俺の実家周辺はかなり山深くて、未だに携帯の電波も届かない。
子供の頃はTVゲームも知らず、山で遊ぶしかない暮らしだった。日が暮れるまで山で虫を捕まえたり、基地を作ったり…。
当然、山なので色々な動物も出た。蛇、狸、それから猿。
特に猿は保護されるようになってからどんどん数が増えて、俺らが遊んでいる時もよく猿の姿を見たり、鳴き声を聞いたりしたものだった。
猿はうちの集落にとっては厄介者で、畑を荒らす、家に入ろうとする、子供に危害を与えるかもしれない等などの理由から、大人たちは(保護されている事は知りつつも)止む無く自主的に猿の駆除をしていた。
駆除された猿は、全て村の長老的ポジションのじい様の家に運ばれた。
子供の頃は駆除の現場を見たことはなかったが、猿の死体をじい様の家に運んで行く大人の姿はたまに見かけた。
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俺が高校3年のある時、じい様の家から俺にお呼びがかかった。
当時はもう自分の環境がいかに恵まれていないか十分に認識していた頃だったので、いかにも田舎臭い長老みたいな存在は嫌で嫌でたまらなかったが、俺の両親も必死な感じで行って来いと促すので仕方なく行った。
じい様の家に行くと、白装束を着たじい様が正座をしていた。
何歳になった、勉強は頑張っているか、みたいな話をされたと思う。
そんなやりとりの後、じい様が奥の20畳程もある広間に俺を連れて行った。
広間の中央には、気味の悪い死体が転がっていた。
顔と大きさで何とか駆除された猿だという事は分かったが、猿は全身の皮を剥がされ、ミニサイズの着物を着せられていた。
一見すると「牙の生えた、皮を剥がされた人間の子供」だ。
死体の周りには、じい様の取り巻き(じい様よりランクが低い年寄り連中)が集まって、何やらヒソヒソと話している。
じい様は俺に、「まだ17歳だな」と何度も念を押した。
突然の展開にびびっている俺に、じい様の取り巻き達は白装束を手渡し、着替えろと言う。
取り巻き達の座った目線が異常に思えて、俺は素直に従った。
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着替えが終わると、取り巻き達は死体を広間から庭へ運び、庭に設置された小さなやぐらに乗せた。
「オンマシラの儀、○○が長男、△△(俺の苗字と名前)」
じい様が仰々しく言うと、取り巻き達が延々と名前を読み上げ始めた。
最初は何のことか解らなかったが、しばらく名前を聞いている内に俺の先祖の名前を言っているのだと解った。
最後に俺の名前まで言い終わると、じい様は手に松明を持ち、やぐらに火を点けた。
やぐらは燃えやすいように藁や古新聞が敷き詰められているようだった。
猿の死体が着物もろとも燃えていく。
辺りに焦げ臭い匂いがたちこめ、その間中、じい様と取り巻き達はお経のようなものを唱えていた。
しばらく経って猿が十分に焼けたと判断したのか、取り巻き達は猿を火の中から引っ張り出した。
※
その後、焼けた猿と俺は広間に戻された。広間ではいつの間にか宴席が準備されている。
宴席の中央にお供え物をする台のようなものがあり、焼け上がった猿はそこに置かれた。
じい様がまず台の周りを一周すると、取り巻きの一人が猿を切り分け始めた。
じい様は俺に同じように一周するように促すと、切り分けられた猿の肉を食い始めた。
俺が恐る恐る一周すると、じい様は俺にも猿を食えと言う。
俺はもう限界で、ほんの少しだけ齧った。
焦げた部分だけが口に入って、苦しかったことしか覚えていない。
じい様は俺の食った量が不満だったようで、もっと食えと迫ってきたが、田舎じみた風習に付き合わされるのはもう嫌だと俺の中で怒りが爆発し、じい様の家を飛び出した。
その後、じい様が追ってくるようなことは無かったが、何となく近所からは良い目で見られなかったように思う。
※
俺は高校を卒業して、他県の大学に進学した。
親は下宿に何度も足を運んでくれたが、俺が実家に行くことはなかった。
親もそれとなく「来るな」というオーラを出していた。
そんな親から「帰って来い」と連絡が来たのは、俺が他県に就職してから数年が経ってからだった。
盆休みを利用して実家に帰ると、何も変わらない当時のままの風景があった。
じい様が死んだという話は帰省初日の夜に親から聞いた。
病死だったそうだが、死ぬ直前にふと俺の名を呼び、無事で生きているかを心配していたという。
※
当時は親にも聞けなかったが、思い切って「オンマシラの儀」について聞いてみた。
親曰く、大昔にこの集落の人間が山の神の使いである猿を殺してしまい、それ以来集落全体に猿の呪いがかけられてしまったという。
特に長老であったじい様の家系は、今で言う「奇形」の子供が生まれるようになってしまい、呪いを解くためにあのような儀式をしていたらしい。
集落で生まれた子供が17歳の時に、猿の呪いに打ち勝つように猿の肉を食わせるという儀式で、親達も17歳の時に猿を食わされたそうだ。
ただし、じい様の家系は一番強く呪いがかかっていたので、年齢を問わず事あるごとに猿を食っていた。
そこまで聞いた俺は、儀式当時のじい様を思い出していたが、じい様の顔は毛深く、赤みがかって、しわくちゃで、とても猿に似ていた。
猿を食うことが呪いを解くことと信じていたようだが、食うことで呪いを強めていたんじゃないか。
俺がそう言うと親も頷き、溜め息を吐きながら言った。
「皆そうだろうとは思っていたが、じい様には言えなかった。何代も前のご先祖様からずっとそのやり方を信じていたし」
また、続けてこうも言った。
「じい様は、猿の肉が好きだったみたいだしね」
俺はそれを聞いて、田舎ならではの保守的な考え方にうんざりすると同時に、猿の肉の味を思い出して考えるのをやめた。
もし美味しかった記憶が思い出されたら、じい様のように猿を求め続けるようになってしまうかもしれない。それが怖かった。