去年の今頃、ばあちゃんが死んだ。
ずっと入院生活だったし、医者からも
「いつ逝ってもおかしくない」
と言われていて、心の準備はできていたはずだったがやはり悲しく、棺の中のばあちゃんの顔を見られないまま葬式進行、出棺になった。
みんなで棺に花を入れていたら、母が
「あっ!お母さん紫陽花大好きだった!」
といきなり叫んだ。
入れるために用意されていた花の中に紫陽花は無かった。
「好きだった花だし入れてあげよう!」
ということになって、私と従姉妹二人と叔父で車に乗り、あちこちの花屋に行ったが、何故だか紫陽花はどこにも売っていない。
葬式屋に出棺を待ってもらっている状態だったので、遠くの花屋まで行く時間は無い。
仕方なく帰ろうとしたら、道沿いの家の庭に沢山の紫陽花が咲いているのが見えた。
その紫陽花の横に初老の男性が立って何かしていた。
「あの人に言えば譲ってくれるかも!」と叔父が言って車を停め、全員で男性の元へ走った。
「あの」と話しかけると、男性はすっと、今切ったばかりのような綺麗な紫陽花を束で叔父に手渡した。
「ほら、早く行ってあげなさい」
そう言って笑う男性に私たちは何度も頭を下げ、急いで帰り、無事にばあちゃんの棺に紫陽花を入れる事ができた。
私も入れたが、その時初めて見たばあちゃんの顔は安らかで、まるで眠っているようだった。
※
翌日、私たちは「お礼をしなきゃ」と、お菓子を持ってその家を訪ねた。
でも着いたら、そこはどう見ても空き家。昨日見た時は、確かに普通の家だったのに。
屋根瓦も剥がれているし、壁も一目見て腐っていると判るような状態。人の気配もしない。
でも、昨日見た紫陽花は確かにそこの庭に生えている。近所で他に庭に紫陽花がある家は無かった。
叔父と一緒に「確かにここだったよね?」とうろうろしていたら、従姉妹が「よそのおじいさんが、独断で譲ってくれたんかね?」と言い出した。
そうかも…と私たちは納得しかけたが、その時改めて考えてみると、あの男性は私たちが何も言わないうちに紫陽花を渡してくれた。
いくら私たちが喪服だったからって、そんなにすぐ用件が判るだろうか?
それに、私たちが男性に話し掛けた時、男性は既に手に紫陽花の束を持っていたようだった。
まるで、私たちが来るのが判っていたように。
私も叔父も従姉妹も何となく黙ってしまい、結局空き家の玄関にお菓子を置いて帰った。
誰も居ない家に何度も頭を下げて。
あれから一年経ったが、今だに不思議。
その家とばあちゃんとの縁も見えない。
でも、あの家に住んでいた人以外の『何か』が、私たちに優しくしてくれたのかな、と思っている。