不思議な体験や洒落にならない怖い話まとめ – ミステリー

危険な好奇心(中編)

裏山

山を降り、俺達は駅前の交番へ急いだ。

『このカメラに納められた写真を見せれば、五寸釘の女は捕まる。俺達は助かる』

その一心だけで走った。

途中でカメラ屋に寄り現像を依頼。出来上がりは30分後と言われたので俺達は店内で待たせてもらった。

その間、慎との会話はほとんど無かった。ただただ写真の出来上がりが待ち遠しかった。

そして30分が過ぎた。

「お待たせしました」

女の店員に声をかけられた。俺と慎は跳ね上がるようにレジに向かった。

女店員は少し不可解な顔をしながら、

「現像出来ましたので中の確認をよろしくお願いします」と言い、写真の入った封筒を差し出した。

まあ、現像後の写真が犬の死骸や釘に刺された少女の写真のみだから、不可解な顔をするのも当然だが…。

慎はその場で封筒から写真を取り出し、全ての写真を確認すると「大丈夫です。ありがとうございました」と言い代金を支払った。

店を出て、すぐさま交番へ向かった。

これで全てが終わる。

駅前の交番へ二人して飛び込んだ。

「どうしたの?」

中にいた若い警官が笑顔で俺達を迎えてくれた。俺達はその警官に歩み寄り「助けてください!」と言った。

俺と慎は「あの夜」の出来事を話した。裏付ける写真も一枚一枚見せながら話した。そして、今も「五寸釘の女」に狙われている事を。

一通り話し終わるとその警官は穏やかな表情で「お父さんやお母さんに言ったの?」と聞く。俺たちが親には伝えてないと言うと、「じゃ家の電話番号教えてくれるかな?」と警官は言い出した。

慎が「なんで親が関係あるの? 狙われているのは俺達だよ?!」とキレ気味に言い放った。

ちなみに慎の両親は医者と看護婦。高校生の兄貴は某有名私立高校生。俺達3人の中で一番裕福な家庭だが、一番厳しい家庭でもある。

「あの夜」親に嘘をついて秘密基地に行き、このような事に巻き込まれたということがバレれば、俺や淳也もだが、慎が一番洒落にならないのである。

「助けてよ!警察官でしょ!!」と慎が詰め寄る。

警官は少し苦笑いして「君達…小学生だよね? やっぱり、こーゆー事はキチンと親に言わなきゃダメだよ」と、暫くイタチゴッコが続いた。

挙句に警官は「じゃあ君達の担任の先生は何て名前?」など、俺達にとっては脅しにも取れる言葉を投げ掛けてきた。

まあ、警官にとっては俺達の「保護者及び責任者」から話を聞かないと…という感じだったのだろうが、俺達にとって、こういう時の「親と先生」は怒られる対象としか考えられなかった。

そうこうしている内、俺達の心の中に目の前にいる 警官に対して不信感が芽生えてきた。

このままここにいれば、無理矢理、住所を言わされ、親にチクられる!

『この警官は俺達の話を信じてくれてないのでは?』

と俺は思い始めた。俺や慎が必死に助けを求めているのに「親」「先生」ばかり言ってくる。俺達は「五寸釘の女」の存在を裏付ける証拠写真まで持参しているのに。

俺はもう一度警官に写真を見せつけ「犬をこんな殺し方する奴なんだよ!」と言った。すると、警官は暫く黙り込み、写真を手に取り、意外な一言を言った。

「…これって犬? なの?」

「は?」と俺と慎は驚いた。この人は何を言っているんだろう!続けて警官は、

「いや、君達を信じていない訳じゃないよ。じゃあもう少し詳しく教えて。ここが頭?」

警官は冗談を言っている訳では無く、本当に解らないようだ。俺はハッピーの写真を取上げ

「だから…」

と説明しかけて言葉が詰まった。確かに、この写真を客観的に見ると犬の死骸には見えないかも…と思った。薄茶色に変色した骨に所々わずかに残っている毛…。

俺と慎はハッピーが死体になった翌日にも見ているので、腐食が進んでいても元の形を知っているが、知らない奴が見るとただの汚れた石に汚い雑巾の様なものが絡んでいるようにしか見えないかも知れない。

俺は冷静に他の写真も見てみた。

板に刻まれた「淳也呪殺」。少女の写真に無数の「釘」。

確かにこれだけでは犯罪に直接結び付けるのは難しいのか?

