学校に通っていた同級生だ。
同級生と言っても机を並べたのはほんの半年ほど。彼は夏休みに行方不明になった。
何人もの大人が山をさらったが彼は見つからず、仲の良かった俺がこの人形をもらったのだった。
ただの懐かしい人形。だけど妙に気にかかる。気にかかるのは人形ではなく記憶だ。
喉に刺さった骨のように、折に触れて何かが記憶を刺激する。
その何かが判ったのは生活用品を買い出しに行った帰りだった。
親友がいなくなったあの時、俺は何かを大人に隠していた。
親友がいなくなった悲しみではなく、山に対する恐怖でもなく、俺は大人たちに隠し事がばれないかと不安を感じていたのだ。
何を隠していたのか。決まっている。俺は親友がどこに行ったか知っていたのだ。
※
夕食を済ませてからもぼんやりと記憶を探っていた。
確かあの日は彼と肝試しをするはずだった。夜にこっそり家を抜け出て、少し離れた神社前で落ち合う約束だった。
その神社はとうに人も神もいなくなった崩れかけの廃墟で、危ないから近寄るなと大人達に言われていた場所だ。
あの日、俺は夜に家を抜け出したのだが、昼と全く違う夜の町が怖くなって、結局家に戻って寝てしまったのだ。
次の日、彼がいなくなったと大騒ぎになった時、俺は大人に怒られるのが嫌で黙っていた。
そして今まで忘れていた。
※
俺は神社に行くことにした。親友を見つけるためではなく、単に夕食後から寝るまでが退屈だったからだ。
神社は記憶よりも遠かった。大人の足でも随分かかる。
石段を登ってから神社がまだ原形を留めていることに驚いた。
とうに取り壊されて更地になっていると思っていた。
ほんの少し期待していたのだが、神社の周辺には子供が迷い込みそうな井戸や穴などはないようだ。
神社の中もきっとあの時の大人たちが調べただろう。
※
家に帰ろうと歩き出し、何となく後ろを振り返った。
境内の真ん中に、顔を両手で覆った少女が立っていた。
瞬きした。少女の横に顔を覆った老人が立っていた。
瞬きした。少女と老人の前に顔を覆った女性が立っていた。
瞬きした。女性の横に古めかしい学生服を着込んだ少年が顔を覆って立っていた。
瞬きした。皆消えた。
前を向くと、小学生ぐらいの子供が鳥居の下で顔を覆って立っていた。
俺をここから逃がすまいとするように。
あの夜の約束を果たそうとするように。