
雨の降る夜、会社帰りの A さんは、田んぼのあぜ道でしゃがみ込んでいる男性に気づいた。
街灯の光も届かない暗がりで、その人は泥だらけになりながら、地面を必死に探していた。
「どうされましたか?」
声をかけると、男性は掠れた声で答えた。
「長男に買って帰るはずだった、消防車のおもちゃが見つからないんです」
「それはお気の毒に……。私も探すのを手伝いましょう」
A さんはスーツの裾が汚れるのも構わず、男性と一緒に泥の中を探しはじめた。
雨は次第に強くなり、靴の中まで冷たい水が染み込む。
二人は言葉少なに地面を照らし、懸命におもちゃを探した。
しかし、どんなに探しても見つからない。
ふと A さんは隣の男性の横顔を見た。どこかで見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。
それでも不思議と恐怖は感じなかった。ただ、どこか懐かしさのような感情が胸の奥に広がっていた。
「……無いですねぇ」
そう呟いた瞬間、隣にいた男性の姿が消えていた。
あぜ道には、自分の足跡と泥の匂いだけが残っている。
「おかしいな……」
そう呟きながらも、なぜか怖くなかった。
A さんは静かに傘をたたみ、ずぶ濡れのまま家へ帰った。
※
玄関に入るなり、母親が驚いた様子で駆け寄ってきた。
「まあ、どうしたの! その泥だらけの格好……」
A さんは先ほどの出来事を話した。
話が進むにつれ、母の顔色がみるみる青ざめていく。
やがて、母は押し入れから一冊の古いアルバムを取り出し、静かに開いた。
「その男の人って……この人じゃない?」
A さんが覗き込むと、そこには幼い自分を抱いた男性の写真があった。
まさに、さっきのあぜ道で一緒にいた人だった。
A さんは息をのんだ。
母は震える声で言った。
「あの人はね……あんたが三歳のときに亡くなったお父さんよ。あの日、消防車のおもちゃを買って帰る途中、交通事故に遭ったの」
その瞬間、A さんは理解した。
あの夜、父は約束を果たすために――九年越しに、おもちゃを探しに戻ってきたのだと。
母は泣きながら呟いた。
「あんたが一緒に探してくれて、きっとお父さんも安心したんだね……ありがとう」
A さんは、胸の奥で静かに雨音を聞いていた。
※
この話は、後に新聞の人間ドキュメンタリー欄に掲載されたが、実は創作であった。
しかし、記事を書いた記者はこう締めくくっている。
――これは嘘の話です。けれど、私はこの「消防車を探す幽霊」が大好きです。
たとえ作り話であっても、人の心を動かすものには、確かな“生”が宿るのです。