ひょっとして警官は「小学生の悪戯」と思っていて、先程から「親、担任」などと言っているのか?

俺はこのままここにいては危険だと感じ始めた。

『絶対、親を呼び出すつもりだ!』

俺は慎に小さな声で耳打ちした。

慎は無言で頷き、アゴをクイッと動かし、「外に出る合図」を送ってきた。

次の瞬間には慎は勢い良く振り向き、走り出した。俺もすぐさま後を追い、交番から抜け出した。

後ろから「おいっ!ちょっと!」と警官が呼び止める声がしたが、俺達は振り向かずに走り続けた。

警官が追い掛けてくる気配はなかった。恐らく「悪戯しにきた小学生が、嘘を見破られそうになり逃げ出した」とでも思っているのだろう。

俺と慎は警官が追って来ていないことを確認し、道端に座り込んで緊急ミーティングを開催した。

「これからどーする?」

「どーしよ…」

俺達は途方に暮れていた。最後の切り札の警察にも信じてもらえず「五寸釘の女」から身を守る術を失った。「これで全てが解決する」と俺達は思い込んでいただけにショックはデカかった。

このままだったら五寸釘の女に住所バレると思うと俺は恐かった。

すると慎が「…暫くあの女には出くわさないように注意して…」と言いかけたが、俺はすぐに「もう無理だよ!淳也の学年とクラスがバレてる時点ですぐに俺らもバレるに決まってる!」と少し声を荒げた。

「でも、あの女…俺達に何かする気あるのかな?」

慎が語り始めた。

「だってこの前俺ら学校帰りにあの女に出会ったじゃん。もし何かするつもりならあの時でも良かった訳じゃん。それに山…もし俺らのことを許してないなら山に何らかの呪い彫りとかあってもいーはずじゃん」

「…」

確かに。山に行った時、新しい「俺達への」呪物は無かった。秘密基地は壊されていた。新しい「女の子の釘刺し写真」はあった。でも俺達…まして、名前がバレている淳也の「呪い彫り」はなかった。

慎はもう一度「俺らを本気で怨んでいるなら何らかの行動を起こすはずだろ?」と、まるで俺を安心させるかのように言った。

そして「学校の近くをウロついてるのも、俺らを捜してるんじゃなく写真の女の子を捜してる可能性もあるだろ?」と言葉を続けた。

「そーか…」

俺はその慎の言葉を聞いて少し気持ちが楽になった。と言うか慎の言った言葉を自分自身に言い聞かせた。それは現実逃避に近いかもしれない。

俺達は「そーだよな!そのうち俺らのことなんて忘れよる!」「もう忘れとるって!」「なんだよチクショー!ビビって損した!」「ほんま、あの女、泣かしたろか!」とお互い強がって見せた。

暫くその場で慎と「五寸釘の女」の悪口など、談笑していた。

辺りは薄暗くなり始め、俺達は帰宅することにした。慎と別れる道に差し掛かって「明日の帰り、淳也の様子見に行こっか!」「おう!そやな!」とお互い明るく振る舞って手を振り別れた。

