俺が大学生だった頃の話です。
念願の志望校に入学したものの自分の道が見い出せず、毎日バイトに明け暮れ、授業など全然受けていなかった。
そんなある日、本屋で立ち読みをしていると『海外語学留学』という文字が突然、目に留まった。
英語には全然興味が無かったし、喋る事も出来なかったけど、何故かその時『これだ!』と思った。
早速家に帰り、その日の夜、
「俺、大学休学して留学するわ」
と両親に宣言した。
オヤジは反対したが、オフクロは何故か
「一度きりの人生だから、好きにしなさい」
と、すんなり賛成してくれた。
※
それから俺はあっちこっちで色々情報を掻き集めながら、留学の準備を進めていた。
そしていよいよ来週留学だという時になり、オフクロが検査入院する事になった。
オフクロは俺が高校生だった頃に、子宮ガンで全摘出手術を受けていたのだが、主治医曰く、
「手術後、5年以内に再発しなければ完治したと思って大丈夫」
と言ってくれていて、既に手術してから4年が経とうとしていた。
以前から検査の為に1~2週間の検査入院はよくある事なので、オフクロも
「入院しちゃう事になったから、お母さんは空港まで見送る事が出来ないね」
と言うので、
「空港へ行く前に病院に寄るから、心配しなくていいよ」
と伝えた。
※
そして、いよいよ留学する日が来た。
午前10時の便だったので、病院には朝7時半に行った。
通常なら面会時間ではないので会えないのだけど、看護婦さんに頼んで病室に入れてもらった。
30分ぐらい話して、
「そろそろ時間だから行くわ」
と言うと、オフクロが
「餞別ね!」
と言って、枕元に隠していた包みをくれた。
一年間会えないと思うと名残惜しかったが、
「退院して、暖かくなったら遊びにおいでよ」
という約束もしていたので、笑って病室を後にした。
空港までのバスの中でオフクロから貰った包みを開けると、腕時計と手紙が入っていた。
手紙はリュックに仕舞い、時計を腕に填めた。
※
海外生活にも馴れ、全く出来なかった英語も何とか普通に喋れるようになった。
オフクロと、
「退院したなら、こっちに遊びにおいでよ」
という遣り取りを、手紙や電話で何度かしたのだけど、その度に
「うん、もうちょっと調子良くなってからね」
という返事しか返って来なかった。
でも、信じていた。いつかはオフクロとオヤジと姉でこちらに来ると。
その時はどこに連れて行こうかと、観光スポットのプランまで練っていた。
※
それから暫く経ったある日。
ずっと身に着けていた、オフクロに貰った時計が突然止まった。
その時は別に、明日にでも電池交換に行こうと思っただけだったのだけど。
次の日、家の電話が突然鳴った。
電話に出ると、オヤジからだった。
「お母さんの容態が急に悪化したので、至急帰って来い」
俺は頭が混乱し、状況が全く掴めないまま、飛行機を予約して大急ぎで帰国した。
※
日本に到着し、空港から大急ぎで病院に向かい、看護婦詰所へ行った。
夜だったので看護婦さんは窓口に居らず、奥まで聞こえるように大声で、
「○○の息子ですけど、母親は何号室ですか」
と聞くと、看護婦さん達は顔を見合わせた後、
「ご存知ないんですか…。昨日の夜、亡くなりましたけど…」
「はっ? いや、○○の息子ですよ」
「ですから、○○さんは昨日お亡くなりになりました…」
その意味が素直に飲み込めず、病院の電話を借りて家に電話してみた。
きっとオフクロが電話に出てくれると思って、いや、そう信じて…。
しかし、
「只今、留守にしております…」
という留守番メッセージが鳴るだけだった。
正直、パニクった。当時はまだ携帯電話なんて存在しないから、オフクロはおろか家族の誰とも連絡が取れない。
看護婦さんに頼んでどこに居るか調べてもらうと、葬儀会館の電話番号を教えてくれた。
電話すると姉が電話に出たので、状況は依然判らないまま、病院まで迎えに来てもらった。
葬儀会館に着き、オフクロの棺を開けて顔を見たが、不思議と悲しいという感情は湧かなかった。
多分、状況が飲み込めなかったのだと思う。
※
二日後、やはり状況が上手く飲み込めないまま、葬儀も終わり灰になったオフクロの骨壷を何の気無しに見た。
この世から形が無くなったと思うと、最後に会えなかった悔しさや、留学を快く許してくれた事を思い出し、涙が次から次へと溢れて来て止まらなくなった。
それから初七日が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、実家で何もする気がしないのでボーッとしていた。
その間、何度と無くオフクロが元気だった頃の夢を見て、願わくばこのまま夢から覚めないで欲しいと思った。
逆に寝てさえいればオフクロに会える気がしたし、現にほぼ毎日のようにオフクロの夢を見ていた。
※
その日も早くに布団に入って寝ると、暫くしてオフクロの夢を見た。
でも、いつもの夢と全然違う。
何故かオフクロは船に乗っていて、
「もう、行かないといけないから。
人生を大切にして、一度きりの人生、楽しみなさいよ」
と言うので、
「来週、向こうのアパート片付けに行くから一緒に行こうよ」
と伝えた。そしたら、
「それは無理だけど、体を大事にして生きなさいよ。見守ってるから」
と言う。
夢の中で号泣しながらオフクロの手を握ると、強く握り返して来た。
そしたらオフクロが乗っていた船が動き出し、握手していた手が離れた。
そこで追い掛けようとしたら、ガバッという感じで布団から飛び出し、目が覚めた。
俺は泣いていた。しかも、手には感触が残っていた。
その夜はそれから寝付けず、朝を迎えた。
カレンダーを見ると、ちょうど今日が四十九日だった。
それ以来、今まで一度もオフクロの夢を見る事は無い。
所詮、思い込みの激しい夢じゃん、と言われるとそれまでなんだけどね。
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オフクロさん、感謝しています。
その後は大学を休学したまま辞めちゃったけど、現在は留学経験を活かして起業し、何とか飯を食えています。