私が幼い頃、母と兄と私の三人で仲良く暮らしていました。
しかし兄が14歳になる頃、母が事故死してからは親戚をたらい回しにされ、私はまだ4歳でその時の記憶は殆ど無いのですが、兄はかなり肩身の狭い思いをしたと言っていました。
兄は我慢できず家を飛び出し、幼い私は一人取り残されました。
親戚の家では初めての女の子で、まだ小さかったのもあり可愛がってもらったのですが、それでも兄の居ない寂しさは今でも覚えています。
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一年ほど経った頃、兄が私を迎えに来ました。住み込みで働ける所を見つけて来たのです。
親戚と揉めたりもしたが私は兄を選び、兄妹二人の貧乏生活が始まりました。
と言っても私は事の大変さが解っておらず、いつも我儘を言い、兄を困らせていました。
小学校に上がる時、兄はランドセルを譲ってくれないかと中学生の家へ行き、町中を必死に探して来てくれたのに、私は周りの子と比べ、新品じゃないとごねた事もありました。
人形が欲しい、服が欲しいとだだをこねても、困って笑うだけで私を叱らない優しい兄が、私が靴を万引きした時は凄く叱りました。
一時、兄と気まずい時がありましたが、事件から三日後、玄関に新しい靴が置いてあるのです。
「やりくりすればこれくらい買えるんだからな」
と言うと、仕事へ行った兄。
こんな可愛らしい靴をどんな顔で買ったのやらと想像し、笑って泣いた。
それからは私は我儘を言わず、進んで兄の手伝いをしました。
私が高校へ行かず働くと言った時は、久々に兄と喧嘩になったが、頑固さに負けて高校へ進学、そして卒業。
生活も偶に外食するくらい余裕が出てきた頃、残念な事に兄が事故死しました。
散々泣いて泣いて、なかなか立ち直れなかったのですが、素敵な男性と出会い、支えてもらい、やっと立ち直れました。
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その男性と結婚が決まり、結婚式前の夜、兄がやって来たのです。
「お前が結婚か~」
と、のんびりと話し出しました。
その時私は、何かの催眠術にかかったように動けず喋る事ができませんでした。本当は大声で泣いて抱き着きたかったのに。
「あのな、今日は謝りに来たんや。
お前が四つの時、一人置いて行った事、なーんにも買ってやれんかった事…他にもいっぱいあるんやけどな。
お前が我儘言わんくなった時、俺はちょっと辛かった。
高校へ行かんと言った時、本当はこっそり泣いてんぞ。不憫で、自分が情けなくて」
私はぽろぽろ涙を流しながら、
『何で謝るん? 私の方がいっぱい謝らんなんのに…。
ランドセルありがとう。制服も、学費も…。あの靴は今も大事に持ってるんよ…。
いっぱい迷惑かけてごめんね』
心の中でそう言うと、兄に聞こえたのか、笑ってゆっくり消えて行った。
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その日の夜は昔の夢を見ました。
住み込みのボロアパートの前で、兄と雪だるまを作っていました。
母と兄と私の三つの雪だるまを楽しそうに作っていると、この頃は既に亡くなっているはずの母が現れ、兄の手を取って
「じゃ行って来るね。外は寒いから、お家に入ってなさい」
と、私に笑いかけました。
私は何の疑いもなく「うん」と言うと、走ってアパートの階段を駆け上がりました。
後ろから兄が声を掛けてきました。
「おい、お前の事、迷惑やなんて思ったことないぞ。あと、先に死んですまんな」
振り返った瞬間、目が覚めました。
起きて号泣したせいで、顔がパンパンに腫れた花嫁になってしまって、本当は結婚式の写真は見たくないのですが、
『何処かに兄が写ってるのでは?』
と、何度も写真を見たものです。
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今日は結婚記念日だったので思い出してみました。
長文駄文にお付き合いいただきありがとうございます。