俺の心は少し晴れやかになっていた。「そーだよな…慎の言う通り、五寸釘の女はもう俺達の事なんて忘れてるよな…」と。まるで自己暗示するように繰り返し言い聞かせた。

足取りも軽く、石を蹴りながら家に向かった。

空を見上げると久しぶりの清々しい夜空が広がっている。今まで「五寸釘の女」のことでウジウジ悩んでいたのが馬鹿らしく思えた。

自宅に近付き、その日は見たいアニメがあるのを思い出し、俺は小走りで家に向かった。

「タッタッタッタッ」

夜の町内に俺の足音が響く。

「タッタッタッタッ」

静かな夜だった。

「タッタッタッタ」

「ん?」

「タッタッタッタ」

俺の足音以外に違う足音が聞こえる。後ろを振り向いた。暗くて見えないが誰もいない。気のせいか。なんだかんだ言って俺は小心者だなと思いながら再び走った。

…誰かいる。

俺は立ち止まり、目を凝らして後ろを眺めた。

…やっぱり誰もいない…。

俺の足音が反響して後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえたのか? 俺も淳也のように自分でも気付かないうちに精神的に「五寸釘の女」追い詰められているのか? ビビり過ぎているのか?

暫く立ち止まり、ずーっと後ろを眺めた。

ドックンドックンと鼓動を打っていた心臓が、一瞬止まりかけた。

民家の玄関先に停めてある原付きの陰に隠れている人影が微かに目についた。月明かりでハッキリした姿は分からないが、一つだけハッキリと見えたものがある。

コートを着ている!

俺は固まった。隠れている奴は俺に見つかっていないと思っているようだが、シルエットがハッキリ見える!

五寸釘の女だ!五寸釘の女だ!五寸釘の女だ!五寸釘の女!五寸釘の女!

腰が抜けそうになったが、本能だろうか、次の瞬間

逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ逃げなきゃ!

ともう一人の俺が、命令する。

俺は思い切り走った!運動会の時より必死に走った。もう風を切る音以外聞こえない程、無呼吸で走った。無我夢中で家に向かって走った。家まであとわずか。よし!逃げ切れる!

「!」

一瞬、頭にあることがよぎった。

このまま家に逃げ込めば間違いなく家がバレる!

俺はとっさに自宅前を通過し、そのまま住宅街の細い路地を走り続けた。当てもなく、ただ俺の後方を着いて来ているであろう「五寸釘の女」を巻くために…。5分ほど、でたらめな道を走り続けた。

さすがに息がキレて来て歩き出し、後ろを振り向いた。

もう「五寸釘の女」らしき人影も足音も聞こえて来ない。俺は周囲を警戒しつつ、自宅方面へ歩き始めた。再び自宅の10メートル程手前に差し掛かり、俺はもう一度周囲を警戒し、玄関に向かってダッシュした。

両親が共働きで鍵っ子だった俺はすばやく玄関の鍵を開け、中に入り、すばやく施錠した。

「…ふう…」

安堵感で自然とため息が出た。取り敢えず慎に報告しなければと思い、部屋に上がろうと靴を脱ごうとした時、玄関先で物音がした。

「!?」

俺は靴を脱ぎかけのまま、玄関を凝視した。玄関の曇りガラスの向こう側に…玄関先に誰かが立っている影が映っていた。

玄関扉を挟んで1メートル程の距離にあの女がいる!

俺は息を止め、動きを止め、気配を消した。いや、むしろ身動き出来なかった。まるで金縛り状態…曇り硝子越しに見える「五寸釘の女」の影をただ見つめるしか出来なかった。

暫く「五寸釘の女」はじっと玄関越しに立っていた。微動すらせず。ここに「俺」がいることがわかっているのだろうか?

