我が家の仏壇には、他より一回り小さな位牌があった。
両親に聞いた話では、生まれる前に流産してしまった俺の兄のものだという。
両親はその子にAと名付け、事ある毎に
「Aちゃんの分も○○(俺)は頑張らないと」
などとその兄のことを持ち出して来て、それがうざかった。
※
そして高校生の頃、典型的な不良になった俺は、あまり学校にも行かず遊び歩いていた。
ある日、母親の財布から金を盗んでいるところを見つかった。
母親は泣きながら、
「あんたこんなことして、Aちゃんに顔向けできんやないの!!」
と怒鳴ったが、俺も鬱憤が溜まっていたため、
「うるせー!だったらてめえ、Aじゃなくて俺を流産すれば良かっただろうが!」
と怒鳴り返してしまった。
そして売り言葉に買い言葉だったのか、母親が
「そうだね!Aじゃなくてあんたが死んどったら良かった!」
と叫んだ時だった。
『そんなことゆったら、めーー!!』
という叫び声が頭の中に響いた。
舌足らずで甲高いその声は、まだ小さな幼児のものに聞こえた。
母親にも聞こえたようで、二人で
「え? え?」
と周囲を見渡すと、拝む時以外はいつも閉めている仏壇の扉がいつの間にか開いていた。
それを見た瞬間、母親は号泣した。おかしくなったのかと思うほど、腹から声を上げて泣いていた。
喧嘩していたのも忘れ、慌てて宥めると、
「許してくれた…」「許してくれてたんだ」
と何度も呟いている。
そして母親は、ぽつりぽつりと話し始めた。
※
Aは流産したのではなかった。
俺と一緒に生きて産まれて来た。
Aと俺はいわゆる『結合双生児』だった。
でもAの方は俺に比べて未発達で、体もずっと小さかった。
俺の胸の部分に、手のひらくらいの大きさのAがくっついているような状態だったらしい。
手術で切り離せばAは確実に死ぬ。
でも両親は、俺のために分離手術に同意した。
未発達とは言え、Aは顔立ちもはっきりしていて、手術前に「ごめんね」と謝る母親の顔をじっと見ていたそうだ。
それから母親はずっと、
『Aは自分を切り捨てた私たちを恨んでいるのでは』
という思いが拭えなかったのだという。
だから俺にも、必要以上にAのことを話して聞かせていたのだろう。
Aの犠牲の上にある命なのだ、ということを忘れないために。
※
あの時聞こえた声がAのものである確証は何もない。
俺と同い年なら、子供の声というのもおかしいし。
でもあの声は、俺たちを恨んだり憎んだりしている声ではなかった。
家族が喧嘩しているのが悲しくて、幼いながらも必死で止めようとしている、そんな感じだった。
もしあの声がAなら、Aはきっと家族を許してくれていて、ずっと見守ってくれているのだろう。
だから母親も俺も、あの声がAだと信じたかった。
※
俺は声が聞こえた日から、真面目に学校に通い始めた。
兄貴に一喝され、もう馬鹿やっている場合じゃないという気持ちになったから。
それで勉強もかなり頑張って、現役で大学に合格できた。
合格発表の日は、朝から吐きそうなほど緊張していた。
そして掲示板を見た瞬間、あまりの嬉しさに「うがああああ」と変な声を上げてしまった。
その時、俺の奇声に被せるようにして、あの甲高い声が「やったあー!」と聞こえてきたんだよね。
本気で泣いた。
またいつか、声を聞かせてくれると信じている。