自分、霊感ゼロ。霊体験も経験無し。
だから怖い怖いと言いながら、洒落怖を見てしまうのさね。
何年か前、当時大学生だった親友Aから奇妙な頼まれ事があった。
そう…ちょうど、こんな蒸す季節のこと。
「俺の母方の実家へ一緒に行ってくれ」
「ボク…男の子だよ…本当にいいの?」
何でも前年20歳になる時に母親に連れて行かれた実家に、今年もどうしても行きたいとのこと。
ところが母親は用事があって外せず、かと言って一人も嫌だと言うので、高校生の頃からの付き合いだった自分にお鉢が回ってきたのだ。
「お前も変わってるよな。母方の実家に友達を連れて行くかね」
「まあ、他に居ないっつーか…全員断られたから」
そりゃそうだ。
Aの母方の実家というのは、とある山間の小さな村で、ドがつく程の田舎だった。
まあ、と言っても電気水道にネットまで通っているんだけどさ。
列車に揺られて10時間とかそういうレベル(大半が待ち時間)だったので、手持ち無沙汰ということもあり、ぽつぽつと去年あった話をしてくれた。
※
去年、Aは20歳になる時に必ずその村に来るようにと、かたくかたくかた~~~く母親に言われていて、嫌々付いて行ったんだそうだ。
自分も見て来たけど、本当にド田舎。娯楽施設なんてありゃしない。
まあ、それでも結構な家柄の母親の手前、成人した息子をお披露目に…とかそういう話なんだろうなと、連れられて村に来たんだそうだ。
案の定、実家に着いてもすることなどない。漫画なんてある訳がない。
ゲーセンもなければ PS2も置いていない。コンビニも山二つ越えた所にあるとかないとか、そういう世界。
その割に来客もないし(祖父母に挨拶したくらい)、『俺、何しに来たんだ?』という感想だったそうな。
※
流石にゴロゴロし飽きたのか、家を出てお店のある辺りまで散歩しに行ったんだと。
そこで、それは起きた。
駄菓子屋みたいな所に入って声を掛けたら、
「もうウチは閉めるよ!帰って!」
と追い出され、自販機もないし、何か飲むものをと思っても売ってくれなかった。
余所者嫌いにしたって程があるだろうと、流石にカチンときたA。
それで店先にジュースを出していたおばちゃんに食ってかかったそうだ。
「何なんすかここ!何で売ってくれないんです? 俺が何かしたっつーんですか!」
と怒鳴り付けたが、そのおばちゃんは目を合わせないどころか、顔をこちらに向けようともしない。
「ちょっと!」
と声を荒げたところ、いきなり、
「ぎゃぁあああ~~!!助けて~~~~!!!○△やぁ~~~!!おとうさ~~~ん!!!」
と、物凄い声で叫び出したという。
すると店の奥から木の棒(枝ではなく棍棒のような物だったらしい)を手にした白髪のおっさんが飛び出して来た。
それも威嚇などではなく思い切りその棍棒を振り下ろして来る。
「○△!いねや!きなや!」
とか、そんな感じの方言でAを追い払う…と言うか、それこそ命も狙わんばかりだったそうだ。
騒ぎを聞きつけた周囲の住人も、遠巻きにAを囲もうとしていたらしい。
後はもう必死で山道を駆け上り、『何で? 何かしたんか俺?』と自問を繰り返しながら家に逃げ込んだそうだ。
※
「母さん!何なんここ!マジヤバイって!マジで!」
と、来客中にも関わらず母親に詰め寄ったA。
ところが、Aのお母さんは何も言わずに下を向いてしまったらしい。
「おー。大きなったなあ、お寺さん覚えとるか?」
と母親の向かいに座っていた住職が声を掛けてきた。
多分自分が小さい頃に挨拶した人なんだろうなと、記憶に無いので「ああ、はい」とかそんな返事をして、Aは改めて母親に今あったことを説明し始めた。
すると住職は、
「覚えとらんか。覚えとらんのか。そうか…。覚えとらんそうや、どうするや」
と、Aの母親に尋ねた。
母親は困り切った表情で、返事が出来なかったそうだ。
少しの間、沈黙があった後、住職が口を開いて言った。
「わしが(話を)しよし」
※
話は遡って、Aが生まれてすぐの頃。
母親の産後の休養も兼ねて実家でのんびりしつつ、Aを自然の中で育てたいという両親の希望で、Aと母親は村に戻って来たという。父親は単身赴任。
その周辺では名家だったそうで、毎日ひっきりなしにAを見に来る人で、少しものんびり出来なかったとか。
それでもAの母方の祖父母は娘自慢に孫自慢で、近隣に触れて回るような喜びようだったそうな。
※
そうしたある日、高名なお坊さん(前述の住職のお師匠さん。便宜上お師匠さんとします)がAの祖父母と付き合いがあったので、孫の顔を拝みに来たという。
母親がAを抱っこしたまま、お師匠さんに顔を見せてやろうとした時、
「○△××□○□!」
と、誰かがお師匠さんを口汚く罵ったんだそうだ。
Aの母親は、まさか両腕の中にいる赤ちゃんが言ったとは思わなかったのだろう。
尚も罵声は止まない。
途端にお師匠さんが仁王様のような形相に変わって行き、この辺で罵声の主が赤ちゃんであると周囲の人も気が付いたという。