その時、硝子越しに「五寸釘の女」の左腕がゆっくりと動き出した。そして、ゆっくりと扉の取手部分に伸びていき、「キシッ!」と扉が軋んだ。

俺の鼓動は生まれて始めてといっていいほどスピードを上げた。

「五寸釘の女」は扉が施錠されている事を確認するとゆっくりと腕を戻し、再びその場に留まっていた。

俺は依然、硬直状態。

すると「五寸釘の女」は玄関扉に更に近付き、その場にしゃがみ込んだ。そして硝子に左耳をピッタリと付けた。室内の様子を伺っている!鮮明に目の前の曇り硝子に「五寸釘の女」の耳が映った。

もう俺は緊張のあまり吐きそうだった。心臓が破裂しそうで、「五寸釘の女」に鼓動音がバレる!と思う程だった。

「五寸釘の女」は二、三分間、扉に耳を当てがうと再び立ち上がり、こちら側を向いたまま、ゆっくりと、一歩ずつ後ろにさがっていった。

少しづつ硝子に映る「五寸釘の女」の影が薄れ、やがて消えた。

行ったのか…?

全く安堵出来なかった。なぜ「五寸釘の女」は去ったのか? 俺がここにいることを知っていたのか? まだ家の周りをうろついているのか?

もし「五寸釘の女」に俺がこの家に入る姿を見られていて、「俺の存在」を確信した上で、さっきの行動を取っていたのだとしたら、間違いなく「五寸釘の女」は家の周囲にいるだろう。

俺はゆっくりと、細心の注意を払いながら靴を脱ぎ、居間に移動した。一切、部屋の明かりは点けない。明かりを燈せば「俺の存在」を知らせることになりかねない。

俺は居間に入ると真っ直ぐに電話の受話器を持ち、手探りで暗記している慎の家に電話をかけた。

3コールで慎本人が出た。

「慎か!? やばい!来た!五寸釘の女が来た!バレた!バレたんだ!」

俺は小声で焦りながら慎に伝えた。

「え? どーした?何があった?」

「家に五寸釘の女が来た!早く何とかして!」

俺は慎にすがるしかなかった。

慎「落ち着け!家に誰もいないのか?」

俺「いない!早く助けて」

慎「取り敢えず、戸締まり確認しろ!五寸釘の女は今どこにいる?」

俺「分からない!でも家の前までさっきいたんだ!」

慎「パニクるな!取り敢えず戸締まり確認だ!いいな!」

俺「分かった!戸締まり見てくるから早く来てくれ!」

俺は電話を切ると、戸締りを確認しにまずは便所に向かった。もちろん家の電気は一切点けず。

五感を研ぎ澄まし、暗い家内を壁伝いに便所に向かった。まずは便所の窓をそっと音を立てず閉めた。次は隣の風呂。風呂の窓もゆっくり閉め、鍵をかけた。

そして風呂を出て縁側の窓を確認に向かった。廊下を壁づたいに歩き縁側のある和室に入った。縁側の窓を見て違和感を覚えた。

いつもと変わらず窓は閉まってレースのカーテンをしてあるのだが、左端…人影が映っている…。

誰かが窓の外から、窓に顔を付け、双眼鏡を覗くように両手を目の周辺に付け、室内を覗いている…家の中は電気をつけていない為、外の方が明るく、こちらからはその姿が丸見えだった。

窓に「五寸釘の女」がヤモリの如く張り付いている。

俺は腰が抜けそうになった。肉食獣を見つけた草食動物のように、俺はとっさにしゃがみ込んだ。全身が無意識に震えていた。

「五寸釘の女」からこちらは見えているのか?

「五寸釘の女」は暫く室内を覗き、そのままの体勢で、ゆっくりと窓の中心まで移動して来た。

そして「キュルキュル」と嫌な音が窓からしてきた。「五寸釘の女」の右手が窓を擦っている。

左手は依然、目元にあり、室内を覗きながら。キュルキュルキュル嫌な音は続く、俺の恐怖心はピークに達した。

何か分からないが、「五寸釘の女」の奇行に恐怖し、その恐怖のあまり、声を出す事すら出来なかった。

すると「五寸釘の女」はとったに後ろを振り返り、凄い勢いで走り去って行った。

俺は何が起きたかわからず、身動きも出来ずに、ただ窓を見ていた。すると、窓の向こうの道路に赤い光がチカチカしているのが見えた。「警察が来たんだ!」 俺は状況が飲み込めた。

