今年の2月に起きた本当の話。
大学4年で就職も決まり、学校生活も落ち着いたので、念願の車の免許を取るべく免許合宿に行ったんだ。
俺の地元は近畿なのだが、合宿場所は中国地方だった。そこで地元が同じである4人の大学生と仲良くなった。
毎晩話をしている内に、免許合宿が終わったらお祝いも兼ねて何処かにドライブに行こうという話になった。
それから無事に免許を取得することができ、後日ドライブの日程を決めようということで解散した。
後日LINEで連絡を取り合い、日程を決めた。その日は親の車を使えるのが俺だけだった。
他の4人は住んでいる所も比較的近くだったため、どこかで集合し原付で俺の家まで来ることになった。
4人の内の1人が当日アルバイトだったため、午前1時に俺の家に到着というプランだった。
※
ここからは聞いた話になる。4人は午前0時に無事集合し、全員原付で出発したようだ。
夜中だということもあり車も少なく、快適なドライブだったらしい。
4人横並びで交差点で信号待ちをしている時に、信号が変わると共に一斉に走り出し、どれだけ次の信号に引っ掛からずに行くことができるかというレースのような状態になった。
レースに夢中になり、ふと気付くと1人居なくなっていたらしい。
3人で今来た道を戻り、原付を脇に停めて困り果てているのを発見した。調子が悪くて動かなくなったのだそうだ。
素人4人だったが、なんとかまたエンジンをかけることができた。
1人の調子が悪いのでレースは控えてゆっくり行こうという話になり、そいつの後ろに3人が付いて行く陣形で走っていた。
先程原付が故障した1人も、何の問題も無く走っていたため、またレースが始まってしまった。
気付くとまたさっきの1人が居なくなっていた。
また故障かと思い、3人はまた戻ったそうだ。するとまた原付が脇に停めてあった。
ああまたかと思ったが、今度は乗っていた本人が居なかった。
どうしたのかと3人は原付を停めて辺りを探した。
10分ほど探したが見つからず途方に暮れていた時に、脇の田んぼから携帯音の着信がしたらしい。
この時は午前1時を少し過ぎており、俺が電話したのがちょうど行方不明の彼だった。
三人は着信音に驚き、田んぼの方に恐る恐る歩いて行ったらしい。
そこは街頭も少なく、とても暗かったと言う。
するとそこに行方不明だった1人が居た。
その時の彼の様子はまるで恐ろしいものでも見たかのように目を見開き、涙を流し失禁していた。
口も開いたまま、泥だらけになって田んぼの真ん中ら辺で突っ立っていたそうだ。
見つけた3人は焦って呼び掛けたがまるで反応が無かった。
全員が田んぼに入り、泥だらけになりながらなんとか彼を引き揚げた。
※
ここで俺に別の1人から電話が入り、風呂と着替えを用意して置いて欲しいということと、ドライブは中止だということを言われた。
俺は事情が解らないまま、言われた通りにして待っていた。4人が到着したのは結局午前2時過ぎだったと思う。
4人は3台の原付でやって来た。彼の原付は置いて来たそうだ。上着で無理やり運転者と彼を縛り付けていた。
まだ放心していた1人を4人がかりで風呂に入れ、ジャージを着せた。
その頃には徐々に回復しており、何とか喋るくらいにはなっていた。
失禁もしていたため、俺らは気を遣い先程のことは聞かなかった。
暫くすると彼はぽつりぽつりと話し始めた。
※
突然原付が故障し、脇に停めて皆が戻って来るのを待っていた。
すると道の向こう側で、女の人が忽然と現れて手招きをしていた。
街頭に照らされ凄く不気味だったそうだ。
話し掛けても決して応えてはくれず、ただ手を拱いてるだけだったと言う。
そこから記憶が無いとのことだった。
※
俺らは震えながら話す彼に何も声を掛けることができず、その晩は俺の家に泊まり、明日車で彼の原付を取りに行こうということだけ決めて寝ることにした。
3人はすぐに寝つき、彼も意外とすぐに寝付いた。それを見て安心し、いつの間にか俺も寝ていた。
これが午前3時くらいだと思う。
※
午前4時頃、誰かに話し掛けられて起こされた。話しているのは彼だった。
「俺もう帰らないといけない。俺帰らないと」
そう言っていた。
しきりに帰りたがるので、俺は全員を起こして彼を説得しようとした。
