俺は小学1年の夏に引っ越して、ど田舎の小学校に転入した。
引っ越す前までは気ままに過ごせていたんだけど、引っ越してからはよそ者ということも含めて周囲から浮いてしまい、アウェイな生活を送っていた。
そんなこんなで同じ年の冬。地域のマラソン大会の選手を選ぶためのマラソン練習が始まった。
夜8時ぐらいになると公民館に地域の大人数人と子供たちが集まり、公民館からスタートとして夜の山道をぐるっと走って戻って来る。
子供が走る後ろから、大人が車のライトで照らしながら伴走するのだ。
何度か参加させられていたが、俺はこの時間が一番嫌いだった。
俺は運動ができないので、みんなに付いて行くこともできず、余りに遅れるものだから、俺は『どう考えても選手には選ばれないのに何で参加させられてるんだ…』といつも考えていた。
※
ある雨上がりの夜の練習中のことだ。
こういう後ろ向きな考えの子供がモタモタしているものだから、伴走の大人達の苛立ちを買ったのか、車から声をかけられた。
「おい坊主!お前ちっと遅すぎるから、おっちゃん達、先の子たちに付いて行くかんな!
車も沢山はないから我慢しろ!先に着いて待っとくからな!」
俺は唖然とした。
田舎の夜の暗さは尋常じゃない。車のライトもなしにどう走れと言うんだ。
「頑張れよー!!」
表向き前向きな言葉をかけながら伴走車は去って行ったが、よそ者の子供を真っ暗な山道に置き去りにする大人達を見て、心に一物あったのではと疑ってしまう。
※
車が居なくなると田舎の山道の暗闇が容赦なく襲ってくる。
人家も全然無いので明かりなんてろくに無い。
山道のほぼ中間なので、行くも帰るも地獄である。
月明かりにかろうじて照らされる道を吐きそうになりながら走った。
何度か走ったコースだが、明りがあるのと無いのと、後ろに大人がいるのといないのでは全然違う。
暗い!怖い!帰りたい!!
こけた、痛い!水たまりでズボンがドロドロになっているが、暗くてどうなってるかも判らない!
膝はジンジンする、涙が溢れてくる。でもきっと誰も迎えには来ない。
泣きじゃくりながら走りに走って、左右から竹がせり出してドーム状に覆われた道に差し掛かった時だった。
ドームが開けた向こうの路上に、淡い月明かりの中、ぽつんと黒い人影が立っていた。
『おじちゃん達のだれかだ!迎えに来てくれたんだ!!』
俺は猛烈に救われた気になって、短距離走ばりのスピードを振り絞って駆け寄ろうとしたがふと思った。
なんで車も無いし電灯も持ってないんだろう。
まだゴールはずっと先のはずだから、おじさんだって車が無いと大変なはずだ。
『迎えに来たんじゃないのかな…? じゃあ何のためにこんな暗闇に電灯も持たず一人でいるのかな…?
もしかして人間じゃ、ないのかな…?』
急にやばい気がして立ち止った。
と同時、人影がこちらに向かって走って来た。
俺はと泣き喚きながら元来た道の方へ走り出した。
泥にまみれた靴の中で足が滑り、顔からずっこけたがそれどころではない。
足を引きずってでも人影から離れようとした矢先、人影が「○○とこの!!(○○は俺の名字)」と叫んだ。
「○○とこのガキじゃないか。どうした大丈夫か」
恥ずかしながら、俺は失禁して腰砕けになっていた。
真っ暗なので顔がはっきりとは見えないし、まだ面識も広くないのでよく判らないが、俺の名前を知っていることから察するに地域のおっさんの誰かのようだ。
張りつめた緊張が色んな形でブチ切れたので、俺は耐えられずおんおん泣いた。
「まあ帰ろう。親御さんも心配してるだろう」
おっさんは俺の手を取って立たせ、失禁も気にせずおぶってくれた。なんと幸せなことか。
おっさんの背中に安心しきりだったが、ふと思い立って肩越しに聞いてみた。
「おじちゃん、車も電気も無いの? 大丈夫?」
「あー…。ダメだダメだ」
おっさんが答えた。
変な返事だな。ダメって何だろ。
緊張の糸が切れた有頂天の俺には何か遠い世界の声に聞こえた。他人事みたいだ。
「おじちゃんだけ来てくれたの? 他のみんなは?」
「あー…。ダメだよそれ」
噛み合わねえ。どういう答えだよ。
あれ? 山側に向かって歩いてる?
「おじちゃん、こっちは…」
「あっ。ダメだよダメ!ダメダメ!もう聞くなっ、きくなっ、きくなっ、きくなっあ゙あ゙あ゙あ゙あああ!!!!」
おっさんの声が伸びたテープみたいなモァンモァンの声になって、肩越しに急に振り向いた顔は目の前で見ても真っ暗闇だった。
俺の記憶はそこで飛んだ。
※
俺が目を覚ましたのはその日の深夜。
心配して探しに来た親に泣きながらビンタされて起こされた。
俺は山道から谷側に少し入った草むらに倒れていたようだ。
一番怖かったのは、地域の連中が一人も俺を探しに来ていなかったことだ。
新居を引き払い、俺達一家は引っ越した。