偶然通りかかったパトカーに気付き、「五寸釘の女」は逃げて行ったんだと。暫く俺はしゃがみ込んだまま震えていた。

「プルルルル!」

その時、電話が突然鳴った。心臓が止まりかけた。ディスプレイを見ると慎の自宅からの電話だった。俺は慌てて電話に出た。

慎「どう?」

俺「なんか部屋覗いとったけど、どっか行った…」

慎「そっか、親帰って来たんか?」

俺「いや、たまたまパトカー通って、それにビビって五寸釘の女逃げたんや思う」

慎「そーなんや!よかった!俺、お前んちの近くに不審者がいるって通報しといてん。でも、あいつに家バレたんやったら、そろそろ親にも相談しなあかんかもな」

俺「…」

慎「俺も今日、親に言うから。お前も言えよ!もうヤバイよ!」

俺「…うん…」

そして電話を切った。その30分後、母親がパートから帰って来た。

俺は部屋の電気を消したまま玄関に走り、母の顔を見た瞬間、安堵感からか、泣き出した。

母親はキョトンとしていたが、俺は暫く泣き続けた後「ごめんなさい」と謝罪をし「あの夜」の出来事から「さっき」の出来事まで説明した。

説明の途中、父親も帰宅し、父には母が説明した。

その後、父が無言で和室の窓硝子を見に行った。窓硝子は鋭利な何かで凄い傷が付けられていた。

「鋭利な何か」が「五寸釘」だと直感で分かった。

両親は俺を叱らず、母親は俺を抱きしめてくれ、父は警察に電話をかけていた。

10分程して警察が来た。

警察には父が事情を説明していた。俺は暫くの間、母親と居間にいたが、少ししてから警官が居間に来て「あの夜」の事を聞いてきた。

ハッピーとタッチの事、木に釘で刺された少女の写真の事、淳也の名前が秘密基地に彫られていたこと…。

その後、放課後に出会った事など「五寸釘の女」に関する知っていること全てを話した。

そして「さっき」の出来事も。鑑識らしき人も来ていて、俺が話している間に窓の指紋を採取していた。俺が話した内容で警官がもっとも詳しく聞いてきたことが「少女の写真」の事だった。