全員で引き止めたが、彼は「帰らないと」としか言わなかった。
結局埒が明かず不安ではあったが、家に着いたら必ず電話するようにと念を押して、1人が原付を貸して彼を帰らせた。
凄く不安だったが、凡そ1時間後に電話が入り、無事家に着いたと連絡がきた。
原付も自分のものと途中で乗り換えたのだと言う。俺らは心の底から安堵し、いつの間にかまた眠ってしまっていた。
※
朝10時過ぎ頃、電話で起こされた。彼からだったので嫌な予感がしたが、出ると女性の声だった。
電話してきたのは彼の母親で、泣きじゃくりながら彼が死んだと言っていた。
朝、彼の原付があったので帰って来たのかと思い部屋に入ると死んでいたのだそうだ。
驚いて皆を起こし、住所を聞き、すぐさま親の車で彼の家に向かった。家に着くと警察がいた。
彼の母親が外に出て来て、中に入れてくれようとしたが警察に止められた。
昨晩一緒にいた旨を伝えると、余計に見せることはできないと言われた。
母親とも引き離され、意味が解らないまま外で待っていると、警察署に来て欲しいと言われた。
※
結局パトカーと俺の車に分けられて警察署に連れて行かれた。運転は警官がしてくれた。
取り調べ室のような所に4人座らされ待っていると、中年の男性が写真を持って入って来てこう言った。
相当の衝撃を受けるかもしれない。怖い人は見なくていい。
そして写真を見せられた。全員が思わず見てしまったが、本当にそれを見た全員が驚きのあまり立ち上がった。
写真には仰向けになり、天井に手を突き出したまま死んでいる彼の姿が映っていた。
目は見開き、涙を流し、口からは血が混じった涎が垂れていた。手は限界まで開いており、血の気が引いて真っ白だった。
※
中年の刑事がすぐにポケットに写真を閉まって彼の様子を説明してくれた。
写真では判らなかったが、彼は尿も便も漏らしており、白目も真っ赤なほど充血していた。
死後硬直では考えられないほど、手と腕が硬直していた。また肩が上から無理やり引っ張られたように両方抜けていたという。
一番覚えているのは、「肩が抜けているのになぜ手が天井を向いたままなのか全く解らない」と呟いていたことだ。
俺らは震えながら昨日のことを話した。
中年男性は黙ったまま最後まで聞いてくれた。俺らの話が終わると、田んぼの場所と初めに彼の原付の調子が悪くなった場所はどこかということだけ聞いてきた。
昨晩彼と一緒だった内の1人が地図で場所を教えると、男性は「そこかぁ」と呟いた。
その後、簡単な調書のようなものを取られ、それぞれ家に帰された。原付も警察が回収してくれたようだった。
※
後日、代表して俺が父親と彼の両親に話をしに行った。
向こうの両親も警察から事情を聞いていたらしく、ただただ静かに泣いているだけだった。
結局、司法解剖は彼の両親が拒否したので、彼の死因は心筋梗塞だということになった。
後日彼の葬式があり、父親と友人と参列した。焼香するために彼の遺影の前まで来ると棺桶が無かった。
そのまま焼香を終えたが、あの時帰さなければという後悔が凄くあり、何としても彼に謝りたかったので、思い切って彼の両親に聞いてみた。
すると彼の棺桶は祭壇の裏にあるのだという。会わせて欲しいとお願いをするも断られた。無礼だとは思ったがお願いし続けると渋々了承してくれた。
葬式が終わるまで無理だと言われたため、終わるまで全員で待っていた。
※
やがて式が終わり、彼の両親に呼ばれ行ってみると、そこには棺桶ではなく箱があった。
高さも横幅も2メートルほどあり、横幅は棺桶と変わらない幅だった。両開きの扉が側面に付いていた。装飾も一切無く、ただの木の箱に見えた。
俺らが立ち尽くしていると、彼の両親が「正直私達でも見るのが辛い。見る覚悟がある方だけ息子を見てやって下さい」と言った。
正直足が震えていたが、嫌な予感がしつつも俺は両開きの扉を開けた。
予想通り、彼はあの写真のままの姿でそこにいた。
手を突き出し、恐らくまぶたを閉じることができなかったのか、目の部分には白い布が被せてあった。
思わず「ひっ」と声が出て引きつけを起こしそうになった。
俺の父親を含め全員が見たが、皆同じような反応をしており、中には腰が砕けて立てなくなる者もいた。
※
全員が見終わって彼に謝った後、彼の両親が事情を説明してくれた。
