子供の頃は近くの山が遊び場で、毎日のように近所の同世代の友だちと一緒にそこで遊んでいた。
この山の通常ルートとは別の、獣道や藪を突っ切った先には謎の廃屋があり、俺たちにしてみれば格好の遊び場だった。
小さな山だったから、俺たちは道のあるとこ無いとこ全て知り尽くしていた。
山はある意味、俺たちがヒエラルキーのトップでいられる独壇場だった。
しかし、俺たちにも天敵がいた。それが「けんけん婆あ」だ。
廃屋に住み着いているらしい年取った浮浪者で、名前の通り片足が無かった。
けんけん婆あは俺たちに干渉してくることは無かったが、俺たちは山で遊んでいる時、よく視界の端で捉えては気味悪がっていた。
しかし好奇心旺盛な子供にとっては格好のネタであったのも確かで、
「どれだけけんけん婆あの生態を知っているか」
「どれだけけんけん婆あに気付かれずに近付けるか」
というのが一種のステータスになっていた。
俺の知る限り、どちらかがどちらかに声を掛けたなどということは皆無だった。
※
その日、俺たちは隠れんぼをすることになった。
隠れることのできる範囲は山全体。
物凄く広範囲のように聞こえるが、実はこの山でまともに隠れることのできる範囲というのは極限られている。
なので鬼はそれら隠れることのできる場所を巡回するだけという、隠れる側としては殆ど運次第な遊びだった。
俺はその定番の隠れ場所の一つである廃墟に隠れることにした。
廃墟の壁には錆付いたトタン板が立て掛けてあり、俺はそのトタン板の下に隠れていた。
耳を澄ましていると「○○ちゃんみーつけた!」という声が遠くの方から聞こえたりして、その声の方向から今鬼がどこにいるのかを推察しながらドキドキしていた。
段々と鬼のいる場所が次第に近付いて来て、『あっち行け!でもそろそろ次は俺かな』などと思っていた時、
「けんけん婆あが基地の方に行ったぞー!!」
という鬼の叫び声が聞こえた。
基地というのは、俺の隠れている廃墟のことだ(俺たちは秘密基地と呼んでいた)。
しかしこれはカマをかけて隠れている人間を燻り出す鬼の作戦かもしれないし、例え本当でも、これはけんけん婆あをすぐ近くで観察して英雄になれるチャンスだ。
俺はそう思って、そのまま隠れ続けていたんだ。
※
「とさっ、とさっ、とさっ」
まさに『けんけん』するような足音が聞こえてきたのは、その時だった。
この時点でもう後悔しまくり。
「とさっ、とさっ、とさっ」
片足で枯葉を踏む音が、もう廃墟のすぐ前、俺から5メートル程しか離れていない場所まで近付いて来ている。
『見つかったら殺される!』
そんな考えに取り憑かれて、俺はもうマジでビビっていた。
そこで俺はよせば良いのに、いきなり隠れ場所から飛び出して猛ダッシュで逃げる、という選択肢を選んだ。
もう飛び出すや否や、けんけん婆あの方は絶対に見ないようにしながら、必死で友だちの所まで逃げた。
そして、事情がよく解っていない皆んなを半分引き摺る形で下山。
そこで初めて詳しい事情を皆んなに説明した。
でもやはり、あの恐怖は経験した本人にしか解らない訳で…。
逆に友だちは、そんなに近くまでけんけん婆あに近付いたことを「すげぇすげぇ」と褒め称える始末。
俺もガキだったからすぐに乗せられて、恐怖など忘れ多少の誇張を交えつつ誇らしげに語りまくった(実際は、けんけん婆あの姿は見ないまま逃げ帰った)。
でも、その話をすぐ傍で聞いていたのがうちの母親。
「そんな危ないことは絶対にしてはだめ」
と滅茶苦茶怒られた。俺号泣。
※
その晩に俺の母親は、他の両親や近所の大人(婦人会の人たち)、それにこの山の所有者の人を集めて話し合いを開いた。
何でも、子供の遊び場付近に浮浪者の人が寝泊りしているのは、何があるか分からないので危ない。
だからと言って、子供に山で遊ぶなというのは教育上良くないので、ここは浮浪者の人に出て行ってもらおうと。
大人は山に浮浪者が住み着いているということを知らなかったらしく、皆んなすぐに同意した。
元々私有地の山だったので話も早く、所有者の人を先頭にぞろぞろと山に出掛けて行った。
でも結局会えなかったらしく、1時間もすると帰って来た。
廃墟の入り口に退去願いの張り紙だけして戻って来たらしい。
※
でもここで、俺たちは訝しげな顔をした大人たちに、本当に浮浪者が居ついているのかということを質問された。
子供の俺たちにとっては考えもつかなかった疑問の数々。
まず、例の廃屋は屋根と壁の半分が腐り落ちている状態で、浮浪者と言えどとても人間の住める場所ではなかった。
暖を取ることはおろか、雨風すら凌げない。
生活の跡らしきものも見当たらなかったらしい。
それにその場所。
『獣道や藪を突っ切った先』と書いたが、途中にかなりスリリングな崖や有刺鉄線で遮られた場所があって、健常者でも辿り着くのに一苦労だ(俺たちは有刺鉄線の杭の上を登っていた)。
ましてや片足の老婆が日々行き来できる場所ではないと。
また、大人は誰もけんけん婆あを見たことが無いらしい。
特に山の麓に住んでいる人間なら必ず目撃しているはずなのに、誰一人として見た人間が居ない。
断言できるが、あの山で自給自足することなんて不可能だ。
※
そんなこれまで考えもしなかった疑問に困惑している時、俺の父親が帰って来た。
話を聞いた父はすぐに、
「なんだあの婆さん、まだ居たのか……」
と言った。初の俺たち以外の目撃者。
父が何人かに電話を掛けると、近所のオッサン連中が2人程やって来た。
父を含め3人とも同世代の地元の人間で、子供の頃によくこの山で遊び、俺たちと同じようにけんけん婆あに遭遇していたらしい。
何と「けんけん婆あ」という呼び名は当時からあったようだ。
懐かしそうに思い出を語る3人だったが…。
ここで、山に入る前から黙りがちだった山の所有者の人が「実は……」と口を開いた。
※
彼は所謂地主様の家系で、彼の祖父の代には家に囲われていた妾さんが居たらしい。
しかしある時、その女性は事故か何かで片足を失った。
それが原因で彼女が疎ましくなった地主は、彼女を家から追い出し、自分の持っていた山に住まわせたらしい。
それ以降ずっと山に住んでいたらしいが、「そう言えば死んだというような話も聞かない」とのこと。
ただそれが本当だとすれば、けんけん婆あは軽く150歳を超えていることになってしまう。
それに例の廃屋も、元は何だったのか判らないが、30年ほど前は山を整備するための道具置き場として使われていて、その時点では既に誰も住んでいなかったと。
さっきまではしゃいでいたオッサン3人組も、婦人会の人たちも、これを聞いて絶句。
地主さんがぽつりと、
「明日、宮司さんに頼んでお祓いして貰うわ」
と言い、静かにお開き。
普段気丈な両親も、目に見えて沈んでいました。
※
それ以降、私たちはけんけん婆あを見ることはありませんでした。
彼女が何だったのかは、未だに判らず仕舞いです。
果たして150歳を超える老怪だったのか、それとも何かの霊だったのか。
ただ現在になっても、あの『とさっ、とさっ』という足音を忘れることができません。
今でもあの山で耳を澄ますと、どこか遠くの方からこちらに向かって近付いて来るその足音が聞こえるようで、怖くてなりません。