「その少女」の容姿や面識を聞かれたが、それについては「よく知らない」と答えるしかなかった。

そして裏山の地図を書かされ、翌日、警察が調べに行くと言う事になり、自宅周辺の夜間パトロール強化を約束して警察官は帰っていった。結局、指紋は出なかった。

暫くして、慎と淳也の親から電話がかかってきた。親同士で何やら話していたが「五寸釘の女」に関する話、というより、学校にどのように説明するかを話していたようだ。

その夜は何年かぶりに両親と共に寝た。恥ずかしさなど微塵も無く、純粋に「五寸釘の女」が怖く、なかなか寝付けなかった。

次の日の朝、母親に起こされた時にはすでに午前8時を回っていた。

「遅刻する!」と慌てると母が「今日は家で寝てなさい」と言う。どうやら既に学校に事情を話したらしい。父はすでに出社していたが、母はパートを休んでいた。

「恐らく、慎や淳也も今日は学校を休んでいるだろう…」と思ったが、敢えて電話はしなかった。

慎は恐らく、厳格な両親に怒られて、淳也の両親は「不登校」になった淳也の真実を知り、ショックを受けているだろうと思うと電話するのが恐かったから。

俺は自室に篭り、「五寸釘の女」が早く警察に捕まることだけを願っていた。一時も早く追い詰められる「恐怖」から解放されたかった。

母親は何故か「五寸釘の女」の事を口にしてこなかった。俺も何も言わなかった。

昼飯を食べ、ふたたび自室に篭っていると、「ドスっ」と家の外壁に鈍い音が響いた。

俺はとっさに「慎だ!」と思った。あいつは俺を呼び出す時、玄関の呼鈴を鳴らさず、窓に小石を投げてくる事がしばしばあったからだ。

俺は窓から外を眺めた。家の前の路地にある電柱に慎がいるはず!と思ったが、慎の姿は無かった。どこかに隠れているのかと思い、見える範囲で捜したが何処にもいない。

その時、俺の部屋の下にあたる庭先から「キャ!」と母親の声がした。

びっくりして窓を開け、身を乗り出し、下を見た。そこには母親が地面を見つめながら口元に手を当てがい、何かを見て驚いていた。俺は何が起こっているのか解らず「どーしたの!」と聞いた。

母は俺の声にギクッと反応し、こちらを見上げ、無言のまま家の外壁を指差した。そこには内蔵が飛び出た大きな牛蛙の死体が落ちていた。母は居間に駆け込み、警察に電話をした。

母は青い顔をしていた。恐らくこの時始めて「五寸釘の女」の異常性を知ったのだろう。そうだ、あの女は異常なんだ。きっと今も蛙を投げ込んできた後、俺や母の驚く姿を見てニヤついているはず。きっと近くから俺を見ているはず。

鳥肌が立った。もうこの家は「家」では無い。「五寸釘の女」からすれば「鳥籠」のように俺達の動きが丸見えなんだ。常に見られているんだと感じ出した。

暫くしてパトカーがやってきた。

昨日とは違う警官二人だった。警官一人は外壁や投げ込んで来たであろう道路を何やら調べ、もう一人は俺と母に「何か見なかったか?」「その時の状況は?」などなど、漠然とした事を何度も聞いて来た。

最後に警官が不安を煽るような事を言って来た。

「昨日もいやがらせを受けているんですよね? 恐らく犯人はすぐにでも同じような事をしてくる可能性が高いです」と。

俺はたまらず「あの呪いの女なんです!コートを着てる40歳ぐらいの女なんです!早く捕まえてください!」と半泣きになって懇願した。すると警察官は

「さっきね、山を見てきたんだよ。犬の死体も板に彫られたお友達の名前も、あと女の子の写真もあったよ。今からそれを調べて必ず犯人捕まえるから」

と言い、俺の肩をポンと叩いた。それから母の元へ行き「ご主人に連絡を…」みたいなことを小声で話していた。

壁に付いた蛙の染みとその死体の写真を撮り、1時間程で警官は帰って行った。

暫くして父親が帰宅した。まだ5時前だった。昨日の今日だから心配になったのだろう。

夕食の準備をしている母も、夕刊を読んでいる父も無言だった。かなり緊張しているのは分かった。もちろん俺自身も次にいつ「五寸釘の女」が来るのか不安で仕方なかった。

晩飯の間も皆が無口で、テレビの音だけが緊張感なく部屋に流れていた。

そして夜23時過ぎ、皆で床に就いた。用心の為、一階の居間は電気を点けっぱなしにしておくことになった。その夜も家族揃って同じ部屋で寝た。もちろんなかなか寝付けなかった。

どれぐらい時間が過ぎただろう。

突然、玄関先で

「オラァー!!」

とドスの効いた男の声とともに

「ア゛ー!ア゛ー!」

と聞き覚えのある奇声…五寸釘の女の叫び声が聞こえた。

俺達は飛び起き、父が慌てて玄関先に向かった。俺は母にギュッと抱き締められ、二人して寝室にいた。

「カチャカチャ…ガラガラガラガラ!」

父が玄関の鍵を開け、戸を開ける音がした。戸を開ける音と共に、再び

「ア゛ー!!チキショー!ア゛ァー!!ア゛ァァァァ!」

と再び五寸釘の女の叫びが聞こえて来た。

「大人しくしろ!」「オラ!暴れるな!」

と、男たちの怒声もした。この時、俺は『警官だ!警官に捕まったんだ!』と事態を把握した。五寸釘の女は奇声を上げ続けていた。俺はガクガク震え、母の腕の中から抜けれなかったが、父親が戻って来て、