腕を下げるには、もう肩も外れているため両腕を肩から切断するしかなかった。
瞼もまるで皮膚がそこだけ無くなったかのようになっており、閉じることが出来なかったと言う。
俺らはただただ泣きながらそれを聞き、彼の両親に謝った。
彼の両親は「あなた達のせいじゃない」とずっと言ってくれたが、俺らはただただ謝るしか出来なかった。
その後、泣きながら父親に連れられて家に帰った。
父親が帰りの車中で、ふと警察で中年男性がしたのと同じ質問をしてきた。
地図で説明していたのを聞いたので、大体の場所を言うと父親も「そこかぁ」と呟いた。
その場では聞く気になれず、その日はそこで会話は終わった。
※
彼の四十九日が終わり、父親に葬式の日のことを聞いてみた。
父親は話半分で聞いてくれとの前置きをして教えてくれた。俺の祖父が父親に話したことだそうだ。
恐らく彼の原付が初めに故障したのは「かんのけ坂」と呼ばれている所だろう。
今ではかんのけと訛っているが、昔は棺桶坂と呼ばれていた。少なくとも祖父が子供の頃はそうだった。
当時、棺桶を作る仕事は(あくまでその近辺では)身分の低い人がする仕事だったそうだ。
そのため棺桶一つの値段も安く、ひもじい生活をしていたそうだ。また差別もあり、かなり虐げられていたらしい。
そんな仕事で唯一儲かるのが特注品だった。
例えば既成の物に入らないほど巨漢であるとか、なんらかの事情で既成の棺桶に入れられないケースに特注品を作るのだそうだ。
特注品の話を聞き、合点がいった。棺桶に入らないほどの巨漢などそうそういるものではない。
父親は続けた。手を拱いていたのが女性だという点でも、思い当たる節があると言う。
祖父が子供の頃、棺桶を作るのがとても上手な器用な女性がいたらしい。
その評判は周囲に広まり、気付くと特注品の注文はすべてその女性の所にいったそうだ。
既成品はある程度作り置きしているが、特注品は死後注文が入って死体が腐る前にすぐに用意しなくてはならない。
その女性は特注品であれど注文が入れば必ず次の日には棺桶を作り上げた。
見た目もただの箱ではなく、装飾もちゃんと付いており、とても一晩で作り上げたとは思えない出来だったそうだ。
ちょうどその頃不審死が相次ぎ、彼女はそれらの注文を全てこなしたと言う。
しかし最終的に、特注品の注文が彼女の所にしか来なくなり、どんどん私腹を肥やして行く彼女は、他の棺桶屋や周囲の農民からも妬まれ、最後は若くして惨殺されたそうだ。
大勢に農具や工具で原型を留めないほど無残に殺され、田畑の肥やしにされたらしい。
※
父親は、ここからは自分の予想だと言う。恐らく彼が田んぼの中で硬直していたのもそのせいではないか、手を拱いていた女性はその女性ではないだろうかと。
考え過ぎだと思うし、ここからは祖父の作り話かもしれない。
「ここまでの話は知っている人もいるだろうが、ここからの話は祖父からしか聞いたことがない」と父親は続けた。
例の女性が殺された後、殺した棺桶屋たちが彼女の家に押し入ったそうだ。
どうして特注品があんな短期間で作れるのか。特殊な道具や方法でもあるんじゃないかと探したらしい。
すると家には作りかけの特注品の棺桶と、見たこともない祭壇があったそうだ。
特注品と言えど、亡くなり方は様々なため、一つ一つの大きさや形が違う。
それにも関わらず、彼女が特注品を先に作っているのを全員が不審に思ったそうだ。
そんな最中、不審死が起こった。
棺桶屋たちはもしやと思い、彼女の作りかけの棺桶を見に行くと、寸分違わずぴったりだったらしい。
もしかすると彼女が特注品の注文を貰えるよう、何らかの方法、呪いで不審死を引き起こしていたのかもしれない。
また、それが今回俺の亡くなった友人にたまたま降りかかったのではないだろうかと言って口を閉ざした。
※
亡くなった彼の両親は地元の人ではないので、この話は知らないだろう。友人にも話していない。
ただ、もう自分で溜め込んでおくのが辛くて、ここに書き込みをさせてもらいました。長文駄文すいません。
あの時引き止めておけばと今でも思うのですが、正直怖かった。体も冷たく、瞬きもせずに帰りたいと言う彼から離れたかった。
本当に申し訳ない。
読んでくれた方ありがとう。