子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているような程度の生活だ。
学校の集金の度に母親が溜め息を吐いていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、高校に入り進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパートと夕方からのパートを掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ、何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をして、そのまま謝りもしなかった。
※
暫く後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。
母親は事故で亡くなり、直接謝ることができなくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕も無い…。
過労だと思う。
※
葬式の後、母の部屋を整理していて、日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費…。私は家計をやりくりした事など当然ないが、そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに…私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴った時期から、パートの時間が増えていた。
後で判った事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金…。
私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしていない。
母が居なくなってから後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか。
謝りたい。心から母に謝りたかった。
※
そんな時、物凄くリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから…ごめんね」
と言った。
それを聞いて、私はますます声を上げて泣いた。
※
目が覚めると枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていた。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、その夢を見た朝に父が、
「今朝、母さんの夢を見た」
と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が、
「直接会いに行って話したらいい」
と母に言うと、
「もう会って来たから」
と言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。
※
結局、私は大学には行けなかった。
今は普通の会社員だ。
しかし暇を見つけては絵を描いて、描き上がった絵は仏壇の前に飾っている。
絵を好きになったのは、美大に行きたかったのは、子供の頃に
「上手に描けたね」
と言ってくれた母の一言が切っ掛けだった。
それに気付いたから。
今も母の事を思うと自責の念で心が痛むけれど、その母のためにも頑張って生きて行きたいと思う。