Aの母親は事態が飲み込めず凍り付いたように立ち尽くし、お師匠さんはダラダラと滝のような汗を流していたそうだ。
「○△や!」
誰かがそう叫ぶと、あっという間に家は大狂乱。
訪問客は履物もそのままに、逃げ出してしまったらしい。
※
その日の夜、祖父母と母親、お師匠さんが真っ青な顔で相談していたところに、少し離れた村に居た住職が呼び出されて来た。
その時は、Aの家(家というかお屋敷級でしたが)を松明を持った住民が取り囲み、それこそ今にも焼き討ちをせんばかりだったそうな。
恐ろしいことに、どうやら祖父母と母親はAを…Aの命を奪う方法について話をしていたらしい。
それをお師匠さんが「絶対にさせん!」と、頑として折れなかったという。
「やってみよしな(やるだけやってみようよ、みたいな意味らしい)」
そう言ってお師匠さんはAを預かり、お寺で育て始めたそうだ。
詳しい話は聞きそびれたんだけど、三つか四つのお寺で持ち回りみたいな感じで、預けられては次に…という仕組みだったらしい。
何年かはそう大きなことは起きなかったらしく、Aが12歳くらいまではお寺にずっと居たそうなんだけど、もう結構なお歳だったお師匠さんは亡くなってしまったのだそうだ。
お師匠さんのおかげで何とかやっていたお寺の協力も、居なくなった途端に、お互い厄介者の押し付け合いでどうにもならなくなってしまった。
かと言って住職もどうしようもなく、結局親元に帰すことになったという。
「そのときはえらく無責任だった」
と詫びてくれたそうだけど、同時に
「自分ではどうもできんかった」
とも言っていたそうだ。
※
○△というのはこの地方に伝わる『よくないもの』の呼び名らしく、定まった名前がある訳ではないのだけど、『そういうもの』に対して使うものらしい。
○△は口に出してはいけない(Aは『アレ』とか『そういうの』という言葉で表現していた)。すると憑かれるらしい。
住職に事情を聞いて、Aは幾らか混乱しながらも落ち着いたらしく、
「何で20歳になったらここに連れて来ることになっている訳?」
と質問をしてみた。
すると、それは亡くなったお師匠さんの遺言だったらしい。
「もし20歳までAが○△でなかったら、もう大丈夫だ」
と…(その判断基準は分からないけど)。
「その代わり、○△だったら、石で頭を割って命を奪え」
とも遺していたのだそうだ。
それほど恐ろしいものだったらしい。
住職はそこまで話してから、Aにニッコリと微笑むと、
「もう大丈夫やし」
と言ったという。
※
自分とAは村に着くと、実家ではなくまずお寺に向かった。
はっきり言ってボロいお寺だったけど、何故か塀に沿って石の玉がゴロゴロ並んでいる。
それも一個や二個ではなく、何十個という数。なのにどれも砕けていたり、真っ二つだったり。
ちょうど自分らは愛車のカブに乗って住職が帰って来たところに居合わせ、住職はニコニコ笑いながらヘルメットを脱ぐと、手招きで来い来いとやって見せた。
「あの、ご住職。この玉って何なんですか?」
門を潜って敷地内に入っても、砕けた玉はそこら中に置いてあり、気になったので訊ねてみた。
「ああ、それは『ぼん』や(ぼん=坊ずの意。つまりAのことね)。
○△がぼんを殺そうとしとったんやし。お代わりやな」
縁側に腰掛けて、住職が続けた。
「○○さん(お師匠さんのこと)は、ぼんのお代わりさんが足りんで、何から何までお代わりさんにしたんやし。
わしのベンツ(愛車のカブのことらしい)もお代わりさんにされそうやったし」
カラカラと笑ったが、ふと真顔になって、
「○○さんはな…そうやな…」
そこまで言うとスタスタと奥に入って行き、程無くして何やら包みを持って戻って来た。
「○○さんや」
包みを解くと、真っ二つに割れた漆塗りの位牌が出て来た。
「…何で俺にそこまでしてくれたんすかねぇ…」
無理やり力で割ったような、不自然な割れ方をした位牌を見ながらAが呟いた。
暫く誰も口を開かなかったけど、日が傾き始めた頃、Aが持って来たお酒とお土産を置いてお寺を出る事を告げた。
「大事にしよし」
住職はそう言って見送ってくれて、自分らはAの実家へ向かった。
※
「なあ、○△って何がダメなん?」
帰り道でAに聞いてみた。
「○△はな、人が不幸になるだけなんよ。○△本人が周りを巻き込んで、どんどん不幸にして行くんだ。
何なのかはよく解らん。昔は結構あったらしい。
○△が居るだけで不幸になる。
何しても人が病気になる、命を落とす、家が没落する、作物が取れない、家畜が死ぬ。
だから殺さないといけなかったらしい」
しかも殺す時は、聞いているだけで晩飯が食べられなくなるほどの内容で殺されるらしい。
「この時代にそんなアナクロな。なあ?」
そう言ってAは笑った。
※
後々聞いた話によると、Aが○△でなくなったという理由は色々あったらしい。
お師匠さんの遺言で『お代わりさん』だけは欠かさなかったのが、ある日突然『お代わりさん』が壊れなくなったのだそうだ。
それで大丈夫ということになったらしい。