俺が若かった頃、当時の彼女と同棲していた時の話。
同棲に至った成り行きは、彼女が父親と大喧嘩して家出。彼女の父親は大工の親方をしている昔気質。あまり面識は無かったが、俺も内心びびりまくりの存在だった。
仕方がないから彼女と俺の有り金を掻き集めて、風呂無しのぼろアパートで同棲。
そこは最悪のアパートで、ゴキブリは出るし、畳は湿気ですぐ腐るし、上の階に住むバンドマン風の若者は毎晩大声で歌の練習をするし、隣に住む老人は薄気味悪いし…。
まあ、そんな最悪な環境にも段々適応しながら同棲生活を送り、俺は建築現場でバイト、彼女はカラオケボックスの夜勤で生計を立てていた。
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住み始めて半年くらい経った頃、変なことが起こり始めた。
ある朝、バイトに行くために自転車に跨ったんだが、違和感を覚えてタイヤを確認するとパンクしていた。
その日は歩いて仕事に行き、休日に自転車屋へ行き修理してもらった。
パンクの修理はタイヤに穴が多い程金額が上乗せされるんだが、確か5、6箇所は穴が空いていたと思う。
自転車屋には「誰かのイタズラだろうね」と言われた。クギか何かで刺したらしい。
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当時は風呂無しアパートなので毎晩彼女と近くの銭湯に通っていた。自転車の二人乗りで銭湯まで行き、また二人乗りで帰って来るというのが日課だ。
ある日、帰りに二人で銭湯の前に停めてある自転車のサドルに座ると、また違和感を覚えた。案の定、パンクしていた。
後日、自転車屋さんに修理してもらうと、また凄い数の穴が空いていた。
また別の日、彼女が自転車で夕飯の買い物に行った時も買い物中にパンク。そして重い自転車を押して帰宅。
他にも、二人乗りで駅まで行き自転車を駐輪場に停め、電車で遊びに行った時も、遊び終えて駐輪場に戻るとパンク。いずれも、多数の穴。
そんな事が定期的に続き、パンク修理のし過ぎでタイヤがボコボコになってしまい買い換えることになった。
最後の方はもう3台目くらいの自転車になっていたかな。
自転車屋曰く、タイヤごと外して新品のタイヤに変える作業に費用を払うのと安い自転車を買うのとでは、金額的にあまり変わらないという事だったので、タイヤがボコボコになって乗れなくなったら買い換えていた。
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それにしても無差別のいたずらにしては被害に遭う回数が多過ぎるし、ストーキングでもしない限りこんなに何度も俺たちの自転車を狙えない。
俺も彼女もイラつきのピークだった。二階のバンドマン、隣の部屋の薄気味悪い老人、誰も彼も疑って疑心暗鬼。
極めつけが、レンタカーを借りて二人で遠くまで旅行に行った帰り道での事。
高速道路のサービスエリアにあったレストランで夕食を食べた。食べ終えて車に乗り込むとまた違和感を覚えた。
「何かこの車、傾いてない?」
車から降りて恐る恐るタイヤを確認すると、右前後、二つのタイヤがパンク。
この時ばかりは彼女も俺も、怒りよりも先に恐怖を覚えた。
犯人は俺達の旅行の予定まで知っていて、タイヤをパンクさせるために高速にまで乗る。一体どれだけ恨まれているんだよ俺達、と…。
盗聴器を疑い部屋中のコンセントを分解した事もあったが、それらしき物は何も無かった。
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そんなある日、建築現場のバイト中に怪我をした。不注意でクギを思い切り踏んでしまい病院へ。
クギが錆びていた可能性もあるという事で、結構な事態になってしまった。
家に帰り、彼女に一連の事を話した。
彼女は俺の傷を心配した後に、何かに気付いて急に暗い顔に。
しばらくして、暗い顔のまま言った。
「…君がもしタイヤだったらパンクしてたね…」
俺もそれを聞いて初めて、この怪我と一連のパンクを結び付けた。それまでそんな風に考えてもいなかった。
しかし万が一、俺の怪我も一連のパンクと関係があるとしたら、犯人はもはや人間ではないのでは? そうなったらもう呪いや悪霊の類だ。
彼女は今にも泣きそうな顔をしている。
「考えすぎだろ」と俺は言った。
そう言ったものの、内心恐くて仕方がなかった。嫌な事ばかり考えてしまう。
例えば『このぼろアパートが呪われてるのでは?』とか…。
しかし一番怖いのは、彼女に被害が及ぶ事。
俺は今回怪我をしたが、幸い彼女の身にはまだ何も起きていない。
数週間考えて、話し合い、彼女は家出した実家へと戻る事になった。
一人で、このぼろアパートに住むのは恐かったが、俺の実家は遥か地方だし帰れない。新しいアパートを借りる余裕もない。足の怪我でろくに仕事もできない。
しかし意外なことに、彼女が実家に帰ってからなぜか自転車のパンクは全く無くなった。
同棲生活は終わっても彼女との交際は続いていたし、彼女も首を傾げていた。
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それからは何事もなく月日が過ぎて行ったが、ある日葬式があった。彼女の父親の葬式だ。
その葬式の時に、彼女と彼女の母親と三人で話す機会があり、その席で妙な話を聞いた。
死んだ父親は、俺の事を相当憎んでいたらしい。大事な娘を奪った男という認識だったようだ。
彼の仕事は大工。大工という仕事は、木材にクギを打ち付ける機会が多い。
彼は俺への恨みを込めて、木材にクギを打ち込んでいたらしい。
わら人形にクギを打つように。
「そうすると気分がスッキリするって、あの人言ってたわ」
そう言って彼女の母親は笑った。
ブラックジョークのつもりだったのか?
彼の行動と、自転車のパンクや俺の怪我に因果関係があるとは思えないが、それを聞いてからは彼の遺影を直視出来なかった。