「犯人が捕まった。お前が山で見た人かどうかを確認したいそうだが…大丈夫か?」と尋ねてきた。

もちろん大丈夫ではなかったが、これで本当に全てが終わる。終わらせることが出来る!と自分に言い聞かせ、

「…うん」

と返事し、階段をゆっくりと降り、玄関先に向かった。

玄関先から「オマエーっ!チクショー!オマエまで私を苦しめるのかー!」と凄い叫び声が聞こえ、足がすくんだ。父が俺の肩を抱き、二人の警官に取り押さえられた五寸釘の女の前に俺は立った。

俺は最初、恐怖の余り、自分の足元しか見れなかったが、父に肩を軽く叩かれ、ゆっくりと視線を五寸釘の女に送った。

両肩を二人の警官に固められ、地面に顎を擦りつけながら五寸釘の女は俺を睨んでいた。相当暴れたらしく、髪は乱れ、目は血走り、野犬の様によだれを垂れていた。

「オマエー!オマエー!どこまで私を苦しめるー!」

訳の分からない事を五寸釘の女は叫び、身を振りほどこうともがく。

それを取り押さえていた警官が「間違いない?山にいたのはコイツだね?」と聞いてきた。

俺は五寸釘の女の迫力に押され、声を出すことが出来ず、無言で頷いた。

警官はすぐに手錠をはめ「放火未遂現行犯だ!」と言った。

手錠をはめられた後もずっと奇声を発し暴れていたが、警官が二人掛かりでパトカーに連行した。そして一人だけ警官がこちらに戻って来て「事情を説明します」と話し出した。

警官「自宅前をパトロールしてると玄関に人影が見えまして、あの女なんですけど…しゃがみ込んでライターで火を付けていたんですよ。玄関先に古新聞置いてますよね?」

母「いえ、置いてないですけど…?」

警官「じゃあこれもあの女が用意したんですかねぇ」と指差した。そこには新聞紙の束があった。確かにうちがとっている新聞社の物では無かった。

警官が「ん?」と何かに気付き、新聞紙の束の中から何かを取り出した。

木の板。

それには「焼死祈願」という言葉と俺のフルネームが彫られていた。

俺は全身に鳥肌が立った。やはり俺の名前を調べ上げていたんだ。もし警察がパトロールしていなかったら…と、少し気が遠くなった。母は泣きだし、俺を抱き締めて頭を撫で回してきた。

警官は暫く黙っていたが「実は、あの女…精神的に病んでまして…○○町に住んでいるんですけど、結構苦情…まあ、同情の声というのもあるんですがねぇ…」と、五寸釘の女の事を語りだした。

警官「あの女、1年前に交通事故で主人と旦那を亡くしてまして。それ以来、情緒不安定と精神病というか。まあ近所との揉め事なども出てきだしましてね。

山で発見された少女の写真であの女の特定は出来ていたんですよ。二年前の交通事故…あの少女が道路に飛び出したのをハンドルをきって壁に衝突して主人と息子が亡くなったんですよ…。

飛び出した少女は無傷で助かったんですが…以来、あの少女の家にも散々嫌がらせをしているんですよ。

ただ事故が事故なだけに少女の家からは被害届けはでてないんですが…あの少女を相当怨んでいるんでしょうね」と。

俺はその話を聞き、同情などは一切出来なかった。むしろ五寸釘の女の執念深さがヒシヒシと伝わってきた。何よりも警官も認める、情緒不安定・精神病者。

これでは、すぐに釈放になるのではないか?

その後、俺達はまた「五寸釘の女」の存在に怯え生きていかなければならないのか?

警官の話を聞き「安堵感」よりも「絶望感」が心に広がった。

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